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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第八章・播州鬼騒動六【天文二十二年八月十二日(1553年9月19日)~】
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10・播州鬼騒動六1-1(菅生表の戦い)


―1―


 天文二十二年八月十二日(1553年9月19日)。


 昼、播磨鞍掛山城の七条正満の屋敷の扉を叩いたのは、他でもない宇野政頼の父・宇野村頼である。既に家督は政頼に譲った隠居の身とはいえ、赤松総領家に仇なす宇野氏の前当主。赤松の本拠地・置塩城の西の守りを務める鞍掛山へと足を踏み入れるからには徒事(ただごと)ではあるまい。


「兵士殿、正満殿に、懐かしい烏帽子親が訪ねてきたと、そう、伝えくれぬか」


 烏帽子親とは、当時の風習、元服の際に生まれる新たな親子関係である。

 かつて尼子が播磨に侵入した際、赤松勢の播磨失陥後、天文十年(1541年)に赤松晴政が国内復帰するまでの間、七条政元は名前を変えて尼子方の奉行として仕えていた時期がある。


 七条正満が元服したのは丁度その時分。


 本名を明かせない父・政元は、近隣の豪族同士の繋がりを強めることを名目に、先に尼子方に付いた宇野村頼に自らの長男・正満の烏帽子親を依頼した過去があった。


 偏諱こそ受けなかったが、正満にとっては幼子の証である前髪を剃った縁のある宇野村頼は義父に近しい存在となる。


 それゆえ、赤松晴政が播磨に復帰した後も反旗を翻し続けた宇野勢に連なる者として、赤松総領家から睨まれる事となり、ここ鞍掛山での主家防衛を名目に半ば幽閉生活を強いられていた。


 だが、宇野側が尼子方に真実を告げていれば、佐用における七条の血統はとうの昔に絶えていた。


 社会通念上、烏帽子親の義理を通すことは善、不義理とすることを悪とするだけでなく、七条家として宇野氏には返すに返せぬ恩義があった。

 

 通すより他、選択肢がない。


「お久しぶりですな。我が烏帽子子殿が息災そうでなによりだ」


 正満の前に村頼が通されると、烏帽子子の正満は恭しく政頼に頭を垂れた。


「村頼様。こういったご時世、挨拶なども禄に出来ず……」

「よいよい。気にするな」


 正満の言葉を遮り、村頼がずかずかと正面に座って、正満の顔を真正面から覗き込む。


「一体どのようなご用事で」


 敵地に乗り込んでくる気概、他の来訪客のようなご機嫌伺いなどではあるまい。


「……そう邪険にするでない。我が一族、宇野刑部少輔殿を引き渡すよう、晴政殿にお勧めいたしたのであるのだが、烏帽子子殿は聞いてはいないか」


 聞いている。聞いてはいるが、殊更烏帽子子烏帽子子と立場で呼んでくるのが正満には気に食わない。


「さて、私はこの鞍掛山でのんびりと暮らしているだけなので。近くの川で蛍が見えるだの、置塩ではカジカの大きなのが獲れただの、そんな話しか耳には入ってきませぬ」


「否々、嘘を申すな。宇野と赤松、共通の商い人もおろうが」

 

 空言は子供だましにもならない。これより東、置塩の街に逃げ込んだ刑部少輔殿の話を正満の耳に入れるよう、村頼が出入りの商人に口添えしていたのかもしれない。


「烏帽子親殿が何を申されたいのか、私にはさっぱりと分かりませぬ」


 知らぬ存ぜぬで済む相手ではない。ならば余計な情報を曝さないよう、思考を巡らせる。そんな正満の動揺を見て、村頼は大きく下卑るように口角を上げた


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