09・播州鬼騒動五3-2
「過去の権威は、最早断ち切れぬ呪縛と変わらぬ」
なぜ今更、愚鈍な赤松晴政などという選択肢を選んでしまうのか。
刑部少輔は逃亡。赤松総領家に庇護を求め、置塩の町に逃げ込んだのだという。
追っ手を送ろうにも置塩では、安富の安志加茂神社を挟んで、北は夢前の、南は菅生の赤松方の関所に感知される。宍粟郡から置塩までの道行は、比較的道の良い夢前方面から古知之庄を経由すれば徒歩で三刻(約6時間)ほどの距離ではあるが、本拠地に近づけば近づくほど赤松軍の警備網も増えていく。
最低でも刑部少輔の首は欲しいが、素直に渡してくれるほど総領家も阿呆ではない。
「ならば、力攻めに頼るしかあるまい」
置塩城周辺の幾重にも築かれた城塞群を突破するならば、宇野氏にとっては総力戦になる。
隣国但馬の山名氏はこの十年来、順調に生野の銀山開発を進めているとも聞いている。山名家当主・山名祐豊は野心家で、先祖が嘉吉元(1441)年より長享二(1488)年まで領していた播磨国に返り咲く夢を捨て切れていないという情報もある。
手薄となった宍粟郡に、山名の軍勢が侵入する可能性は大。
北の守りとして、一宮三方荘の田路氏や安積氏らの協力は必須となる。
宇野氏と三方東郷の田路氏との関係は良好。田路一族全体ではやや赤松総領家に与する方向に傾いているが、表立って宇野氏と敵対したいとは考えておらず、臣下の田路隠岐守胤純との縁を紡いでいけば、事と次第によっては共闘への期待が持てる。
一方、三方西郷の安積氏はといえば、今も昔も赤松総領家に忠義を誓い続けている。宇野氏との関係は付かず離れずで、政頼自身、刑部少輔を置塩へ逃がした手引きをした者が安積氏家中の者と言われれば、やはりそうだったかと頷ける程には彼の一族とは生存戦略に隔たりがある。
だが、政頼の手からは既に賽が離れている。
最優先すべきは、失われた尼子家の信頼を取り戻すこと。
腹が決まると後は行動に移すのみ。間もなく宇野氏の領内では宇野刑部少輔を討伐するための動員が行われ、赤松総領家にも形式だけではあるが、刑部少輔を引き渡せば置塩城への侵攻を諦めるが如何するかという旨の通達を送り届けた。
結果には、目を通すまでもない。分かりきっている。
当然のごとく、赤松総領家・赤松晴政からの返答は、否、だった。




