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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第七章・播州鬼騒動五【天文二十二年(1553年)~】
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09・播州鬼騒動五2-2


「誰ぞ、居らぬか」


 宗景が人を呼ぶと、土間の方より鰻顔の下男が返事もなくぬぅと顔を覗かせる。

 礼儀を知らずいつも人を食ったような態度のこの下男が嫌いで常にいらいらさせられる。だが、この男が地元有力者の血縁ということもあり、ただ気に喰わぬから首を切れと指図できるほど備前独立派は強くない。


一人の兵士でも一つの勢力でも備前国内の力を取り込まねばならぬ。


「大望を持つ者は、小事に囚われてはならぬ」


 三月の高田表において、奇策を用いることで播州方に被害を肩代わりさせた備前独立派だが、温存した戦力を用いて美作国境奪還を果たした時点で既に攻勢限界を迎えていた。奪われた城塞を取り戻し、復旧のために防備を固め、戦働きをした配下を労ってみればとてもではないが苦労に見合うだけの成果とは呼べない。


「それでも、意地を貫いてみせた甲斐があったか」


 備前国東部の国人衆の多くが宗景を支持し、高田表では播磨国人衆の一部も少なからず協力してくれていた。結果論ではあるが、独立派は反抗の余力を残しつつ、尼子軍に呼応した一揆勢の対処に追われ消極的な動きしか見せなかった赤松総領家の権威は更に堕とすことにも成功していた。


前進と呼んでも差し支えはあるまい。


「北に大敵、東に敵、西に敵、南は海」


北からの侵攻は尼子と毛利の戦が終わるまでは長期遠征は無かろう。


西備前の松田氏は親尼子派閥の兄に靡き、東の佐用郡は佐用家当主・佐用則答が義理の息子らに国境の上月城の改築を命じている。佐用側への内応の返事は色の良い結果ではないと聞いた。


「宗景様ぁ、どうされましたぁ」


 阿呆のような大声で、下男が宗景を呼ぶ。


「耳障りだ。せめて自分で足を運ぼうとはせんのか」


 しぶしぶながら下男が重い腰を上げる。どうやら土間で御器嚙(ごきぶり)を捕まえたらしい。男の指先でうぞうぞと長い触角と手足が蠢いていた。


「どうされますかぁ」

「知らぬわ。外で潰してしまえ」


 西国全体の動向を見据え考えるのが馬鹿らしくなる。

 ぬらりぬらりと玄関から出ていく下男の後姿を見送っていると、いったい何のために自分が人を呼ぼうとしたのかその理由を忘れてしまった。


 やはり、あの下男は嫌いだ。


 天神山の城が仕上がれば、まず第一に、あの下男には適当な理由を付けて傍付きを辞めさせてやる。 

 

 宗景は一度大きく身体をゆすらせると、目の前に置かれた二振りの刀と睨み合いを再開し始めた。しかし、その様子は何処か心有らずのようにも見えた。



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