07・播州鬼騒動四1-1
《 1 》
同年七月二日(1553年8月10日)、半夏生。
盛夏を迎え、連日、炎天下の真夏日が続く。
いつの頃か日本では、この時期に天から毒が降るとされ、地方によっては井戸に蓋をしたり、農作物の収穫を控える風習が生じている。畿内の海辺の町では、水抜きした田んぼの稲が根を存分に伸ばすよう願が掛けられた蛸を食する慣例が残る地域もある。
残念ながら、山奥の佐用郡では海産物は滅多に入らず、あまりそういった類の風習は存在していない。代わりに、郡内のある村では畦道の烏柄杓の根を掘り出す季節として、農民の間では認識されていた。
烏柄杓の根には、ムクロジの果皮やエゴノキ、トチノキの樹皮同様に、多量の界面活性物質が含まれているため、古の時代から石鹸の役割を果たしていた。他にも、この烏柄杓の根を生薬にしたものが半夏と呼ばれ、夏蔦の汁を煮詰めたモノと共に水に溶けば、立派な痰止め薬として親しまれ農民にとっての貴重な現金収入のひとつともなっている。
さて、日差し照りつける上月の里、太平山を降りてきたのは七条政範。
政範は上月城の改築具合を確認するために、この山を訪れていた。
播磨国太平山は佐用郡南部にある小高い山。夏草に埋もれた道を登った八合目辺りには、古い時代の城郭跡が残されている。以前はこちらを上月城と呼称したが、老朽化が進んだために現行の上月城は尾根続きの荒神山に移築されていた。
標高からすれば、少しばかり元々の太平山の方が高いため、荒神山の様子を一望するにはこの山を登る方が効率が良い。
現在、上月の里では、荒神山上月城の増築が行われている。
計画では、太平山の旧城までの道を繋ぎ、二山を跨ぐ要害化の予定している。政範の見下ろす山腹では堀切を大胆に切れ込みを入れている最中で、鍬や簣を担いだ人夫達の姿も見受けられた。
進捗は順調。秋風が吹く頃には、二山に跨がる要害の概形が出来上がりだろう。
政範は満足げに報告の為に七条屋敷へ足を向ける。
「……失礼、七条殿の御子息とお見受け致す」
ふと、道中で奇妙な人物に行き会った。
腰に刀を佩いているが、その風体はただただ粗雑。武士には見えない。
「何者か」
「手前の名前などどうでも宜しかろう。我が主が貴殿に用があると聞いている。御足労頂きたい」
男の抑揚の無い口調の裏には、隠しきれない威圧が含まれている。
「断る」
「ああ、無用な血が流れましょうな」
少し離れた林から同じく異様な風体の男達が遠巻きに政範を監視している。
最初から一人になる瞬間を狙われていたらしい。
前に二人、後方に三人。いずれも抜き身の刀を構え、屈強な男達が取り囲む。
「……如何されますか。我らとて手荒な真似をする様には承っておりません。が、それも七条殿次第で御座います」
男達の中で最初の男だけは慇懃無礼な語り口で、一欠片の笑みの成分も無く、ただただ静かに政範を威圧していた。
「何処へなりと連れていけ」
「賢明な判断感謝致します」
男の合図で、さらに四五人の見知らぬ男達が山中から姿を見せた。
たかだか一領主の息子程度に随分な規模が動員されたのだと、政範は内心で呆れつつも感心する。
「御容赦を。我らには失敗が許されぬ故」
政範の表情から思考を読んでか、先んじて男が言葉を挟んだ。
「…………」
「彼らは警護役だと思い下され」
逃げようとしない限りだが、と言外に男は政範に釘を刺している。
「では、ご案内申し上げる」
先頭を歩く男の足は、街道を南下する経路を取った。
無言、黙々と一向は歩き出す。
それでも周りに不審感を与えないよう、道すがら出会う村人達には、絶えず笑顔を見せていた。
恐ろしい程に手慣れている。背中に煌めく白刃を押し当てられられれば、無理にでも追随せざるを得ない。
誰にも気づかれぬまま、一行は上月城の南、下秋里の集落を素通りする。だが、遠巻きながらに政範を眺める村人達の目には、別の意味での疑念の色があった。そもそも南北に細長い郡内で、下秋里の集落はほぼ南端に位置するためか、領主や七条家の者でも出張る機会は少ない。
否、半世紀ほど前ならば、多くの者がこの道を辿っただろう。
だが、それは政範の祖父・則答の代の話。
年若い青年には、往事の繁栄などまず知識としてない。
集落を抜ければ、後は寂しい雑木林の中の荒れた砂利道を進む。
ここから先、南に向かえば赤穂郡。西の山越えならば備前国へと入る。
「浦上の手の者か」
男達からの返答はない。
ただ黙って直進することを返答とした。




