06・播州鬼騒動三3-2
「しかし、洞松寺様にも随分大きな僧坊があるだろう。おまんまの為とはいえ、こんな遠方の、誰とも知らん百姓の手伝いなどせんでも……」
「いやいや。我々も只座するだけでは見えぬことがあります。何事も経験です」
日本曹洞宗の開祖、道元は只管打座を第一義とし、無心に禅を取り組む修行生活の中で悟りを見出すことを教義としている。備前国洞松寺では托鉢は5日に1度、毎月行われる摂心(朝から晩まで坐禅をする期間)では檀家や地方豪族の庄氏からの支援も出ていたが、それだけでは日々の食糧事情を満たしきれてはいなかった。
「坊さんでも食うのにやっとなのかい」
応仁の乱以降、日本仏教界には暗い影が付きまとう。まともに大名や富貴な者達に取り入ることでなんとか存続を図ろうとする寺院もあれば、権力を笠に過度に贅と財を蓄え、自ら風紀紊乱の手本となる僧侶も後を絶たない。
「この土地には、まだ水路を通す余裕が無いのですか。いつまでも溜池頼りでは…」
「なんだ。お坊様は知らんのか」
農夫は寂しそうに、隣で放置され夏草に埋もれ始めた畑を見る。
「去年の夏は寒さに悩まされ、何人も土地を棄てた。とても水路など作れんよ」
「…………」
備前平野の土壌は肥沃、気候も温暖。その一方で全国有数の晴れの日を数え、年間降水量の少ない瀬戸内地方での農業は常に水不足と隣り合わせとなる。冷夏も怖いが、日照りの夏には湧水地や川の利権を巡り、村同士で無用な血が流される。
「…今年は、暑さで捨てる者が出るでしょうな」
「愚僧がヒジリなれば良かったのですが」
漢字表記ならば、日知り。
古い時代、彼らは天候や政情を占い、少し先の未来を読む者もいたらしい。
農夫は話の意味を取れているかいないのか、場当たり的な笑みを浮かべた。
「最近では、近くの村に鬼まで出没する始末。お坊様、良ければ退治して下さらんか」
「鬼、ですか」
「おお、何でも出雲から来たそうで。もう何人かの旅人が襲われ、一昨日も隣村の猟師が山の中で鬼に追われたと騒ぎになったぐらいだ」
聞けば、ある猟師は近くの山に入っている最中、身の丈十尺はあろうという黒鬼に見付かったらしい。鬼はニイッと赤い大きな口を開け、ギラギラ紅い目玉で猟師を一晩中追いかけ、やがて朝日と共に消えたのだそうという。
嘘か誠か、さぞかしその猟師は肝を冷やしただろう。
「それは、熊や猪かの見間違いではありませんか」
「……さてさて、分からんなあ」
曖昧な農夫の言葉の裏には、願わくば会いたくない、ではなく、実際に自分が会ってしまったならば、という若干の緊迫感が含まれていた。
それは、彼の周りで実際に鬼を見た者の中に身近な者が含まれていることを意味している。
至岳が農夫の指差す山を仰ぐと、遠く、濃緑色の深い森の木々がざわつく。不気味な薄暗がりに、鬼が走ったような影が見えた気がした。
恐らくは幻視であろう。
夏の熱い風が、ヒヤリとした涼風に変わる。
「……分かりました。愚僧の経文に効果があるかは分かりませんが、もし行き会えば、拙僧が必ず対処致しましょう」
至岳の言葉に、農夫は少し安心したのか、表情に微かにゆとりが生まれた。
一通りの談笑の後、至岳は農夫から御礼の品を受け取り、進路を近くの領主屋敷へと変えた。
空は煌々と蒼く、遠方にもうもうと入道雲が立ち上ぼる。
さあ、あと一刻もすれば降り始めよう。至岳は足早にその場を立ち去った。




