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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第五章・播州鬼騒動三【天文二十二年(1553年)~】
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06・播州鬼騒動三2-3


 そして、今に至る。


「お前も食べるか。さすがに一人でこの量は捌けそうにない」

「それでは一匹」


 控えめに、妻が一番小さな魚に手を伸ばしたので、機先を制して正満は皿の中で一番大きな鮎を手渡す。しげは少し驚いた様子だったが、夫からの贈り物に顔を綻ばせ躊躇うことなく鮎の尾を齧った。それを見て安心して新たな一匹に手を伸ばす。

 

 あまり自由の無い鞍掛山に嫁ぎはしたものの、元の場所よりは彼女の居心地は良いものらしい。

 今では、鮎でも何でも口に入れる事に抵抗はなく、厠で吐くようなこともない。


「一昨日…」

「どうした」

「一昨日の夜、佐用では田植えが終わり、お義父様が田楽師を呼ばれたそうです」

「父上が来たのか」

「いえ、お昼に正澄様が御見えになられ、幾分か時節の挨拶をしました」

「…………」


毎年田植えが終われば、秋の収穫期まで合戦の季節となる。考えれば、父が今の佐用を離れられるはずがない。村の催事が終わり、国境の警護と治安の安定に努めているに違いない。


「他に何か、叔父上は言っておられたか」

「そう、ですね。宇野殿の様子を尋ねられましたが、私にはさっぱりで……」

「…………」

「でも、もしかすれば今年は無事にやり越せるかも知れません」


 備後へ戻った尼子勢は、同地で毛利氏の先方衆を打ち破り、逆に安芸国まで攻め込んだらしい。

 今では国境の黒岩城付近、萩の瀬という場所で大雨に降られ、両軍は川を挟んで睨み合いを続いているそうだ。

 川が増水している間に、毛利軍は陶氏や大内氏残党に援軍を要請するだろう。

そうなれば、さしもの尼子勢も東進政策を諦めて、備後国境に向けて軍を集めざるを得まい。


「そうなれば良い、そのくらいの、女の浅はかな願いですが」

「いや、悪くない。道理だ。……それが一番理想的だな」


 鞍掛の城に来てから、妻は良く喋り善く笑う。こうして自分で物を考え、自分の意思を伝えてくれる。彼女の生き生きとした表情を見ると、この軟禁生活も、実はそう悪くないのかも知れない。

 正満は、少しだけ頬を緩めた。


「あの…、お前様、私の顔に何か付いていますか。あまり見られると、照れてしまいます」

「ああすまん。見とれていた」

「…………」


 しげが吹き出した。


「おい笑うな。そんなに変なことを言った覚えはないぞ」

「…………」


 盛夏、束の間の川風が涼風となって吹き抜ける。西播磨の山々は隣国の生野、明延鉱山群から延びる鉱脈筋に当たる山も多く、正満も幾つかの箇所で試し掘りをしたことがある。山の清水が集まり、中腹の沈殿池には付近を流れる夢前川の蛍も集う。

 しげは、少女の様にくすくす笑いながら、甘えたがりの夫の髪に手を伸ばした。


「こら止めろ。魚臭くなるだろう」

「あらあら。逃げないで下さい。…ほら捕まえた」


 明るい月の下、正満の髪には、何処から飛んで来たのか、一匹の蛍が紛れ込んでいた。

 蝋燭色の部屋に、ぼうっと蛍の光が瞬く。


「ふふふ、やっぱり夕涼みです」

「…………」


 正満の敗けだった。

 彼は強制的に寝転ばされ、おとなしく妻の手慰みに付き合うことにした。


「お前様」

「何だ」

「お嫌でしたら、いつでも言って下さいね。しげは、お前様を優先します」


 気を良くしたのか、しげは夫の髪を優しくさらさらと撫で上げる。


「それとお前さま、寝転びながら食べると、行儀が悪いそうですよ」

「…………」


 どの口がそんな言葉を紡ぐのか。

 少し元気が良過ぎるかも知れない。正満は妻の膝に顔を埋め、その脇腹をつつくことで返事とした。この夜から暫く後、暑気払いの素麺が播磨でも出回る頃から、しげは再び嘔吐を繰り返すようになる。


 城内一致で彼女の看病に当たり、京都から有名な医師を呼んだりもするのだが、彼女の容態は一向に快方に向かわず、むしろ悪化していく。


 後になって分かるのだが、実に滑稽なやりとり。

 昔の様に追いつめられたのではなく、彼女の嘔吐は、その身体に新たな命が宿った顕れだった。

 まもなく彼女の懐妊が判明する。


 夜鳴きの蝉が、試掘途中の篝火にジジリと飛び込んだ。


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