06・播州鬼騒動三1-1
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天文二十二年五月二日(1553年6月12日)。
皐月は、古い日本語で耕作を意味する月だという。
古くは梅雨の晴れ間を以て五月晴れと呼び、その言葉の響きにからりと乾いた晴天の色はない。そしてこの日も雨が降り続ける。
天候は安定、例年通りの梅雨模様。
しとしととした雨脚に併せ、時折叩き付ける様な豪雨を繰り返す五月の雨に包まれ、佐用村は田植えの最盛期を迎えていた。村人達は比較的山深い箇所から早苗を植え始め、家族総出、あるいは地域総出となって村の中心部に向かって列を作る。
若い衆も年寄り連中も、彼らは全身ずぶ濡れになりながらもその手には今年一年の所得を得る楽しみが滲んでいる。畦道の端に植えられた栗の木が満開を迎え、やがてこの花が散り終わる頃までには村全体が若い稲を擁する水鏡を湛えるだろう。
「ほうっ、ほうっ」
用水路を流れる水量が増す中で、大人の笠蓑を借りた子らが夕餉の実にしようとしてか、何処からか流れてきた沢蟹を捕まる数を競って声を挙げていた。
佐用村は、久方ぶりに戦のない五月を迎えている。
「……花、成果はどうだ」
七条政範の声を聞いて、五人ばかりの子供のうち一人の少女が振り返った。彼女の手には三角ふんどしの大きな雄蟹が握られている。先程獲れたばかりらしい。少女は自分の戦果を大事そうに政範の持つ魚籠の中へと収めた。
「立派じゃないか。これは嬉しいな」
政範に笠をとんとんと叩かれて、少女は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
腹が減っては戦は出来ないが、戦が無くとも腹は減る。屋敷に入る作物には限りはあるが育ち盛りの彼らの食欲には際限がない。孤児の多い七条屋敷において、子供の食事というものは常に一つの課題となっていた。故に子供は子供で思うことがあるのだろう。
「さ、皆もそろそろ本降りになりそうだ。風邪を引かないように」
そこら中の草むらで、カエル達が楽しげに歌い始める。降りしきる雨に導かれ、産卵目的の青蛙達は山から下りてくる。初夏の村は彼らとの大合唱が包まれ、内乱、内紛に明け暮れる戦国の世であっても、人も動物も、その生の営みは絶やすことはない。
政範は子供たちをまとめ上げると、女手の待つ七条屋敷へと足を向ける。
通例こうした役割は年長の子供や乳母など、集落の誰かに任せ政範も田植えの手伝いに駆り出されそうなものだが、この年の七条屋敷での子の面倒見は政範に割り当てられていた。
それは、田植えに前に呼ばれた京下りの田楽能の興行師達の噂話に由来する。全国各地を行脚する彼らなのだが、五穀豊穣を祈念する旅の最中、近くの村人から不可解な鬼の目撃談を小耳に挟んだらしい。




