05・播州鬼騒動二2-2
「御坊、お帰りでしたか」
少女が自分の顔に掛かっている黒布を退けると、途端に眩い光が瞳に刺さる。
「……痛たた」
「馬鹿者。目が焼けるぞ」
涙でぼやける少女の視線の先、背を向けて囲炉裏端にうずくまる墨染めの袈裟姿が見えた。
胸元に何かを抱え、がさごそと火に近づけたり遠ざけたりしている。
「何をしているの」
「ん、ああ……。里から持ち寄ったんだが、この寒さにやられてな」
振り返った雲水が抱えていたのは、小さな壷。中から焙じた炒り豆の香ばしい香りがした。
「炭と水もある。後で確認しておいてくれ。なるべく火は絶やすな。……凍えるぞ」
「いつもありがとう」
雲水は頷いて応じ、軽く壺の中に塩を降った。少女達は、何故この禅僧がこうして自分達に献身的に世話を焼いてくれているか、その理由を知らされていない。ただ、少女が物心ついた頃、禅僧が母と日常的な付き合いのある関係だったと聞かされていたため、彼が悪人ではないということだけは知っていた
母とは生前どんな間柄だったのか、興味はあったが無理に聞き出そうとは思わなかった。
何となく、聞けば雲水が答えに詰まってしまう様にも思えた。
だから、何も聞いていないし、何も知らない。
それよりも、雲水の土産には金銭や物資と同じぐらい楽しみにしていたものがあった。
それは、集落の外の話。近隣の国々の世情や噂など、平時、人付き合いの少ない少女にとって、雲水は世間を知る貴重な話し相手だった。
「…………」
彼の厚意に感謝し、雪は静かに頭を下げた。
「気にするな。それより起きるなら摘まめ。馳走というにはちと侘しいが、腹は膨れる」
「うん」
ざらざらと木製の盆に、壺の中身をばら蒔く。
ほんの一握りの大豆だが、それでも雲水が数日間の托鉢で集めた貴重な食料には変わりない。
以前、妹から隣国で種籾すらも食い尽くし、身売りや餓死者が出たという話をしていたのを思い出した。
「どうした難しい顔をして。何か悩み事でも在るのか」
「……ううん、食べれるって有り難いなと思って」
「そうだな」
雲水は新たに一掴みの豆を取り出し、炒り始めた。
「御坊」
「なんだ」
「御坊は、今度は何処に行ってたの。久しぶりに顔を見た気がする」
少女の頭もはっきりしてきたらしい。口調も先程より快活になっていた。
「京の都だ。少し前から、古い知り合いに呼ばれてな」
「その話、聞かせて貰ってもいい」
京という単語を聞いた少女の目が輝き、雲水は思わず苦笑した。外に出れぬ身であれば尚のこと、彼女の外界への憧憬は人一倍強いのかもしれない。
「……構わんよ。しかし大して面白くはないと思う。それでも良いか」
「平気。時間なら沢山あるもの」
「…………」
喜色満面の少女には悪いのだが、生憎と、雲水が先日訪れた実際の京の様相は、彼女の思い描く華やかな都の姿とは、あまりにも遠くかけ離れている。しかし、そこが政治の中枢で在り続ける限り、いつ播磨国にも中央からの影響が及ぶとも限らない。
夢とは異なる現実を、徐々にでも教えなくてはならない。
ならば、郡内全域が深い雪に閉ざされた今日この日は、普段出来ない話をするのには絶好の機会ともいえた。
ならば何から話そうか。
雲水は炒り豆を一つ摘まみ、焼け具合を確かめた。塩加減も丁度良い塩梅だった。
「……妹御を起こしてくれ。折角なら、ゆっくり飯を食べながら話そうか」
「うん」
結局、雪はその後断続的に一両日降り続け、集落間の交通を完全に閉ざし、三人は暫く外に出ることは叶わなかった。