04・播州鬼騒動一1-3
尼子の大東征後、十数年を経ても尚、西国には安定の兆しが微塵もない。
むしろ、年を追う毎に混迷さばかりが深みを増している。
昨年の天文二十年には、これまで西国の抑止力として働いていた周防長門の大大名大内義隆が、山口大寧寺で家臣の陶晴賢によって暗殺されていた。
この事件は、西国全土に大きな波紋を投げ掛けた。
安芸の小領主の毛利氏は、この機に乗じて独立を図ろうと模索し、仇敵尼子氏の上層部内においても今後を巡って穏健派と武闘派の対立が激化したという。遠く、周防長門の国内情勢は播磨南部の港町や街道を通る旅人を通じて、佐用郡の人々の耳にも入っていた。
だが一方で、当の播磨ではどうだったかと問われれば、何も動き出せていない。
播磨守護職の栄位も、天文年間の尼子の大東征以降は名実共に尼子氏のものとなり、赤松総領家はただの地方豪族のひとつへと転落。かつての権威も今は久しい。さらに国境では赤松家と隣国備前の浦上氏との軋轢が再燃し、事ある毎に両軍は小競り合いを繰り返し、その都度、佐用郡の地侍達が矢面に立たされていた。
厭戦気分が蔓延した郡内では、赤松家の名を聞くだけで眉をひそめる村人も多いと聞く。
もしも政範の父、七条政元が尼子大東征の後、こうした郡内の村々を見捨てていたならば、早晩に佐用郡全域は赤松家を見限り、今でも尼子の領土となっていたに違いない。
彼らは赤松家に味方しているのではなく、七条政元という個人に信を置いていた。
領内に立ち込める陰鬱な空気を払拭しようと、赤松家当主は京の将軍足利義晴から一字を賜り、その名を赤松晴政と改めたが、庶民の失笑を買うだけの結果に終わっていた。赤松家の威信はそれほどまでに凋落していた。
だが今だけは、生きて佐用郡の地を踏めた事を二人は喜んでいた。
「懐かしいな」
「…………」
七条屋敷の山茶花の生け垣は、十数年の時を経ても、まだ往年の姿を保っていた。
あの日、雑兵達が切り落とした場所が小柴垣に変えられていたが、樹木の立ち位置は正澄の記憶の通りだった。茅葺き屋根の正門をくぐり、いまひとつ手入れの行き届いていない冬枯れの庭を通って、母屋に至る。
「……早いな、昼に来ると報告を承けていたんだが」
玄関先で眠そうな屋敷の主が立っていた。政元も早朝からの来訪は寝耳に水だったらしい。
つい今仕方、配下の者に叩き起こされ、目脂の付いた目頭を擦っていた。
「兄上、お元気そうで。残念ながら、今の敵味方の区別がつかぬ情勢下では、用心に越したことはありません」
「まあ、理屈ではそうだがな」
「それに、事を慎重に進めよと申されたのは兄上の方でしょう」
政元は閉口しながらも、正澄の言葉に頷かざるを得ない。
正澄と政元は育ての親は同じであるが、実際には一回り半以上も歳が離れていた。
知らぬ者が見れば、息子に叱られる駄目親父にも見えないこともない。
事情の分からぬ家人逹が、朝飼の用意をそっちのけて野次馬根性で見守っているのに気づき、政範が一睨み利かせると、彼らはこそこそと屋敷の奥へと去っていった。
「……父上、ここは人目に付きます。話ならばもう少し、静かな場所で」
「そうだな。まあ上がれ。それぞれの部屋を離れに用意している。適当に使ってくれ」
本来であれば、息子は別にしても、同じ一門衆の正澄には他の家屋を準備することが礼儀かも知れない。しかし、今の七条家の領内情勢では、そうした物質的な余裕など二の次三の次。
兎角、人間は生きているだけで消費する生き物。政元の家臣の中には、昨今の戦火で家を焼け出されて近くの出城の倉庫に家族で新たな居を構えた者もいる。ましてや、臣下が死ねば、その分だけ慰問に金が必要となる。逼迫する七条の台所事情を知っているためか、正澄は特に気分を害した様子もなく、兄に深く頭を下げて框を上がった。
二人が部屋に落ち着き、朝食の呼び声で客間に通されると、政元も領主の顔に戻っていた。




