プロローグ1-3
「……そういえば、この山の名の由来を知ってるかい?」
車窓から夜景を見下ろす私に、A青年が、ふと思いついた様に尋ねてきた。
「否、お恥ずかしながら。そもそも山の名前自体知りません」
「ははっ、これは一本取られた。先刻からカーブが多いと感じるかも知れないけれど、これは山自体が随分と凸凹な形状をしている所為なんだ」
言われてみれば、確かに。ここまで道中、私達は何度となく左右への遠心力を感じていた。
「土地の昔話だと、なんでも、この山には大きな蛇が住み着いていたそうだ」
「爬虫類系は苦手です」
「あはは。で、昔々大蛇が大暴れをした際に、今のように手で撫でられたような奇妙な凹凸が出来上がり、この山は大撫山と呼ばれるようになったそうだ」
「…………」
「とは言え、今は昔話を話せる人間も減ったせいで、地元でもあまり知らない者もいるけどね」
「…はあ」
「まあ、実際に山を変形させる程の巨大な蛇なら、その食費だけで村の一つ二つすぐ消えてしまうから、現実的な若者には興味は無いかも知れんけどな」
「随分ぶっちゃけますね」
「いや、この話には実は続きがあるんだよ。君はヤマタノオロチの伝説を知ってるかい?」
八岐大蛇。
日本神話に登場する空想上の怪物。
その名前の通り、八つの首を持つ大きな蛇で、神話の中では、毎年若い娘を生け贄に求め、出雲の人々を苦しめる悪役として紹介されている。性格は粗暴で悪辣。近隣の村々に生贄を要求していたのだが、七年目の人身御供の日、出雲を訪れた英雄の手によって、大酒呑みの性質を逆手に取られて斬り殺される。
出雲を救った英雄の名前はスサノオノミコト。後の大国主として名を馳せ、この八岐大蛇の話は、彼の若き日の冒険譚の一つとして広く知られている。
「ええと、尻尾の剣が、草薙剣のあれですね」
「お、知ってるのか。なら話が早い。それで、君はヤマタノオロチは実在したと思うかい?」
いつか何処かで聞いた話。
この場合の蛇は、古代出雲の製鉄技術や、土地を潤していた河川の暗喩。もしくは当時の出雲政権と北陸諸国との戦争を口伝として伝えた伝承ではないかと、未だに多くの議論が続けられているのだと、片齧りの知識を答えた。
つい最近知った、テレビの中の専門家の受け売りでしかない。
「ええと確か、あれは出雲地方を治めていた豪族の話、という説もありますね。ヤマタは山多、あるいは複数の意味を持っていて定型出来ないとか」
「……最近の学生は、また博学だね。良い傾向だ」
青年は楽しそうに、くすりと笑った。
「いやいや、それだけ知ってれば充分だ」
「それが何か?」
「いやさ、この山にも『蛇』に関係する伝説があるだろう?」
「もし本当に何か出てきたら、現代版シュリーマンの登場ですね」
「……ふむふむ、けれども事実は小説より奇なり。何年か前、実際に偉い学者さん達がこの山に来て、古代の伝承に従って遺跡を探したことがある。そしたら、出るわ出るわ」
発掘されたのは、古い時代の製鉄所。
後世、たたら場と呼ばれる遺構がこの山の谷筋から複数の場所で発見されている。地元の伝説と意外と符号する箇所も多く、深く聞けば、長尾や金近など伝承関連を裏付ける地名が現代においても幾つも残されているのだそうだ。