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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第三章・播州鬼騒動一【天文二十一年(1552年)~】
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04・播州鬼騒動一1-2

「…………」

「若、何かありましたか」


 年長の行商人は、笈の中から直垂を取り出し、若者に投げて寄越した。


「……あれを」


 若者の視線の先、番所のすぐ脇には、三体の遺体に蓆の覆いが掛けられている。流民の親子らしい。無造作に積み重ねられ、骨と皮ばかり痩せた足が筵から飛び出していた。


「ああ、夏の影響でしょうな」


 番兵は、今更行き倒れなど珍しくないといった態度で特に気にも留めた様子もない。戦国期から江戸期にかけては小氷河期に位置する。全世界的に気候が安定しなかった時代。当時の記録を見ても、全国の作物の出来が良くない年も多かった。

 この夏も西国では気温があまり上がらず、冬を越せないことを知った者が故郷を捨て、力尽きた。


「あまり気になされますな。彼らには運がなかったのです」

「…………」

「可哀想かも知れませんが、それが彼らの人生なのです」


 無縁仏。素性の知れぬあの流れの親子は、一度埋められてしまえばそのまま名も知らぬ土地の土となる。二度と誰からも弔われることもない。若と呼ばれた年少の者は、この憐れな家族に一礼をしてから引き戸を開けた。


「叔父上、この先の村も同じような状態なのですか」

「否、それほどでも。先行された父君からは、年貢の割合を減らせば何とか今年の冬を越せるらしい、とは聞いてはいます」

「…………」

「……とは言え、播磨は気候に富んだ国。若の育ってきた海沿いとは、どうにも勝手が違いましょう」


 年長の者が言う通り、播磨の風土は幅が広い。山一つ、峠一つ越しただけで土地の気性が変化し、気温や降雨量にも大きな差が見られるようになる。大まか分類するならば、南部の海沿いが温暖な瀬戸内の穏やかな気候、北部が寒冷な山地の気候。同じ佐用郡内においてすら、本格的な冬が訪れれば、腰までの雪が積もる地域から毎日快晴の続く地域まで格段の差があるのだという。


「実際にこの目で確かめるまでは分からない、と」

「ええ、若。その通りです」


 百聞は一見にしかず。

 

 会話が終わり、二人は黙って直垂に袖を通すと変装は終わり。烏帽子を被り、正装へと着替える。

 地侍姿となった二人は番兵達に礼を述べて関所を後にした。


 坂を下れば再び枯木の林道が続く。村を目視出来るまでには、狭い道も次第に開け、流れの穏やかな川沿いの道に出るだろう。川面からは、白い湯気の様な水蒸気が幾筋も立ち上ぼり、見渡す限り一面が霧に覆われていた。


 佐用の朝霧、丹波の夜霧。

 

 丹波一国と並び評される佐用村の冬の名物は、気温が上がる昼近くまで村の全てを覆い隠す。


「これが、佐用郡という土地の自然なのです」

「…………」

「正直なところ、再びこの村の霧を見るとは思いませなんだ」


 若者は自然の魅せる現象に素直に嘆息し、年長の者は苦労と積年の思いを溜息に混ぜる。

 

 若者の名は、七条政範(ななじょうまさのり)

 

 七条政元の次男、赤松総領家当主の甥にしてこの物語は彼を主軸に廻り始める。

 政範はまだ元服の青臭さが消えず、子供らしさが残る青年はかつてこの村を襲った尼子軍との戦を知らない。

 

 年長の者は、高島正澄(たかしままさずみ)

 

 彼は、佐用家当主・佐用則答の実子に当たり、七条政元の義兄弟となる。甥の政範の補佐役を任じられていた。

 それぞれ姓が違うが、彼らは同じ赤松家の一門衆。


 十五年前、正澄が政範ぐらいの時分には、備前国境で大敗した赤松兵の一団が殿軍となり、友軍が龍野に落ち延びるまでの時間を稼ごうと熊見の川を挟んで最後の防衛線を敷き、尼子の大軍を前にその多くが命を落とした。川沿いでは戦後あちこちに小石が積み上げられ、戦死者達が悼まれた。


 だが、それも今では総てが崩れ去り、往事を偲べるものはもう何も残されていない。正澄がかつて死を覚悟した坂下の川瀬も、今は何事も無かったかのように静かに流れ続けていた。


「さあ、そろそろ向かいましょうか。政元様もお待ちでしょう」


 村に入ると、早朝から舟引人夫が起き出し、舟の点検を行っていた。

 彼らは、川の行き来を生業とし、川を一日何度も上り下りする。それだけに、毎日の点検を欠かさず、荒々しい顔立ちの人夫であっても作業に余念がない。

 二人が人夫に七条家の館の場所を尋ねると、彼は顎を使って憮然と答えた。

 若い政範が、人夫の横柄な態度に憤慨し、掴みかかろうとするのを、正澄が寸でのところで止めた。


「若、お止め下さい」

「……しかし」


 まだ何かを口にする政範をたしなめ、正澄は礼を言って船着き場を後にする。

 こうした人夫の横柄な態度こそが、この土地での統治者に対する嫌悪感を如実に物語っていた。


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