03・雲州尼子大東征2-3
およそ半刻、死兵と化した七条隊の猛威は、戦場を支配してみせた。
それでも時間が経てば、やはり戦況は数の勝る尼子勢に徐々に傾いた。動作の鈍り始めた七条の兵士は戦場で孤立し、一人、また一人と討ち取られた。指揮官の政元ですら、供も連れず山側まで追われ、たった一人で数人相手に斬り結ぶ事態に陥っていた。
政元の足取りは重く、動きには精彩がない。七枚の草摺が大きく裂け、大腿部から赤い肉が覗き、血染めの脚半を引きずりながら、それでも彼は二本の槍を操ってみせた。絡まる政元に足を狙う雑兵の槍が地面に弾け、避けきれずに佩盾が宙を舞う。
体勢を崩した政元は、咄嗟に右手で相手の槍の穂先を掴むとずいと引き寄せた。
思わぬ行動に、雑兵がつんのめると、すれ違い様に左手の槍で口腔内から後頭部まで一気に刺し貫く。その衝撃に耐えず槍は柄から音を立てて折れ、脊髄を切断された雑兵の身体がびくりと大きく跳ね、糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちた。
あっという間の出来事に、尼子兵は崩れる仲間を見つめたまま駆け寄ろうともせず、ただ一部始終を呆然と眺めていた。
しかし、それが政元の最後の抵抗だった。
一度尻餅をついてしまうと、今度は力が抜けて、思うように踏ん張りが利かない。政元は自力で立ち上がることが出来ないことを悟ると、残り片方の槍の柄を短く折り、座り込んでもなお相手に対峙してみせた。
尼子の雑兵達もやっと現状を理解したらしい。
好機と見るや、直ぐに徒党を組み直し、じりじりと彼ににじり寄った。
後は死を待つのみ。
だが、気まぐれな戦場の神は政元の味方をした。
突如、山の稜線から大音響の怒声が挙がる。
何事かと振り返れば、木々の合間からは、青い三つ巴の赤松軍旗が立ち並び、真っ直ぐ麓に向かって駆け降りてくる。山間から現れた謎の軍勢は群がる尼子兵も蹴散らすと、その内の一人が政元を担ぎ上げた。続いて、周囲の林からも新たな兵士が次々に吶喊し、戦場で孤立していた七条隊の救助に向かい始めた。
何処の所属か。政元が礼を述べようとすると、彼を背負った兵士は照れ臭そうに右手を見せた。
―――そこには有るべきものが無い。
兵士の右手首から先は無惨にも切り落とされ、茶褐色に固まった布きれで覆われていた。はっとして見渡せば、山から飛び出す軍勢には、隻腕の者やびっこを引く者達が友軍と寄り添い合い、尼子軍の中へ果敢に挑んでいく。鎧具足も欠けていたり、武器すら持てない者ですら僅かな時間を稼ぐために肉弾戦を挑もうとしていた。
はっと、政元は悟った。
彼が援軍だと思った軍勢は、彼が守ろうとしていた負傷者達の特攻だった。
仲間の窮状を知った彼らは、足手まといとなるよりもまだ無事な者達の身代わりとなることを選んだ。
彼らの決意を無駄にしてはならない。政元は動ける者を集めると、未だ自分達を逃がそうと奮闘し続ける者に一礼し、全軍に退却命令を下す。
そうはさせじと尼子勢も後を追うが、今度は枯草の茂みから伏兵が飛び出し、自分達の大将を守ろうと追い縋った。この伏兵には足を失った者が選ばれていた。
短弓や長槍で武装し、生きる罠として草陰から決死の足止めを行なわれた。
負傷兵達は皆、穏やかな笑顔で撤退する戦友を見送ると、迫り来る尼子勢の囮となり、その命を散らせた。
彼らの犠牲の上で、七条隊の撤退は始められ、誰もが必死で東を目指した。
多数の犠牲者が出た。
伝承では、尼子勢はこの国境での戦において、百六十余りの赤松兵の首級を挙げている。
結成時の総数五百の七条隊からすれば、その数は壊滅的な損害と言っても過言ではない。
しかし一方で、肝心の七条政元の首を取ることが出来ず、尼子領内となった播磨国境では、政元出没の噂があちこちで飛び交い、悩ませられ続けたと伝えられている。
実際のところ、政元は、退却を始めてすぐ足の傷から来る高熱で意識を失い、仲間に負ぶわれながら国境を越えている。赤松領内まで落ち延びた彼は、佐用氏の館に運び込まれると医者があてがわれ、倍ほどに膨れ上がった足の治療が行われた。
不衛生な環境での戦傷ということもあり、足の傷は酷く化膿していて、医者が切り込みを入れた傷口からは、大ぶりの手桶を半ばまで満たす膿が流れ出た。
あと数日遅ければ、確実に彼は片足を失っていただろう。
その後も高熱は続き、意識不明の政元はこんこんと眠り続けた。
「兄は、平気なのですか」
「……残念ながら、熱が下がるまでは何とも言えません。本人次第でしょうな」
「そうですか」
医者が持てる限りの力を尽くした以上、後は神仏に祈るより手の打ちようがない。
遥々駆けつけた赤松家当主・赤松晴政は、新たな陣羽織を兄の枕元に置くと、すっくと立ち上がった。
「やはり、行かれますか」
「ええ、兄の努力を無駄には出来ませんから」
「晴政様、必ずや御武運を……」
「必ずや」
医者に礼を言い、やや多目の金銭を握らせると、晴政は足早に佐用氏の屋敷を後にした。
手がかじかみ川凍る夜、晴政と入れ替わりに一陣の風が火鉢の炭を一瞬だけ紅く燃え上がらせた。
「今年は、雪が遅いのですかな」
医者の独白に答える者はいない。
「……そういえば、もうすぐ正月でしたか」
医者は禿げた頭を掻きながら、今更の様に気がついた。
やがて彼も政元の部屋を立ち去ると、用意された私室に戻っていく。
政元の部屋を吹き抜けた風は、しばらく煙と戯れると、やがて夜の暗がりへと消えていった。
生還者、僅か四十数名。逃亡者と行方不明者は数知れず。
部隊の損耗率は九割を超え、辛くも逃げ延びた他の生存者達も、そのほとんどが栄養失調や衰弱で疲弊困憊の状態。尼子本隊との決戦までの戦線復帰は望めそうになかった。播磨国境を舞台にした戦死者の中には、一宮安積氏、佐用福原氏など赤松家重臣が含まれ、こうした播磨国人衆の被害はその後の復興の際にも深く影を落とすことになる。
天文六年、国境線を巡る一連の攻防は、こうして終わりを迎えたのである。




