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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第二章・雲州尼子大東征【天文六年~八年(1537年~1539年)】
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03・雲州尼子大東征1-3

  

 しかし尼子勢の気概を躱すべく、同盟軍は無理に攻め立てない。

 

 気を張って見張りを続ける番兵の横では、狂い咲きの山桜が一輪風に揺れている。

 そんなの静寂の中で、政元らが既に仕込みを全てを終わらせていたが、それに気付いた者はいなかった。

 

 まず最初に異変を感じたのは、見張りの者だった。

 夜中になって吐き気や下痢を訴えて、宿営地では陣を離れる兵士が続出していた。

 すぐに上官に知らせが行き、水あたりや疫病が疑われたが、調べてみれば原因はそうではない。

 

 調査の結果、幾つかの水瓶の底から数匹の野ネズミの死骸が見つかり、彼らの入水自殺が腹痛の原因だと判明し、この話を聞いて、病魔の心配はないことに多くの者が安堵していた。

 

 何も珍しくない。秋の山の実りが少ない時期には、ネズミ達は食糧を求め、大群で里を襲った事例も多い。今回もそうしたことだろうと、運の無いことだと文句を言いながら、ネズミ入りの水を棄て終わるとその晩の夜回りの者が再度水汲みを命じられた。

 

 再び兵士に休息を取らせる様に、指示が出たことで再び宿営地は眠りに落ちるのだが、尼子兵の慌てふためく様をほくそ笑む人影があった。

 

 その手には、先ほどのネズミの死骸が握られていた。

 

 尼子兵は気付かなかったが、よくよく見ればネズミは不自然に頬を膨らませ、その口をこじ開けると、口腔内からは半ば溶解した丸薬が取り出された。人影は丸薬を踏みつけ土に混ぜて証拠を消すと、藪の中にネズミの死骸を投げ捨て、自らも見張りに腹痛を訴えて陣から姿を消した。

 

 この夜、件の毒薬入りの水を飲んだ尼子兵は激しい下痢に見舞われ、戦線に戻ることが出来ず、しばらく腹痛を訴える友軍の兵士の看病にもかなりの人員が裂かれることとなる。


 尼子兵に紛れた七条隊の面々が用便を訴えてから再度陣に戻らなかったが、さしもの尼子軍にも敵地で深追いする勇気はなかった。

 

 この夜の異変は、腹痛騒ぎだけに止まらない。

 

 しばらくして、今度は水汲みの者がいつまで経っても帰らないという報告が入った。

 近くに水源が無いため、少し離れた湧水地まで戻ったらしいのだが、以降全くの音沙汰なし。新たに二、三組の増援を送るのだが、彼らもまた夜の山に溶けて戻らなかった。言い知れぬ不安に駆られた尼子勢は、更に見張りの手の者を増やし、篝火を爛々と焚くことで闇夜の不気味さを払拭しようとした。

 

 疑心暗鬼を生ず。


 この状況こそ、山野に潜んだ赤松勢が待ち望んだものだった。

 突如、数ヵ所で爆音が響き渡り、頭から火の粉を浴びた足軽がのたうち回る絶叫が響き渡った。

 

 寝入り始めを兵士を叩き起こされ、現場に集まると、今度は奥の兵糧集積場から火が出た。慌てて駆け寄れば、油でも蒔かれたのか、集積場全体が紅蓮の炎に包まれて最早手の施しようがない。もうもうと黒煙を上げて燃える兵糧を前に、尼子勢は呆然と立ち竦むしかなかった。


 極めつけは、火災騒ぎに追い討ちをかけるように、突然陣内各所で同士討ちが始まったことだろう。

 彼らは口々に誰それが裏切り者だと叫び、手当たり次第に味方を斬り倒していく。混乱は最高潮を迎え、指揮官らが混乱を治めようとするが、周囲の林から石つぶてや矢の雨が降り注ぐ。

 

 そのあとは、恐慌状態で軍の様相を呈さない者だけが残されていた。

 

 悲惨な同士討ちは夜通し続き、日が昇るにつれて、惨劇の一部始終が明らかになった。矢傷が原因で亡くなった者、互いを刺し貫いて果てた者、混乱で火に巻かれた者など、宿営地は目を覆わんばかりの惨状が広がっていた。

 

 結局この日、尼子の増援は多くの遺体を放置したまま、美作国境まで退却する羽目に陥った。

 朝焼けに照らされながら引き上げる軍勢を、高台の上から炭まみれの顔の政元が見下ろしていた。


「政元様、お疲れで御座います。上々の戦果でしたな」

「ああ、悪くないな」


 満足げな政元に対し、傍らの副官の声色は低い。


「ですが、次回からは相手も警戒致します。いつもこの様に上手く行くとは限りません」

「…………」

「次の出陣ではご自身で動くことはお控えください」

「……善処はするさ」


 心配性の副官に、政元は冗談混じりに水筒にネズミの死骸が入ってないかと確認してみせた。

 副官は驚いたが、やがて笑顔を浮かべると、同時に呆れた顔をしてみせた。

 相変わらず最前線の同盟軍は押され続け、尼子本隊の猛攻を前に、少なくない被害を出し続けている。


 この夜の戦いは、その中で得た同盟軍側の、小さくとも大きな勝利だった。



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