32・出雲尼子氏崩壊3-3
「なるほど。それは一理ある。回避するにはどうすれば良い」
「畏れながら。東播磨において、別所の軍勢は今後も亀の如く城に固く閉じこもり、三好様の軍が根を上げるまで待つ腹積もりであろうかと存ずる。ならば播磨の者は相手の根比べに無理に付き合う必要はなく、こちらの面子が立つ数を残して余分な者を帰し、交代々々で休ませるべきではないかと存じ上げる。」
「そうして戻した兵士らを故郷に戻し、今後に備えさせねば。東にばかりに気を取られている時間はありませぬ。」
いかにも、そうすることで御屋形様の心配りに恩義を感じる者どもも多かろう、と誰かが言葉を続けた。困窮する台所事情、経費削減に繋がり播磨諸侯の意気も保てるのであれば八方よし。赤松惣領家としては決して悪い話ではない。
「あい分かった。その方らに異論が無ければ自分もそのように父上に取り継ごう。誰ぞ播磨に戻りたい者は居るか。」
これが結論となった。
義祐の言葉に、国内外で尼子勢力に領地が面する者ばかりが先ず最初にばらばらと名乗りを上げた。尼子の政変を聞いて気が気ではないのは何処も同じ。小勢力が寄り集まる播州諸侯は、どの顔触れからも一刻も早く領地に戻り情勢を確認しにいかねば気がすまぬという焦りの色が浮かんでいた。
「……気が早いな。三好様に許可を得る必要もある。急ぎ支度をさせる故、それまでは細やかだが酒宴を楽しんでくれ。」
そういうと義祐は二度手を叩いて酒宴を再開させた。
この日用意された料理は、米の椀に香の物が少々。そこに炙った豆味噌と水で戻した鱈の干物を添えさせただけという非常に侘しい肴ではあったが、それでも酒の力は偉大で、酒は集まった者たちの心に束の間の癒しを与え、僅かばかりであるが士気を上げさせた。
夜には、各陣でも酒で浸した焦がし麦飯が兵士らにも振る舞われ、薪木を囲み、めいめいが麦飯を水や湯に溶かして久方ぶりに酒の味を楽しんだというが、唯一、警護の者だけは、寒風吹きさらしの中でも薪を制限された篝火の前に立ち、温められた一杯の甘酒を片手に震えながら夜を明かしたとされている。
それから三日の後、三好家から正式な返答があり、明石氏の籠る枝吉城を西から攻囲することを条件に、西播磨諸侯の帰郷が認められた。
兵糧の備蓄を終えた赤松軍は再度高砂方面への陣替えを始め、義祐ら上層部は戦地での年越しを決めた。
この枝吉城攻囲戦においては、いつの時期かは不明だが、慢性的に戦費が不足していた赤松軍では、城攻めが終わると同時に赤松の兵士が率先して矢の回収に向かい、矢拾いで生活費の足しにしようと考えていた近隣の農民らが閉口していたという話と、赤松義祐が直々に矢を拾い集め、なんとか自軍の矢の工面しようとして、総大将たる者は妄りに陣を離れるべからずと、重臣から注意を受けたという二つの話が伝わる。
どちらも後世の創作で眉唾物ではあるが、この頃の赤松惣領家の資金繰りを考えれば、実のところ無い話ではないところに地方大名の悲哀を感じる。
西播磨において、七条政範に関する記録としては、一応天文廿三年十一月の下旬には政範が佐用郡に戻り、体調を崩した祖父に代わって叔父の高嶋正澄と共に政務に当たったというが、それ以外の詳細は分からない。
以降は多くの歴史書が残す通り、この年の播磨戦線について、軍事面ではこれ以上目立った動きはなく、西播諸侯は次の年の戦までしばしの準備期間が与えられた。




