32・出雲尼子氏崩壊2-2
潮流に乗って再び海に帰る明石の男たちを見送りながら、政範は糒を口に含む。
通常、この手の野戦食は大量の湯か水で戻す。あるいは、調理に使用する薪炭代すら惜しむのであれば、今の赤松軍のようにめいめいが口の中の水分を使ってこれでもかとふやかして食す。
しかし、この日ばかりは違った。
炊いたひとつまみ分の米を薄く広げて煎餅状に仕上げ、さらに天日干しを行ったものを菜種の油で贅沢に揚げる。そこに藻塩をさらりと一振り。そうすることで、ポリポリと風味良く短時間で熱量を補給できる特製糧食の完成となる。
この糧食が、今日に限って下々の者にまで配給されていた。
「美味い」
荷揚げを終えたばかりの男達が、この厚手の和紙に包まれた黄金色の揚げ煎餅を懐から取り出し、まるで宝物を抱えるようにして大事に大事に口に運ぶ。何日も風呂にも入れていない彼らだが、食事の楽しみは残されている。味もへったくれも無い戦闘食が続く中で、こうした気配りは随分とありがたい。
こんな味な真似をする人物について、政範の心当たりは一人しか思い浮かばなかった。
「おお、これはこれは。佐用の若君」
「…………」
いつの間にか政範の前には、通称『鳥十』、鳥居十郎左衛門尉(後の鳥居職種)が立っていた。
「なにを見ておいでです。浜の女に目を奪われましたか」
軽口のような鳥十の言葉には、政範に対する一種の侮蔑が混じっていた。
確かに、荷揚げの終わった浜では藻塩を作るために打ち上げられた海藻を拾う女達の姿がちらほら見え始めている。波打ち際の彼女らが足先が濡れるのを嫌い、衣類の足先を捲り上げて日に焼けた素足を水に晒していた。その光景が鳥十には艶かしく感じられたらしい。
「戦を知る前に、女を知る。良い心がけです」
当時の常識として、将たる者は出陣前に女を知ることは禁忌とされている。鳥十は十二分にその当たりの事を知りながら政範を揶揄していた。
「…………」
この男と政範は互いに苦手意識を持つ。
その昔、政範の祖父赤松義村が家臣の浦上村宗に暗殺され、新たな赤松家の長が選ばれる際、村宗が『より与し易い』という理由で年長の政元から幼い晴政(当時は政祐)へと挿げ替えた事件が起きた。鳥居一族は、その事件において真っ先に村宗側に付き、政範の父を後腐れないよう辺境の佐用郡へ養子に出す提案を行っている。
良い意味でも悪い意味でも目端が利く。その才覚は、現当主の鳥十も存分に引き継がれていた。
「そもそも浜の女とは情の深い生き物。初めは簡単かもしれませんが、一度抱けば二度三度。引っ込みがつかず、やがては家を巻き込むほどに騒がれても困りましょう」
偏見が過ぎる。ここで「鳥居様は随分と女性にお詳しい。何か経験がお有りで」とやり返せるほどには政範は女性にも他人の悪意にも慣れていない。
ただ、苦手だ。という顔で受け流し、再び遠くの水平線に視線を移しながら、ぼんやりと鳥居の軍勢は加古表に出ていたのではないかと思考を巡らせる。
「…………」
「…………」
なんとも気まずい空気が漂い、無言の男二人が立ち尽くすばかりが、彼らがここに呼び出されたのには理由がある。赤松の本陣からの使者が到着するのはもう間もなくのことだった。




