31・西播怪談実記草稿十三4-2
「……もともとは近くの滝不動で参拝客相手の商売しておった者のようですが、戦が始まれば荷駄を運ぶ牛飼い目的に辻の白湯売りを始め、今日からは小屋まで建てて一杯一文の白湯に一串五文の団子も取り扱っていると聞いております」
三好軍上層部の来訪を何処からか聞きつけたらしい。
三好の上役が来るとなれば下々の兵士らも売り上げに貢献してくれるに違いない。なんとも商売熱心なことだ、と重則が呆れた溜め息を漏らす。つまりあの茶屋の主人は今しばらく戦らしい戦は無いと踏んでいる。
そして、恐らくその見立ては正しい。
「……城を取り囲んでいる、といえば聞こえは良いが、加古川方面の警戒はザルもザル。奴らは赤松の名を前面に押し出して協力を申し出る裏で、播磨の鼠どもは南の間道からコソコソと三木城内に支援を送っておる。こちらが攻めるに攻められんことを見越しての行動なんだろうよ」
腐っても鯛。
名実共に衰退を続ける赤松惣領家にふさわしい言葉だろう。
かつてこの辺り一帯を治めた赤松の血統がゆえに、赤松の名に畏敬の念を抱かぬ者はなく、それゆえに大なり小なり誰もが赤松の名の影響下に置かれるのだと重則は信じている。一種の信仰と言い換えてもよいかもしれない。
同時に、その信仰自体が決して無駄なものとは思わない。有馬とて赤松の縁者。最も高名な赤松円心入道の嫡男赤松則祐が五男有馬義祐の末裔となるため、むしろ至極当然のこととして諸人の赤松血統への信仰を受け止めている。
だからこそ、今回の有馬分家筋の重則が先んじて決めた戦を、有馬惣領家当主有馬村秀が快く思っていなかったことに対して強い不満を覚える。
有馬と別所の関係を考慮せずとも、この戦の主たる原因が、領地拡大の野望を隠さなかった別所氏側に有ることは誰の目にも明らかではないか。重則は重則として、摂津有馬氏を未来を生かすために行動を起こした。
だが戦の始まったばかりの頃、重則の決断を軽んじた村秀は重徳の言葉に耳を貸さず、協力要請にも頑として応じようとしなかった。村秀ら有馬惣領家が三好氏に接近しだしたのは、赤松家嫡男の赤松義祐が播磨の諸将を率いて明石に向かったという情報が出回ってのこと。
「……烏合の衆でもあるまいに。これでは、何のために『有馬』の姓を名乗ったかが分からぬわ」
重則が吐き捨てるように呟くと、あらてめて寺内の掃除を徹底させるように指示を飛ばす。
崩れかけの赤松家と比べるまでもない。飛ぶ鳥を落とす勢いの三好家の御歴々に失礼があっては今後に差し障りが出る。寺の小坊主にも接待に淀みが生じないように茶葉の在庫に余裕があるかまでを確認させた。
「わざわざ、あの茶屋のものを飲ませる必要もなかろう」
誰かの思惑通りになるのは面白くはない。
はたして翌日からは寺には三好の兵士が詰めかけた。門前の茶屋の主人は賑やかになった境内を見てほくそ笑むのだが、肝心の篠原親子の滞在が数日の前線視察のみに止まったことで、彼の目論見は外れた。やがて三好家一行が立ち去ったあとには元の有馬の兵士と荷駄隊しかおらず、茶屋は一服一文の白湯を売る商売を再開させ、一串五文が再び登場することはなかった。




