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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第廿七章・西播怪談実記草稿十三【天文廿三年十一月廿一日(1554年12月15日~】
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31・西播怪談実記草稿十三4-1

 

 ー4ー


 

 天文廿三年十一月廿一日(同12月15日)、播州の東端、三津田城。


 志染(しじみ)川(山田川)と淡河川の二つの河川に挟まれたこの城が、今では有馬・三好軍による三木攻めの東の最前線となっていた。


 一応、有馬軍の本陣は一里後方の淡河城に置かれている。だが、一里は近いようで遠い。淡河からではなく三津田の城内の高台に建てられた矢倉から見渡せば、西に二里ほどの三木城の東門がくっきりと見て取れる。欲を言えば、絶賛交戦中の三木城内も直接見渡せれば、とは思うが、さすがに間に山ひとつあっては内部の詳細までは分からない。


 しかし、それでもこの城を押さえておけば、三木城の東方面の動向をほぼ完全に網羅することができた。


「……ついに降り出したか」


 三津田城内、馬借らの手で次々と運び込まれる米俵に、一片(ひとひら)の雪が舞い落ちた。


 今日も今日とて、見張りの者らが亀の様に固く城門を閉ざした三木の東門の様子を伺っている。ふた月前、九月朔日の開戦当初、三好軍の支援を取り付けた有馬軍が難攻不落と恐れられた淡河城の攻略にも成功し、三津田を含めた旧美嚢郡淡河庄全域を手中に収めることができた。


だが、それ以降は別所軍に会戦の動きがなく、手持ち無沙汰となっていた。


「冬の使い、ですか。なにか温かいものを……」

「良い。それより篠原様に綿の夜着をお持ちしろ。くれぐれも失礼のないように。無ければないで代わりのものをお出ししろ。適当なものが見繕えなければ女御らから奪ってでも構わん。女どもに恨まれるよりも三好殿を怒らせる方が万倍も怖いわ」


 有馬家当主有馬重則が両手を口に当てながら掌の暖を取る。


 有馬の山岳地に比べれば、三木の平野部は少し気温は高いと聞いてはいたが、寒いものは寒い。今、この城は有馬軍が本陣を置く淡河城方面へと明石、須磨方面からの物資を送り込む中継地点としても機能している。今日も南の須磨の浦から荷揚げされたばかりの兵糧が、南のシブレ山の迂回路を経由して城内に運び込まれていた。


「この物資の量。さすがは三好様、といったところですかな」

「おう、まあ惜しみもなく、これだけ毎日毎日送り込んで下さることよ」


 兎角、冬場の戦は金がかかる。

 

 天気は曇り。雪降らせの黒雲が立ち込めれば、通常の煮炊き用だけでなく兵らを温めるために倍以上の炭薪が余分に要る。それは一地方領主としては見過ごせない経費となるのだが、既に次代の天下人とも目される三好家の手にかかれば炭薪の用意など造作もないことらしい。


「ほら、見ろ。民草もどこの誰に金があるかを良く理解している」 


 ちらりと重則が目を向けたのは、城の西にある寺。名を法嶺山満願寺という。


 満願寺には昨夜より三好軍向けの臨時の陣が設置され、今宵より三好之相(後の実休)麾下の篠原長房、右京進の親子が詰めることになっていた。その噂を何処からか聞きつけてきたのだろう。寺の門前には一軒の露店が建ち、『いっぷく一文』の幟が北風に揺れている。


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