31・西播怪談実記草稿十三1-1
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聞いた話では、播磨よりも北、信濃国の諏訪というところでは、冬ともなると囲炉裏の火までが凍るらしい。
そのために、諏訪の人々は冬場に囲炉裏の火が凍ったのを切り出しては度々温めなおし、翌年の春までの火種にするらしい。時折、物を知らぬ他国の旅人が、物珍しさのあまりに諏訪で囲炉裏の火を買うのだが、多くの者が旅をしている間に荷物の中に入れたまま忘れてしまい、大火傷をしたり商売道具を丸焼けになって難儀する。
それが信濃の冬の風物詩なのだという。
「うっそだあ」
明るい、朗らかな子供の笑い声がする。
天文廿三年十一月廿一日(1554年12月15日)、午後から快晴。淡い青空に、どこからか微かな山鳩の声が響き渡る。
この日、七条邸では郡内の話上手を数名ばかり招き入れ、新たに保護された孤児らの慰問会が開かれていた。
この慰問会、元を正せば、政範が昨年参加した夜話会に倣ったもの。
残念ながら、この場所に政範の姿はなく、代わりに少し体調を取り戻したばかりの祖父、佐用則答の姿がそこにはあった。
縁側の真ん中に話し手の席が設けられ、村人らに庭が解放されている。何枚もの茣蓙が布かれた即席の宴席は満席の大入り。
本家本元ではないにしろ、近隣の村人も呼び込んで茶が振る舞われ、先月の亥の子の日に作ったばかりの団子粉で作られた焼き団子も配られている。さらに今日は気の利かせた豊福氏からも餅の提供があったので、串に刺した焼き餅の用意されていた。
万全の布陣。
部屋中が米の焦げる良い匂いに包まれる中、懐で温めておいた話し上手選りすぐりの小噺が披露されている。
この慰問会は孤児らと新たな里親との交流の場として過去に数度開催され、毎回そこそこの人数の大人たちの参加があり、それなりに好評だった
「嘘や、このおっさん阿呆や。嘘クソべえ言いよう」
家事を午前で切り上げたこともあり、子供らの気は昂っている。自然と子供らの言葉も乱暴なものとなり、家人が嗜めようともするが、話し手は笑ってそれを制止する。
「楽っきゃ楽っきゃ。ほんまほんま、ほんまに諏訪では囲炉裏の火が凍るんや。うちの知り合いも去年の冬に信濃からの帰りに珍しく言うて市場で買うて来ようとしたんや」
今話しているのは『しげ伝』という愛称で呼ばれる語り手。
この人物はなかなかの話上手で、後の弘治年間、郡内の神社で開催された話会の場でも会場を沸かせたらしく、褒美として神社側から一臼分の餅が贈られたという。
米が貴重だった時代、一臼分の餅をつくには三升の餅米が必要となる。彼の腕前が相当なものだったという証左になる。
「信州は良え豆が取れるんで、名物の味噌と一緒に囲炉裏の火を買い込んだんやけどな。寒い寒い冬の旅、その知り合いも早よ帰ろ思てな、山を越えて川を下って、それで疲れてついうい居眠りこいてもうたんや……」
野次をものともしないしげ伝の語りは止まらない。
【しげ伝】
本名不詳。一応、繁延伝兵衛とも伝わる。繁延姓は全国的にも珍しく、雪姫と花姫が隠れ住んでいた猪伏(佐用郡佐用町大木谷)に集中している。もしかすれば縁者かもしれないが未調査とのこと。




