30・摂州三好乱入二1-1
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同日、昼。恐らく善明山長寿寺。
政範が国光に案内されたのは、現在でいうところの宗佐厄除八幡宮とされている。と、いうのも原文に『政範が案内されたのは大社』とのみが記され、この時代、この地方にはもう少し南に正一位日向大明神(現在の日岡神社)の二社が存在していたため、どちらの社かは伝わっていない。
「道中、大猪には行き遭いませんでしたかな」
政範ら三人を出迎えたのは、寺の別当。こちらも名前は伝わっていない。
長寿寺は天平勝宝年間に行基菩薩によって開山。同寺は三百石を超える寺領を持ち、多数の伽藍、多数の垣付きの家屋を有するほか、応和年間、この山を訪れた毛利氏の武将が山中で不思議な老将と出会い、彼の奏上によって敷地内に荘厳な八幡宮が建立されたのだという。
この神域は民間の信仰厚く、いかな三好であろうと容易には手出しが出来ない。いわば中立の立場で物事を進めるには最適な場所といえた。
「先ずはこちらへ」
付近を流れる川から汲まれてきた水で身を清め、穢れを払い、それから初めて宮の境内へと通された。
古の時代、皇位を乗っ取ろうとした悪僧・弓削道鏡が、称徳天皇の命で豊前国の宇佐八幡に神託を授かりにいく和気清麻呂を害すべく追手を放ったところ、この山から一頭の巨大な猪が飛び出し、清麻呂の窮地を救ったのだという伝えられる。
「……ご来訪、心よりお待ちしておりました」
別当が心底疲れたかのようにため息をついた。
「有馬が呼び寄せたこの争い、説得の機会がやっと訪れました。厚く御礼申し上げます」
深々と礼をした別当につられ、政範らも深々と頭を垂れた。一拍の呼吸の後、皆が別当の方に向き直る。やけに閑散とした境内には別当の他には誰の姿もなく、読経の声も聴こえない。ただ時折、巡回中なのか薙刀を持つ数名の僧兵が本堂から出入りするのが見えた。
「事前に流した情報は役に立ちましたか」
こくり、と頷き国光が肯定する。
今、不埒者どもが下村の一部を占拠し、街道を行き交う人間を事ある毎に呼び止めているという情報は、この寺からもたらされていた。下村は西条から八幡宮の間にある最寄りの集落のひとつで、距離としては下村を経由した方が圧倒的に近い。
国光がわざわざ下村を避け、国包経由の迂回路をとったのには理由があった。
「状況はいかがですか」
「ええ、既に手筈は整えております。供の者として、我らからも一人、仲介出来そうな者を連れていくと良いでしょう」
そういいつつ、別当は八幡宮の奥から人を呼び寄せる。
現れたのは一人の少年。まだ年若く、剃り終わったばかりの坊主頭が青々しく妙に痛々しい。出家してからそれ程日は経っていないらしい。
「この者は城内の者の縁者となります。この者ならば貴殿らの使者を無事に送り届けられましょう」
戦に巻き込まれることを恐れた家族が寺にこの子を預けに来たのだという。
「子を思う親の心、親を思う子の心は止められませぬ。元より形ばかりの剃髪。ならば出家したばかりの子が親を恋しく思う心は咎められますまい」
三木の中心部を流れる加古川支流・美嚢川。そちらの川沿いは風体の宜しくない輩によって固められている。しかし、反対の志染方面は別所氏側が押さえていた。八幡山の間道を抜け、南から城を目指した方が城方との連絡を取れる成功率は高い。




