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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第廿六章・摂州三好乱入一【天文廿三年七月三日(1554年8月1日)~】
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29・摂州三好乱入2-2

 

 赤松教政が摂津で自刃した後も、佐用氏と東播磨の縁が途切れることはない。百十数年を経た今でも、佐用氏の所領は飛び地となって東播磨内に確かに存在していた。


 そんな縁を頼りに、和平を結ぶ。


 現当主・赤松晴政は兼ねてより中央の細川晴元と深い繋がりにあるが、今の晴元は、同じ京都を追われた将軍・足利義輝と行動を共にしている。


 そして、現在の将軍家と赤松家の間には深い溝がある。


 二年前、西国八ヶ国の太守に出雲尼子氏が任じられた事件において、将軍義輝自身が周りの反対を押し切ってまで当時まだ新興勢力だった頃の尼子氏を推して厚遇した話は晴政の耳にも届いていた。


 かつてに比べれば大きく勢力を落としたとはいえ、赤松家にも名誉がある。嘉吉の乱の汚名を雪ぐべく、再興後の赤松一党は将軍家のために文字通り心血を注ぎ、身を粉にして尽くしてきた。だが、将軍義輝はそんな赤松から播磨国守護の役目を赤子の手から玩具を取り上げるかの様にあっさり没収してしまった。


 これは許されざる暴挙である。


 そんな足利将軍家が細川家家臣の三好長慶の叛逆に遭い、細川晴元ともども京都から権力の座を追われている。赤松家臣団の中にはざまあみろとばかりに悪様に物を言う者もいたのも無理はない。


 だが、独力で播磨国内の国人衆らを束ねきれない赤松総領家としては、複雑な感情を持ちながらも将軍家の威光に縋るより手立てがなく、将軍義輝の存在を無視する事はできない。


 先代の赤松義村の仇を討つ機会を授け、播磨国での赤松家の復権に尽力してくれた細川家と、播磨国守護の役を晴政から奪い去った足利将軍家。その両者を追い落とした三好氏が鬩ぎ合い、赤松家当主・赤松晴政は大きな権力の狭間で木の葉の様に揺れ動いている。


 その打算の結果が今回の任務。


 播磨入りした三好側に赤松家当主の使者が出向けば将軍家に悪印象を与えかねない。ならば嫡男・義祐が、独断で三好側との外交に当たったことにすれば、今後の中央の政治運営が三好と足利どちらに転んでも赤松の顔が立つ。


 最悪廃嫡にもなりかねない微妙な政治的配慮の中で、次期当主・赤松義祐は置塩城近くの才村という集落で政範らの報告を待っていた。


「……これは不味いことに巻き込まれたかも知れませんな」


 死者を弔う僧侶が野伏の亡骸の前で手を止めた。


「何か」


 政範らが近寄ってみれば、二人を見上げる僧侶の指が遺体の口腔内を指している。その場所に、何やら異変があるのだと、僧侶の真剣な眼差しが告げていた。


 政範が頷き、則尚が怪しみながら木の枝で口腔内をこじ開けると、二人の目に飛び込んできたのは味噌っ歯とは明らかに異なる茶褐色、斑模様の歯牙だった。


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