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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第廿六章・摂州三好乱入一【天文廿三年七月三日(1554年8月1日)~】
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29・摂州三好氏乱入1-1


 ー1ー


 天文廿三年七月三日(1554年8月1日)。

 


 備前で尼子と浦上との戦いがいざ始まらんとする時、播磨では新たな戦乱の火種が燻り始めていた。


 赤松家当主赤松晴政が焔の中心、ではない。


 播州御着が尼子軍の包囲から解放されて約ひと月。赤松惣領家内では、赤松家重臣・小寺政職の反対によって室津攻めを強行せよという派閥が隅に追いやられ、赤松家中の足並みが揃わなかった時期に当たる。


 これを好機と見たのが、三木別所家。


 尼子軍の撃退に成功した別所家は、対尼子用に動員した兵力を解散させず、かえって長期戦を見越して蓄えさせた軍需物資を転用させ、周辺諸侯に送り込もうという計画を練っていた。


 こうした別所方の不穏な動きをいち早く察知したのが、隣国、摂津国有馬郡の三田城(播磨国三津田城?)に詰めていた摂津有馬氏となる。


 特に、摂津有馬氏の一族、有馬源次郎重則の行動は早かった。


 摂州有馬氏は赤松家の庶流。重則はその有馬氏の中でも傍流に当たる。


 有馬と赤松、血筋的には親赤松に近いとも思える。だが、重則の生きた天文年間、有馬氏と赤松惣領家の間には互いに血族意識は在りつつ、それでいて政治的には明確な隔たりがあった。


 原因は幾つあるのだが、順を追っていけば、やはり嘉吉元(1441)年、赤松家が滅亡の危機にあった嘉吉の乱において、有馬氏が赤松惣領家から離反した事から始まる。


 将軍家に味方する事で有馬氏は御家の存続を図り、赤松惣領家が播磨城山にて一度滅びた後も、将軍家の近習として寵愛され、一時は京を牛耳る『三魔』の一角として数えられるほどの権勢を誇ってみせた。


 これが第一の隔たりとなる。


 しばらくの後、赤松一族は遺児赤松則尚を擁立し、播磨国内の復権を目指して乱を起こすのだが、この時は有馬氏は静観していたにも関わらず、責任を問われ連座で当時の有馬氏当主有馬元家が出家遁世させられている。とばっちりで将軍家から切り捨てられた元家は、そのときは妹の縁を頼り、赦免を願い出たため、なんとか再び御供衆に返り咲いた。


 これが第二の隔たりとなる。


 将軍家仕えに復帰した有馬元家は旧領有馬郡を取り戻すのだが、更なる権力増大を目的とし、今度は新たに将軍職を狙おうとした別の足利一族、足利義視との親交を深め、義視の力添えをもって赤松惣領の座を奪おうとした。ゆえに、足利将軍家から敵視され、密命を受けた赤松家九代当主赤松政則の手によって有馬元家は誅された。


 時に、応仁二年霜月十日(1469年1月1日)。応仁の乱真っ只中の出来事だった。


 これが第三の隔たり。


 こうした一連の流れがあって、現在の有馬氏を快く思う赤松の者は少なく、自業自得とは言え、赤松家にかつての主君を討たれた有馬氏としても思うところがある。


 そしてその後も、赤松の後継者たらんと、赤松惣領家、有馬氏、庶流の大河内家の三つの派閥がそれぞれ三つ巴の政争に明け暮れたこともあり、百年近い時間を経ても埋められない溝となって両家の間に横たわっている。


 とてもでは無いが、良好な関係を望めたものではない。


 天文年間に入って、両細川の乱、大物崩れ、出雲尼子氏の脅威など播磨の大嵐は止むことなく吹き荒れ、同じ有馬氏ですら嫡流と傍流の間でも道を違え始める者が出始めた。


 有馬氏嫡流は独力独歩の道を。重則ら有馬氏傍流は摂津三好氏と足並みを揃えることに活路を。


 特に、有馬重則と三好家の繋がりは濃密で、二年前の五月、三好氏当主・三好長慶の軍勢が丹波波多野氏の八上城を攻めた際に、同じ摂津国人衆の芥川孫十郎と池田長正の二人が城内の波多野勢と共謀し、背後から長慶を襲おうとしたことがある。


 急場の事で対応が間に合わず、敵地で潰走必至だった長慶の軍勢のもとに、危機を聞きつけた重則が手勢を引き連れ、芥川・池田の兵士を相手に獅子奮迅を働きを見せたことで、長慶は九死に一生を得た。


 長慶はこの八上城攻めの恩を忘れず、大功を成した摂津有馬氏を重んじ、重則は無二の信頼を勝ち取っていた。


 そんな三好家が、今や将軍家を京から追い出して日の本の中枢を抑えてしまっている。


 世の人々は三好様こそ天下に王手をかけたと口々に申しているが、実状としては日々激務に追われ、周辺の国々への手が行き届いているとは言い難い。


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