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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第二十五章・備前沼城争奪戦二(天文二十三年七月十五日?~八月十二日?)
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28・備前沼城争奪戦二4-2


「……叔父上殿と我らは、同じ景色を見ておらぬのだ」


 船頭多くして船山に登る。


 晴久派と新宮党。尼子家内の政治的対立は今に始まった事ではない。だが、今となってはそれが致命的な時間差となって表れている。議題ひとつ決めるにも両派閥は何かと反目し合い、決定した後でも互いに決して足並みを揃えようとしない。


 指揮系統の統一が必至。晴久も脳内では理解している。

 

 敵は尼子内部の不和を勘定に入れた上で、二手先三手先を見据えた最大効率の嫌がらせを仕向けてくる。いつもそうなのだ。ここぞという時に限って起きて欲しくない事態が引き起こされ、その都度尼子は振り回されてきた。


 小賢しい、と舌打ちをしてみせたところで現状のままでは今後も戦の主導権を握れまい。晴久には祖父・経久ほどの戦術眼も父・政久ほどの政才もない。だが、冷静に状況を分析する眼だけはそれなりに受け継いでいると自負をする。


 後世の史料では『短慮で大将の器に乏しく、血気にはやって仁義に欠けている』と評された晴久だが、それは事後孔明というもの。世の人から山陰山陽八ヶ国の太守と呼ばれようと、備中に引き続き備後も失った尼子軍の実情は窮迫している。


 それでもなお、多方面に敵を抱えようとするのは自殺行為ではないか。


 祖父の先を見通す眼がなくとも、今ここで尼子軍は集中運用が叶わず備中三村勢を叩き潰せていない時点で、まだ敵の手中で踊らされていることは容易に想像がつく。仮に三村軍にある程度の打撃を与えられたとして、第二、第三の後備えが準備されているに相違ない。


「石州が動いたと聞く。次は播磨か但馬か、あるいは再び備後からか」


 ふう、と、大きく息を吐き出した晴久の側を、丸々と太った(いなご)が何匹も羽音を立てて通り過ぎる。その度に無機質な昆虫独特の複眼と目が合い、なにか事を為せ、事を成さねば皆がお前の全てを喰ろうてしまうぞと嘲笑っていた。

 

「……分かっている。貴様ら虫ケラ共に言われずとも分かっている」


 ここで大きな決断を下さねば、座して磨り潰されるのを待つしかない。だが、下した後は元には戻れない。


 理想とも幻想ともつかぬ妄想が晴久の脳裏に付きまとって離れない。右手で自らの顔に覆い隠してぶつぶつと独り呟く主人に、日の光が眩しいのかと勘違いした従者が戸惑いながら声を掛けたが返事は無い。


 この時、尼子軍が北に退いたのを確認し、更なる南下は無いと踏んだ龍野城主・赤松政秀は、八月の吉日を選んで備前国長船の五郎左衛門尉清光に注文していた刀に完成を意味する銘を刻ませたという。


 現存するのは三振りほどだが、一振りは上月城奪還に功績のあった家臣肥塚氏に贈られ、別の一振りは毛利元就の手に渡った後、元就の死後も保管され続け、今日の我々も山口県防府市の毛利博物館にて目にすることが出来る。


 秋の入日。北に還る尼子の軍勢を、何処から出てきたのか一匹の首の長い石亀が道の傍らから眺る。亀の背中は無惨に踏み破られ、割れた甲羅からは用途不明の臓器が漏れ出し、あと幾許も持ちはすまい。そんな哀れな亀の存在を、気に留める者は居なかった。


 だが、その亀は確かにその時を生きていた。


 

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