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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第二十五章・備前沼城争奪戦二(天文二十三年七月十五日?~八月十二日?)
242/277

28・備前沼城争奪戦二3-1

 ー3ー


 ここからの備前沼城を巡る攻防戦はほとんど予定調和に終わった。


 再々度備前入りを果たした新宮党の前には、数日間の雨で泥水を称えて流れる砂川が天然の水堀と化し、初秋の冷雨の中、足元が濡れる事を厭わずざぶざぶと川越えを行ってみれば、沼城の周囲には半月前とは打って変わって泥と湿地帯の海が彼らを待ち受けていた。


 旧暦八月五日は二十四節季、白露の候。


 幸いにして雨は七日には上がったが、気温は夏に戻らず、急速に下がり始めたまま朝夕には摂氏十五度を下回ることも珍しくなくなる。訪れる季節の変化に対し、準備不足の尼子軍は果敢に挑み、無様に負けた。


 薄く張った泥水の下の泥濘(ぬかるみ)には川から流れ込んだ流木や朽木が無数に潜み、容易に足を踏み入れられる状況になく、かといってもう一度沼地の上を渡ろうにも、筏はおろか稲束一つの備えもない。


 沼の向こう岸から呆然と城を眺めるだけの尼子勢は、時折総大将尼子誠久の使いだという者が城門の前に立ち、城兵らを吊り出そうと罵詈雑言を並べ立てたが、城外に出る理が一つもない城方は挑発に乗ることなく使者の言葉を無視し続けた。むしろ、相手にされるはずのない使者に対し、城門の瓦の上から冷ややかに見下ろすことで返答としている。


 使者は再三声を荒げて弱虫だの軟弱者だの喚いたが、城方が態度を変えないことにはなにも効果はなく、ただ尼子軍が本陣を置く常楽寺へと足を戻すしかなかった。


 業を煮やした尼子誠久は間もなく総攻撃を命じる事になるのだが、これも巧妙さを欠いていた。


 深田を回避した尼子勢に、残された攻勢可能な箇所は東と西の方向のみ。備前西部と石見鎮撫に兵士を転用した尼子勢と備前独立派の間に数の利は存在ぜず、尼子勢は多大な犠牲を出しながら東の出丸を落として橋頭保とするのが関の山で、三の丸到達までの余力は無かった。


 西側からの攻勢も、西大寺方面より補給を終えていた城方を攻め崩すには至らない。このとき、備前独立派の守将のひとり、備前国上道郡(上東郡?)古都村宍甘を領とする宍甘しじかい与三左衛門尉が勇戦を奮い、粉骨砕身の戦働きで防衛に努めたとして浦上宗景から八月十二日付の感状が手渡されている。


 日に日に開く昼夜の寒暖差にも野晒しの尼子兵を苦しめられた。


 日中は威勢よく攻め寄せる尼子兵も、夜になれば湿地帯の中のわずかな乾地を見つけては、焚き火を作る空間すらない中で集団となり、互いに身を寄せ合うことで束の間の暖を取る様子が戦場のあちらこちらで見受けられたのもこの時期となる。


 冷たい川風が吹きさらし、城内から糞尿が垂れ流される沼地において避難所の乏しい尼子勢の間で病魔が蔓延するのにはそう時間はかからなかった。


 

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