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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第二十五章・備前沼城争奪戦二(天文二十三年七月十五日?~八月十二日?)
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28・備前沼城争奪戦二1-2


 幸い月光はか細く、月影も無い。

 

 泥上を音もなく進む兵士の存在に城側が感知した頃には、相当備前独立派は城の間近まで接近していた。


 国久が美作に去って四日目。長期戦の常として、兵士の質の経時的劣化は避けられない。


 この夜の内情として、美作国から駆り出されてそれほど日を置かない新兵が多数を占めていた。必ず備前独立派が取り返しに来ると何度も言い聞かせられていた城兵らだが、編成されたばかりの練度不足の新兵らにとって夜襲の発見が遅れたのは致死的となる。


 せめて経験不足の彼らに対し、充分な量の下士官が割り当てられてさえいれば結果は変わったかもしれない。しかし、複数の戦線を抱えた上、上層部に激しい対立を持つ今の尼子にそれほど豊富な人的資源は存在しなかった。


 今も昔も、新兵の士気は脆い。


 浦上の夜襲は赤松仕込み。江戸期に流行った山鹿流と異なり、悪党を起源に持つ浦上宗景の兵は、数を悟られぬように基本無言で動き、倒れる際も一言も発しない。闇の中からぬるりと浮かび上がった軍勢が声も出さずにひたすら攻め寄せて来る様は異質。


 敵勢の規模が分からない城兵らは、無闇矢鱈と宗景兵に矢弾を浴びせてみせたが、泥上の闇に阻まれ狙いを絞れず、ほとんどが効力射とはならなかった。

 

 城に取り付いた後は塀を次々と乗り越え、離散と蠅集を繰り返す備前浦上の兵士を前に、始めこそ命惜しさに新宮党員の命令に従っていた新兵らも、自分達の手持ちの矢弾が心許無くなると不利を理解する。昼間に行われた数度に渡る備前独立派の波状攻撃が心理的でも深刻な負担を与えていたのかもしれない。


 劣勢という状況下、新兵らの心変わりは早かった。


 新兵らに持ち場を死守するという考えはない。恐怖に駆られた一人が壊走を始めると、一人が三人、三人が五人、五人が十人と大勢の者が雪崩を打って安全な西門から逃げ出し、ほんの一握り、運の悪い者達だけが雲州勢と共に本丸に篭って抵抗の構えを見せた。

 

 だが、それも翌日までの事。翌三日からは西大寺方面の備前独立派の増援が到着して三方向から城が攻め立てられるようになると流石の雲州勢も観念したらしく、夜間に逃げ出す者が後を絶たず、六日の朝までに尼子勢の姿は城内から消え失せていたという。


 備前独立派の手に戻った城内では、直ちに中山備中守の処遇に関して審議が行われた。


 但し、これは形式だけのもの。独立派上層部において、中山備中守が尼子方に城を明け渡した事が槍玉に挙げられかけたが、それも可能な限り抵抗した後の話で仕方なかったのだろうという擁護論が出たために不問となり、浦上宗景自身も備中守の帰参を許している。


 恐らくは下手に刺激して後々内乱を生むよりも、今は目を瞑って取り込んだ方が利が大きいと踏んだのだろう。


 帰参後の中山備中守も、今度は備前独立派として積極的に自勢力内の地侍らに使者を送り、自身の無事を伝え、再度備前浦上氏への忠誠を誓うように促している。


 戦況はイーブン。開戦前と変わりはない。


 この日、遠くの山城では備前沼城が独立派の手に渡った事を知らせる狼煙が上がったのだが、煙は低く棚引き、雨の季節の到来を伝えていた。

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