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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第二十四章・備前沼城争奪戦【天文二十三年七月十五日?~八月十二日?】
232/277

27・備前沼城争奪戦2-1

 ー2ー


 同、沼城。


 突然の判別不明の敵勢の乱入劇に騒然とした城内は混乱の極みに陥っていた。


 この日、城内にどの程度の規模の兵士が詰めていたかは分からない。ただ、江戸期の物語の中では比較的開けた二の丸に美作から避難してきた土豪と一揆勢の生き残りが当てがわれ、中山氏手飼いの兵士は本丸と西の丸の曲輪群に配備されていたとされる。


 どうして敵の接近を許したのか、北の街道沿いの支城が突破されたのか、見張りは何をしていたのだ、という城方の悲痛な叫びを尻目に、城内に侵入した尼子兵は実は百程しかない。


 但し、この百の尼子は決死隊。


 彼らは尼子軍内の精鋭たる新宮党の中でも特に武芸に秀でた選りすぐりの者だけで構成される、まさに精鋭中の精鋭。一騎当千の尼子の選抜兵は、残りわずかとなった糧食から三日分の兵糧を捻り出し、今回の夜襲に総てを賭けた。


 この三日間のうちに、中山氏を従わせれば尼子の勝利。飢えに苦しむ備前侵攻軍には室津から充分な補給が届けられ、同時に、浦上宗景の籠る天神山と備前西部の西大寺方面の備前独立派を分断する明確な(くさび)を打ち込む事になる。


 逆に、この三日間の攻勢を防がれれば備前侵攻軍の兵糧は間違いなく底を尽く。尼子の権威は失墜しきった現状で、手柄無しでおめおめと引き下がることになれば、備後、備中に引き続き、備前美作でも国人衆の離反が視野に入ってくる。


 絶体絶命の状況下、後世の軍記物ではその蛮勇振りばかりが強調される新宮党一門だが、少なくとも、史実の党首尼子国久においては彼なりのやり方で尼子家全体を俯瞰しながら行動を起こしている。運否天賦の大博打、運を天に任せるというのがなんとも彼らしい。

 

 決死の覚悟を決めた百名の決死隊は、尼子新宮党の名に恥じない戦働きを魅せた。


 北門を通過した決死隊が最初に襲撃したのが二ノ丸の美作衆。後の発掘調査で、城の北側には更に外周の三ノ丸が存在している事が判明していることから、この三ノ丸に決死隊を城内に引き入れた内通者が出たのではないかとも推察される。


 真相は闇の中、内通者が誰だったのかも分からない。


 三ノ丸を素通りした決死隊は、続く二ノ丸で持ち前の武勇を惜しみなく振るう。


 夜間、城方とて警戒の手を緩めていたわけではない。しかしあまりに突然の出来事に、咄嗟に対処出来た武将は美作衆の中にはおらず、鎧はおろか武器も持たずに逃げ惑うのみ。次いで、美作衆の恐慌に紛れた尼子勢が城内の照明施設を率先して破壊した事で城兵らの混迷には拍車がかかった。


 もとより備前沼城は湿地帯の中に浮かぶ城。


 脱出しようにも通路以外に逃げ道は無く、北門は尼子勢に抑えられている。残る選択肢は西の本丸のみ。それでなくとも光源を潰された美作衆は、その恐怖心から灯りを求めて本丸方面へ逃走していく。それこそがまさに尼子勢が狙って造り上げた状況だった。


 沼城は、二ノ丸と本丸の間に一旦大きな窪地を挟み、そこから細い登り道が通じる。坂の上の本丸正門から全周に渡って丈一丈から二丈の防壁が丘陵地一帯を覆い、坂の上中央部に櫓台、坂の左右に曲輪が取り囲む。


 二ノ丸の襲撃を受け、本丸詰めの兵士らが次々と坂の篝火を燈していくのだが、これが美作衆の被害を最悪なものへと導いた。



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