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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第二十四章・備前沼城争奪戦【天文二十三年七月十五日?~八月十二日?】
231/277

27・備前沼城争奪戦1-2

 

 藪蚊に悩まされる沼城では、蚊遣り火の煙で燻されるのが毎年夏の風物詩となっていた。


 周囲の湿地帯では蚊の発生源となる水場に事欠かず、領内の泥田や溜池は言うに及ばず、なんなら城内の便所の手水鉢ですら数え切れない程のボウフラが蠢く。そんな手水鉢の中の水を手柄杓で掬おうものなら、手を清めているのか汚しているのか判別不可能になるためにそもそも誰も利用しない。


 その日、城主中山勝政はなかなか寝付けなかった。もともと眠りの浅い方ではあるが、なにせ今は戦時下。緊張もあるが、自分が付き従っている備前浦上氏の居城が攻め込まれ、今後の身の振り方を思案していると自然と眠気は何処かへと散逸してしまう。


 ならば酒でもかっ喰らって潰れて寝てしまおうかと盃を重ねてみたが、睡魔は一向に訪れず、ただただ尿意のみが催してくる。


 密かに寝室を抜け出した中山勝政だが、城内の金隠し(トイレ)までは間に合いそうにない。夜中の小用となれば、物陰での立ち小便に限る。たちまち群がりくる藪蚊との闘いの中、己が小筒を決して離さないように掴んだままで放水を行う難業を強いられるがそれもこなしてみせる。


(……………………)


 無心で出すものを出せば後は用もない。寝室に戻れば紙帳の中で比較的快適に過ごせよう。二ノ丸に詰めている城兵らは、尼子の前に毎晩この蚊どもと合戦を交えねばならぬのかと少し哀れに思いつつ、寝屋に向かおうとした。

 

 その時である。

 

 城門が音もなく開き、正体不明の軍勢が雪崩れ込んで来た。



 

紙帳(しちょう)

・紙製の蚊帳。更紗(さらさ)製の蚊帳は非常に高価だったために、当時は薄紙を張り合わせた蚊帳が普及していた。日本の書物での初出は、平安期に編纂された『播磨国風土記』の中に登場し、十五代応神天皇が夢のお告げで播磨国に行幸した際に播磨国賀野の里で蚊帳を張った記録が初めてとされる。そのとき応神天皇は近くの里を賀野(かや)の里、近くの岩山を「加野山(かややま)」と名付けられた。


賀野(かや)の里】

賀野(かや)の里は現在の姫路市北部の夢前町にあったとされる。近くには雪彦山が聳え立つ。


加野山(かややま)

・日本三大彦山のひとつ、雪彦山(せっぴこさん)の元の名前。雪彦山という山自体は無く、洞ヶ岳、鉾立山、三辻山の三つの山を総称した通称が雪彦山。四世紀後半に応神天皇によって鉾立山に神社が建てられ、その後、七世紀前半に天竺から来た法道仙人によって鉾立山に金剛鎮護寺の「雪彦山大権現」が建立された。以降、修験道の聖地として全国に名が知られるようになる。


【蚊帳の価格】

・最初期の絹や更紗を利用した「奈良蚊帳」、室町期に考案された麻製の「八幡蚊帳」「近江蚊帳」などの複数の種類があるが、いずれも蚊帳一張で二、三石(約20~30万円)もする超高級品。そのため利用していたのは貴族や富裕層の武士に限られていた。夏の贈答用として珍重されていた記録も残る。

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