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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第二十四章・備前天神山攻防戦【天文二十三年七月四日(1554年8月2日)~】
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26・備前天神山攻防戦3-2(入電池の大蛇)


 ふ、と政宗は薄く笑って叔父の来訪を喜ぶ。


「否、間に合うも何も、叔父上が居られるからこそ万事成し遂げる事が出来たのです。食糧の備蓄だけでなく、鳥打では叔父上のお陰で宗景の兵を討てた事、この政宗感謝の言葉が絶えませぬ」


 政宗が天神山に向かった直後、室津勢は播磨国境の坂越浦と鳥打峠の二ヶ所で弟宗景に味方する龍野赤松勢から妨害を受けていた。


 もともと坂越浦は龍野赤松氏と縁深い。赤松政秀の父村秀の時代、坂越湾の茶臼山城は龍野赤松氏の通城として定められていた。それゆえ坂越の街道沿いには強固な防衛線が構築されており、突破に予定以上の時間を要した上、多くの敵兵を取り逃がす失態を犯した。


 だが、鳥打峠は違う。


 龍野衆は播備国境のこの狭い峠道にも番所を置き、守備兵と鹿砦群を配置する事で手堅く守りを固めていた。本来であれば、この場所を突き崩すためには再度の遅滞は避けられないものとなっていた。


 だが、室津勢の危機を察知した浦上国秀が西の備前片上から兵を出した事で、図らずも龍野衆を逆に挟み討ちする形となり、逃げ場を失った番兵らは海際に落ち延び、福浦に程近い入電池のほとりで全員を討ち取られた。


 鳥打峠の戦いにおいて室津勢の損傷は極めて軽微。戦力を温存したまま敵本拠地の南側に取り付けた意義は大きかった。


「叔父上はこの戦場、どの様にご覧になられますか」

「…………」


 現在の室津勢は八百余り。尼子軍が在する山間の佐伯集落に比べ、ここ衣笠から尺所、福富にかけては和気郡最大の平野部が広がる。兵を展開するには位置も広さも申し分ないのだが、しかし、ここから尼子軍と合流するためには吉井川を更に遡る必要がある。


 室津勢の遡上を阻むように、中央、向かって正面の名黒山には大田原長時、東の宮山には明石一族、西の西山には宇喜多土佐守(延原土佐守?)含む延原一族の旗印が見えた。


 ざっと見渡すだけでも、宗景軍は政宗が室津から率いてきた数とほぼ互角。


 両軍を隔てる金剛川はこの時代には現代よりずっと南側を流れていたという。宗景側の方が平地が広く、兵士を容易に展開出来る分やや有利かもしれない。


「……地の利はあちら側。しかしこれ程の戦力を南側に回すのであれば、彼らに何かしらの意図あってのものでしょう」


 余程政宗の首を取りたいという決意の表れなのか、あるいは北西の尼子軍が政宗らが期待していた程の規模ではない証左なのか。


 結果はまもなく伝令が教えてくれた。


 結果は後者。室津勢の到着を祝う尼子方の言葉の後に、北西に陣する尼子軍を率いているのが新宮党首の尼子国久であることと、僅か三千の兵力しかない事が告げられた。政宗も礼を述べて伝令を下がらせるが、正直当惑の色を隠せない。


 佐伯の尼子軍は政宗の予想よりも、ずっとずっと少ない。


「……これではどちらが援軍かが分からぬな」


 政宗の独り言を遮るかのように、北方約二里、宗景方の太鼓丸砦の大太鼓が室津勢着陣を知らせるためにドドンと鳴り響いた。

【坂越浦】

 坂越浦城は山城、今の番所の地也。赤松下野守村秀通城也。『播磨鑑』


【入電池の大蛇】

 讃岐国満濃池の雄の大蛇が近江国琵琶湖の雌の大蛇に恋していたために、毎日のように黒雲に乗って雌の大蛇に会いに行っていた。だが、ある夏、大蛇が福浦の大泊と五軒家の間の入江に降りたところ、地元の美しい娘が蛇の精気に当てられ、瘦せ衰えてしまう事態が起きた。

 心配する娘の両親が陰陽師に占わせたところ、娘を生き延びさせるためには大蛇を殺すより他に手段がないという回答を得た。

 これはなかなかの難題。娘の父は老武士の宮崎刑部に依頼して鹿久居島(かくいじま)から飛来する大蛇を射落とさせる。その際、もがき苦しむ大蛇の周囲には真っ黒な雲が湧き起こり、大きな音とともに雷が落ちた。

 この時の雷の衝撃で出来た池を地元の人々は入電池と呼び、大蛇の亡骸を池の裏の山へと祀ったのが福浦の竜神社のはじまりなのだという。『赤穂民報・第35話「大蛇と入電池」』

※大蛇伝説が成立したのは十三世紀か十四世紀という。


【鷆和】

 兵庫県赤穂市鷆和。あまり物語とは関係ないが、鳥打峠近くの真木村と鳥撫村が合併した際に両村の「真」と「鳥」の二文字を合わせて(てん)の文字を起用し、それぞれの村同士が和すことを願って名付けられた。難しい漢字なのでJR赤穂線の駅名は『天和』になっている。

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