26・備前天神山攻防戦1-1
―1―
天文二十三年七月四日(1554年8月2日)。
天神山、櫓から見下ろす山裾には大輪の鬼百合が群れて咲き誇る。堀切りの脇、やや日陰を好んで咲くこの花はいざという時の救荒植物。その鱗茎は食用になるほか、百合と呼ばれ生薬としても重宝される。
効能は咳止めと発熱時の精神不安だったか。
近縁種に小鬼百合という別種の百合も存在しているが、幾つかの株が零余子を付けているところから判別が出来る。この零余子も食用になり、わりと美味。花の周囲にのみ、わざと夏草が残されている所からあの花が城内に意図して植えられた可能性が高い。
使う機会が果たしてあるものか、もし生きて帰れたなら根のひとつでも掘り出して上月に植え替えてみるかなどと、遠い夏雲を見上げながら政範は朝飯に配られた麦の握り飯を口に含む。
宗景のもとに辿り着いた佐用勢に割り当てられたのは、二の丸から更にもうひとつ前の曲輪群にかけての防衛。この場所は城内への西の資材搬入路に当たり、政範らが詰める曲輪より先は中腹に造られた鍛冶場にも繋がっている。
改修と拡張。今年の正月明けより始まった突貫工事により、この二の丸と長屋の段と呼ばれる曲輪群まではそれなりの施設が建てられ、今政範が口にしている麦も到着初日に彼自身が麓の田土の集積所から備蓄小屋へ運び込んだ軍需物資となる。
一応、背後の空堀を介して上段が浦上氏譜代の重臣、下段を下級武士や新参者が受け持つことになっているらしい。
「失礼。隣に座っても宜しいか」
振り向くと政範の後ろには男が立っていた。草臥れた鎧に泥にまみれた甲懸。何日もろくに眠れていない疲弊した顔色ではあったが、男の瞳から生気の色は奪われていない。
「や、これは驚かせてしまったかな。自分は牧八郎次郎、美作の者だ。そこもとは随分お若く見える。どなたかの御子息か」
政範が挨拶を交わすと、牧八郎次郎はなるほどなるほどと何度か頷き、再度断りを入れてから政範の隣に座って竹皮に包まれた麦飯を頬張りだす。
「……ふむ、美味い。しみじみ美味い」
牧八郎次郎。美作国苫東郡高野郷の豪族の彼は、これまでにも何度か天神山城を訪れた記録が残る。
「貴方は」
「うむ。先日まで美作国におってな、農民どもと共に尼子の相手をしておったのよ」
食う。とにかく食う。政範に話しかけられても八郎次郎は口を休めない。事も無げに言ってのけるが、彼はつい先日まで浦上方の美作最後の砦、鷲山の城に籠って越境しようとする尼子兵と渡り合ってきた。
「美作からですか。それはお疲れ様でした」
政範のねぎらいに、男はうむ、と頷く。尼子の様子を政範が問うと、八郎次郎は初めて食事の手を止めて大きくため息を吐いた。
「……強い。以前の戦でもしてやられたが、此度の戦でもなかなかに勢いがある。周匝の笹部殿といえど恐らくはそう長くは持つまいよ」
美作国鷲山と備前国周匝茶臼山の間は吉井川で隔てられる。
周匝茶臼山城と隣接する大仙山城は、眼前の吉井川を天然の堀とする二つの山を跨いで築かれた堅城。笹部勘解由、笹部勘二郎親子が対尼子用に創意工夫を凝らした構造で迎え撃つと聞くが、八郎次郎の口ぶりから察するに、尼子兵の精強さは浦上方の想定を超えている。




