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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第二十三章・播州上月奪還戦二【天文二十三年六月十六日(1554年7月13日)】
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25・播州上月奪還戦二3-1


 ―3―



 同、六月二十日、播磨置塩。


 山の蝉が今年も五月蠅く鳴き始める早朝の頃、上月城奪還の報は直ちに当主赤松晴政の下にもたらされ、時同じく、陶軍と毛利軍が交戦状態に入ったという事前情報がようやく真実であったことが赤松総領家上層部にも伝えられた。


 これは最前線よりおよそ一ヵ月遅れの報告となるが、それも七条家と龍野赤松家が示し合わせによるもの。予定通りとなる。


 報告内容に関しては、現地で指揮を行っていた七条政元が直接出向いたため、当事者視点を交えての微に入り細を穿つ戦果報告となった。そして同時に、彼が龍野赤松氏経由で入手していた同月五日に起こった折敷畑での陶軍増援と毛利軍主力との激突に関する事の顛末も、当主晴政の周囲に蔓延(はびこ)る佞臣を通さず、事細かに当主自身の耳に入れることも出来た。


「……以上が、(それがし)が佐用の地にて見聞きした全てとなります」


 ほうっと政元が床に顔を伏したまま一拍呼吸を整える。彼の言葉ひとつひとつが赤松総領家含め上層部全体に驚きをもって受け止められた。


 両軍、まだ継戦中。だが毛利軍は短期間で安芸国西部全域を手中におさめ、陶軍の増援も見事に撃退し敵総大将を討ち取る成果を挙げている。当初の同盟目的である尼子軍主力は播美国境の分断による兵糧不足に加え、美作全土を巻き込んだ蜂起を平定するために時間を割かれている。


 つまり、どの他の勢力も室津浦上に手出しできない。これこそが、当初より同盟側の思い描いた千載一遇の好機。


「三木掃部助(通秋)殿からの知らせでも、先の尼子の播磨侵攻の折に室津勢は英賀城攻めに失敗。今ここで我ら合心して室津を攻め立てれば勝利は間違いありませぬ」


 どよめく一同を前に、政元は深く深く頭を下げて主君の出陣を促す。その言葉に嘘偽りはなかった。


「皆々様はどの様に思われますかな」


 政元の言葉に、当主晴政が横目で重臣達の顔色を伺う。晴政が第一に目を向けたのは御着城主・小寺政職。筆頭家老の浦上政宗が抜けた後、赤松総領家の政務は以前にも増して政職に頼りきりになる事も多く、その発言力は家中でも無視できないものとなっていた。


 だが、当の小寺政職と言えば、宿敵室津浦上氏と連絡を取り合っているなどおくびにも出さず、何事も無かったかのように配下の黒田政隆を連れてこの評定に参加。晴政の視線に気付き、何度か頷くような仕草をみせた。


 政職の言葉一つで全軍が動く。


 ここまで、政元は政職に逃げ場を与えぬよう準備を整えてきた。進軍拒否を決め込もうものならば、佐用郡諸侯だけでなく、政職の専横を面白く思わない龍野赤松氏や得平氏、その他御一族衆らを交えて小寺氏糾弾に向けて動く。


 その程度の根回しは十全に済ませてある。場は揃っていた。


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