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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第二十三章・播州上月奪還戦二【天文二十三年六月十六日(1554年7月13日)】
213/277

25・播州上月奪還戦二1-1


 ―1―



「……始まりましたか」


 同、搦め手。七条政範ら別動隊の合流地は秋里側。


 ぼんやりとした月光が背中より政範らを照らす。彼らはこの集合地点から、後の時代、目高の築地(つんじ)と呼ばれる荒神山後方の高台を抜けて、上月城の背後、寄延(よりのぶ)の陣屋を目指す。山間の細道を月明かりを頼りに登ることになるが、これだけの光量があれば土地勘のある七条家の人間ならばやってやれないことはない。


「若、先導をお願いできますかな」


 龍野赤松氏の家臣・肥塚氏の軍勢が秋里集落群から大成山越えを狙っていた。


 七条隊は背後から荒神山を、肥塚隊は太平山を攻める手筈となる。


 一応、もう一つ搦め手を登る道は存在する。西大畠の久木原(しゃぎわら)方面からの侵入路がそれに該当する。確かに久木原経由の方が勾配が緩やかで、昼間の進軍には向いている。しかし、予定される道は秋里方面より遥かに狭く、間際まで木が生い茂る。


 ゆえに、久木原は夜目が効きにくく、土地に不慣れな龍野勢にとっての行軍が困難と考えられた。


 更に言えば、久木原は身を隠すのに十分な集落が存在せず、城内から別動隊の動きが丸見えになる危険が高いという理由でも候補から外されている。


「しかし、裏道とはいえ、こうも暗いものですか……」


 これは予想外の出来事。こちらの秋里側の山道への入り口に人影がない。山の木々の隙間から、わずかに荒神山の灯りが空に映っているのが確認できるが、大成山側の番兵の姿が見当たらない。普段であれば、夜回りの者が四、五名は立っているはずだった。


 それが一つの灯りもなく、陰々とした山中へ誘う林道への入り口と変貌しているともなれば、明らかな異常事態と言える。


「…………」


 山向こう、正面から城を攻める七条正元の軍勢はわざと大きく声を上げ、大槌や高梯子を使って城門を打ち破り、その突破を待って別動隊は軍を進める段取りとなっていた。


 間もなく、上月城正面方向よりわあわあという喚声が聞こえ始め、大した戦闘音もなくドーンドーンと二度太鼓の音が響き渡る。


「はて、もう表門が落ちましたか」


「否、いくらなんでも……」


 早過ぎる。政範の脳裏に浮かぶのは、虚誘掩殺(きょゆうえんさつ)上屋抽梯(じょうおくちゅうてい)の四文字。


 これらは偽撃転殺の返し技。罠に誘われたところを、あえて誘いに乗って相手を死地に追い込む逆転の策。古の時代、大陸の名将曹操が、張繍(ちょうしゅう)の籠る宛の城を攻めた際、張繍の参謀賈詡が曹操の手の内を読み、

曹操は一夜にして息子と甥、忠臣悪来を含めた五万もの兵を失ったという。


 現代でも広く読み継がれる三国志は、日本の民衆に知れ渡るのは一般に江戸初期の元禄の頃とされている。


 だがその原本は平安期には我が国にも輸入されていて、武経七書などの兵法書や神農本草経などの医学書同様、一定以上の知識階級であれば教養のひとつとして通読することもできた。



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