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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第二十二章・播州上月奪還戦【天文二十三年六月十二日?(1554年7月11日?)~】
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24・播州上月奪還戦2-2


「……首尾はどうだった」

「上手く持ち上げられたかと。明日一日かけて勢子(せこ)を募ってまいります」


 先刻まで則近は、陶将らに対して額を床に擦り付けて巻狩(まきがり)参加のお願いをしてきたばかり。彼の額は苦心の跡が赤く残っていた。


「お主にはつらい役目ばかり押し付ける」

「……なんのなんの。今年は尼子のおかげで春から山の獣を獲る事が出来ませなんだ。村の若い連中も鬱憤が溜まっておるでしょう。ちょうど良い機会かと」


 巻狩とは、山の獣を四方から勢子を使って囲い込む追い込み猟の一種。通例、巻狩は夏前に行われ、山からの獣害予防以外にも当時の武家社会においては軍事訓練の一環としても行われていた。


「しかし、義息子もおかしな頼み事をする」


 元々、明日後の狩りの予定を組むように頼んできたのは則答の義息子の七条政元。


 上月の城を取り戻すためには、どうしても陶将らの同行が必要なのだと政元の説得があったがために、恥を忍び、不承不承ながらあのならず者らに頭を垂れてみせた。


「きっと何かお考えがあっての事。今がいかに微妙な時期であるか、義息子殿も重々承知のことでしょう」

「……それはそうだが」

 

 佐用則答も太田則近も、五月に入ってから陶と毛利が交戦状態に入った事は耳にしていた。この周囲でその事実を知らされていないのは、上月の侍屋敷の陶将ら八名のみ。彼らには耳心地の良い言葉だけが歪めて届けられるように仕向けてあった。


 情報戦においては、赤松方も負けてはいない。


 一応、則答はそのほかに折敷畑での戦の顛末も聞き及んではいた。陶も毛利の大戦の趨勢が決したわけではない。今この時、上月城を取り戻すために行動したとして、下手に毛利方に味方したと分かれば、これより先、万が一毛利と陶の戦いで陶方が勝利した際には大きな「しこり」が生じる。


 不確定要素の多い現状において、毛利方のみに協力する危険性を則答は重々に承知していた。


「いやいや、よもや巻狩の最中に全員で襲い掛かるわけではありますまい。狩りの途中、しかも突如八名もの人間が死んだとなれば陶殿も怪しまぬはずがありませぬ。義息子殿には義息子殿なりのお考えがあるのでしょう」


「ふ……」


 八名皆事故で死にましたでは、さすがに不審死が過ぎると則答は薄く笑う。


「内密の話ですが、城取りの決行も明後日だとは聞いております。我らには我らの成すべき事がございます。陶にも毛利にも角を立てず、なおかつこの城を取り戻す。無理難題にも思われますが、ここはひとつ義息子殿の機転に期待しようではありませぬか」


 そういって二人の男は帰路に就き始めるのだが、自らの屋敷までの道中、佐用則答も太田則近も一体どのようにして陶の諸将を討ち取ればよいのか、ああでもないこうでもないと議論を交わしてみせたが、さっぱり答えは出てこない。


 二人の心配を他所に、相変わらず上月の城内では下品な男達の笑い声が漏れ聞こえていた。


 

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