02・備州騒乱1-2
『大森、多いに賑わう』
更なる領土拡張に燃える経久のもとに届けられた便りの書き出しは短かった。
大森とは、石見が誇る大森銀山を指す。後世、世界最大の銀山として知られる銀山群も、当時は開山から十年も経たない若い鉱脈が多く、詳細な埋蔵量は未計測。しかも銀山のある地域一帯で採掘を行う職人達を在地の領主が統轄していた為に、どの勢力もうかつに手出しは出来ずにいた。
それだけではない。
当時、日本の銀の精錬技術はそれほど発展しておらず、採掘された銀鉱石から直接銀を精錬する為には、膨大な時間と労力を必要とすることを常としていた、はずだった。
ところがこの天文二年、この常識を覆す新技術の確立に成功した人物が日本史に出現している。
その人物の名は、神屋寿禎。
寿偵は博多の商人。歴史上では、初めて石見の銀山群の本格的な開発に乗り出した人物でもある。
彼の考案した精錬技術とは、鉛と灰を利用したもので、鉛を用いて銀の抽出を行い、灰によって除鉛作業を繰り返すことで、段階的に純度を上げていく革新的な方法だった。
この画期的な技術は灰吹き法と呼ばれ、旧来の方法より短時間かつ大量に、高純度の銀を精錬することを可能とし、以降六十年間、日本の精錬技術の主流となっていく。寿禎らはこの灰吹き法の試験を終え、昨年秋から大規模な加工施設を大森に整え始めたのだという。
尼子側の間者が、石見の異変に気づいた時には後の祭り。
大量の銀鉱石が切り出され、銀の精錬が次々に行われ、銀山に設けられた関所から入る税収は以前の何十倍にもなっているだろう、といった内容で書状は締め括られていた。
「……してやられたわ」
技術漏洩を逃れるために、この情報は限界まで秘されていたに違いない。
間者の報告には、ごくごく最近の日付が記されていた。
周防長門の大内氏とは犬猿の仲。大森銀山の所有権を巡って何度も争い続け、現在、銀山は大内氏の手で押さえられている。
ならば、彼らは無尽蔵に近い財源を手に入れたということになる。
さらに書簡には、三ヵ月前の春風の中、山口港から大陸方向に向けて大きな船が出帆したとも記されていた。
名目上、大内氏の船団は徳の高い経文を取りに行くとしていたが、実際は貿易を見据えての視察団と見て間違いない。大陸との貿易は、更なる莫大な財産を生み出す源泉となり、日本中で不足している銅銭の供給を見越すものだった。
銭が銭を呼ぶ。銭があれば人も物資も潤う。
こうなれば、戦線の拡大を続ける意義は無い。
このまま西の防備を放置していれば、必ず大内氏は尼子軍主力の留守を狙って出雲攻略を画策するに相違ない。金も領地も、あればあるほどに良いと考える大内が出雲侵攻を視野に入れない理由はない。大陸貿易と鉱山による潤沢な資金と、それに伴う兵站の数々。消耗戦に持ち込まれればどちらが先に力尽きるかは明白となる。
圧倒的な物量は、容易く人間の知恵や才覚を凌駕してしまう。
事態は、尼子家の戦略を根本から覆すほどに深刻だった。
大内氏の目が大陸へ向いている間に、何かしらの対策を講じなくてはならない。残された時間はなかった。
「…………」
経久は動揺を悟られぬよう、静かに瞳を閉じる。
家臣からは、不安げに経久を見つめる視線が集まった。
これこそが、尼子家の最大の弱点だということを、当主経久自身が誰よりも知っている。
尼子には、まだ足がない。
足とは基盤。短期間に急拡大した尼子家は支持基盤が固まっていない。
諸外国と比較すれば、あくまでも尼子は新興勢力の一つ。始まりの鳥追いの儀から、経久の才を盲目的に信じる国人衆によって尼子家臣団は構成されていた。
それ故、経久は七十を越しても尚、家督を嫡子晴久に譲れずにいた。
右肩上がりの勢いの間は、例え局所で不利でもあっても彼らは尼子に従ってくれるだろう。例え内部に不満があろうとも、経久は外敵を作り続け、力ずくで家臣達を押さえ込んで来た。
だが、今回の件で絶対的な不利を悟られれば、彼らがどのような行動を取るかは容易に想像がつく。
思考を巡らせれば、西出雲で未だ続く経久の三男・塩冶興久の謀反も怪しくなってくる。
西出雲は、もともと反尼子の気質が高い土地ではあったが、いざ叛乱という際には、出雲大社などを寺社勢力を含めた大規模な一斉蜂起が起きている。一応、大内氏側から経久側への支援はなされたが、裏で二虎競食の計を目論んでいた疑念は晴れない。
石見国に近い三男にも、予め銀山の情報が流されていたのかも知れない。
「…………」
疑えば疑うほどに、脳内の闇は広がる。一手、情報戦において一手で根底の覆った戦局では、これ以上の戦線の拡大は望ましくない。新たな戦略が整うまでの時間を稼ぐ必要がある。
―――それは理解している。
だが、ここで上洛をも意気込む家臣達を納得させる為に、何かひとつ大きな落とし所が必要となる。
暫くの沈黙の後、経久は初めて本当の意味での微笑みを浮かべた。
「……紙と筆を用意しろ」
さらさらと幾つか書状をしたためると、間者達を備前方面へ走らせる。
この行為の真髄を知り得た者は、古参でもせいぜい数名程度。経久は、一拍置いてから皆を見渡すと、配下の者は、静かに彼の言葉を待った。
「皆、聞け。これまでの皆の働きによって、我らは浦上の頭脳を潰すことが出来る」
場はどよめいた。一戦も交えずにどうして敵を討つことが出来るのか。問い掛ける者もいたが、その質問を経久は鷹揚な一笑だけを返答とした。
「兵法の極意とは、戦わずして敵に勝つことにある」
「経久さま」
「案ずるな。後はこの場で奴等が瓦解していく様を見ておれば良い」
静かに経久は踵を返し、視点を先にのみ向ける。彼の思考は遠く出雲を越えていた。
「伝令、ご苦労であった」
経久の心の漏れ出しに気づいた者は居ない。ただただ、己の守護者にひれ伏した。




