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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第十九章・西播怪談実記草稿十一【天文二十三年四月中旬】
182/277

21・西播怪談実記草稿十一4-1(天文美作合戦)


 ―4―



 天文二十三年、晩春五月の初め。



 立夏を前にして、播磨の天候はより不安定なものに成り始めた。


 この年の梅雨は例年よりやや早い。しとしとと小さな雨粒が若い山の木々の葉を濡らし、播磨国神崎郡の村々は今日も雨に包まれる。肌寒さを覚える気温に、小さく誰かがくしゃみをする声が聞こえた。郡内、田原の集落を通過する尼子軍の足元では、群生したカタバミが小さな蕾を付け、迫る初夏の気配を静かに感じ取っていた。


 これから季節が夏へと移り変わろうとしている。


 播磨南部を目指す尼子軍主力だが、その顔色は美作国で勝利を得たときとは打って変わって皆一様に暗く沈み込み、足取りもひどく重いものとなっていた。


 雨中、泥にぬかむる因幡街道を行軍する彼らは、次第に栄光を失いつつある。


 人間は、その構造上長期間の雨に耐えられるよう強靭には出来ていない。濡れた衣服に体力を奪われることを嫌い、ふんどしすらも脱いで胴丸のみで歩く兵士の姿も散見された。


 しかし、そんな兵士を注意する尼子の将はない。将らの消耗も甚だしく、当初は晴久派の決定に不平不満ばかり呟いていた新宮党員らですら、今では悪口を紡ぐ体力すらも失うほどに疲弊している。


 宍粟長水城下、宇野氏の支配圏を出た尼子軍主力は、進路を東に大きく変更する事態に陥っていた。


 それもこれも、龍野城主・赤松政秀が宿村(しゅくむら)(たつの市)にて関を敷いて尼子軍の立ち入りを制限したからに他ならない。


 宍粟郡から龍野を直進すれば、播州室津まではほぼ一直線。


 その経路が突然塞がれた。


 理由は龍野領内の治安悪化によるもので、領民の安全が確保できるまでは生活物資以外の出入りを厳しく制限しているのだという。


 せめて兵士の休息だけでもどうかと晴久が問うと、政秀はそれも拒否し、代わって播州中部の福崎を経由して姫路方面へ南下するルートを提示した。


 距離にすれば、おおよそ三日の遠回り。


 かなりの大旋回となるため、治安維持ならば尼子に任せよ、拒絶するのであれば強引に龍野領内に押し通るぞと尼子の諸将らが凄んでみせると、政秀はことさら申し訳なさそうに頭を下げ、幾分かの戦費と糧食の供出を行うことで妥協してもらえないかと頼み込む。


 龍野赤松氏は名家も名家。そんな相手に恥を忍んで殊勝な態度を取られると、それ以上なかなか強気には出られない。


 今回の派兵において、龍野赤松氏の協力は必要不可欠。


 そう、政秀の申し出はなにも悪い事ばかりではない。視点を変えれば、自分達が東に陣取ることで、赤松総領家の居城を全方位から取り囲むことが出来る。播磨国内の反尼子勢力の包囲殲滅させたい尼子としては、むしろ願ったり叶ったりではないか。


 弱気の赤松総領家は、まず本拠地の置塩を離れることはあるまい。


 万が一道中襲撃を受けるようなことがあったとして、播磨北部の親尼子派の協力も見込めるため、このまま治安不明瞭な龍野を通るよりも安全が確保されるように思える。


 龍野赤松氏の現実的な提案に、晴久らは一定の同意を示し、領内の安定が整えば必ず駆けつけることを条件に、政秀の要望に不承不承ながらも応じた。



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