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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第0章・摂州大物崩れ【享禄四年(1531年)】
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01・摂州大物崩れ3-3

 

 龍野を抜ければその後、道は二手に分かれる。


 問題となるのは佐用郡。この土地は豊福氏や利神(りかん)別所氏などの置塩の赤松本家に属する有力地侍が治めている。当然、龍野との郡境には兵が伏せてある可能性が高い。最短距離を直進して勢いそのまま作州街道に入るか、龍野の兵士のすすめに従って宍粟から佐用郡を突っ切るかどうか。


 しばしの思案の後、能家は後者を選ぶ。


 多少遠回りになるが、宇野氏の所領を通り抜け切窓峠(兵庫県宍粟市)から佐用郡内に侵入、そのまま杉坂峠(兵庫県佐用町)から美作へ抜けたほうが危険度が小さいかも知れない。龍野での状況を見るに、一度や二度の追撃ならば凌げる戦力なら十二分にあった。

 

 国越えはもうすぐ。

 

 だが、そこからの戦は能家らの予想を遥かに越えていた。

 龍野から先は播州平野が終わり、山陽へ向かう本格的な山道が続く。

 道は狭まり、奇襲を仕掛けるには絶好の立地となる。


 山道に入ると、赤松軍は襲撃方法を変えてきた。

 予想通り、切窓峠から石井を過ぎたあたりからは幾度か赤松家とみられる軍勢からの襲撃が始まった。が、宇喜多勢が迎撃に向かうと、すぐに山中に引き上げてしまう。相手は最初からまともにやり合う気はないらしい。少ない手勢で相手に効果的な被害を与える、実に嫌らしい策だった。

 

 そして、それが何度も繰り返され、神経をすり減らし、油断をすれば斬りかかってくる。

 実に、赤松家らしいゲリラ戦術。推す時も引く時も、赤松の兵士には旗もなく閧の声もない。


「……考える頭が変わったか」


 或いは、友軍にさえも見捨てられたのか。能家は自嘲げに独りごちた。

 さらに時折、周りの森の中から火薬の爆ぜる音がする。その都度、配下の兵は怯えて足を止めた。

 轟音の後、すぐに狂ったように弓矢の雨が降ってくることもあれば、そのまま半刻近く何もなく、逆に足を進めた瞬間に襲撃を掛けて来たりもする。

 焦れば焦るほどに被害が出た。精神が持たず、周囲の森を調べさせようものなら必ず二三人は戻らぬ人となった。

 一里進むのに、平野の何倍もの時間を消費している。


「この山々を平らに変えられぬものか」


 それが出来れば、山深いこの地の人々は狂喜するだろう。現実には出来ぬから、能家の願望は夢物語やお伽噺の類いでしかない。


「どの程度、生きている」

「……恐らく、百に届かぬかと」


 千種川沿いを通り抜け、徳久という村へ辿り着く頃には、宇喜多勢の生き残りはその程度しかなかった。これが備前三石を出た際には一万七千を数えた軍勢の成れの果てかと、皆の疲労は極限に達し、これが最後かと誰もが諦めていた。

 

 そんな折、徳久村という街道沿いの小さな村で、一人の菜売りが能家達に歩み寄ってきた。


「御武家様、菜っ葉は要りませんか」


 能家は奇妙な生き物を見る目で、菜売りの娘を見た。

 むしろ気味悪く思った。


「菜っ葉、要りませんか」


 だが、彼女は憚ることなく能家の前に歩み寄る。土と血でまみれ、傷だらけの兵士達を前にして、彼女の行動は異常だった。

 そこで能家は、はたと気付いた。

 この娘は何かしら自分に話したいことが有るのではないだろうか。


「娘よ。すまぬが我らは腹が空いている。その篭の菜をくれぬか」


 能家が警戒を解いたのを見て、娘は笑いながら篭を能家に渡し、そして渡し際、能家に囁いた。


「この先は道が二つに分かれています。一つは平野の道、一つは坂の道」

「…………」

「必ず坂の道をお選び下さい。平野の道には兵が伏せています」

「……感謝致す」


 能家は菜代として守り刀を彼女に渡し、兵達をまとめると軍勢を坂の道を選択した。

 そこは佐用坂と呼ばれる勾配の激しい難所なのだが、相手もよもや疲弊仕切った軍勢がわざわさそんな道を選ぶとは思っていなかったらしい。

 能家達は大した襲撃を受けることなく、無事に備前国砥石山へと戻ることが出来た。

 城内では、すでに主君の敗死と高國の自害が伝わっており、浦上家中が大混乱に陥っていた。能家はすぐに彼らを束ね、事態収拾に向けて、備前国中を奔走することとなる。


 尚、余談ではあるが、この時の刀はその後、娘の手で近くの神社に納められたという。

 

 実際に筆者が現地を訪れた際は、刀が納められた神社が何処なのかは伝わっておらず、このときの武将が能家だという正確な資料も見つけることが出来なかった。

 ただ、菜売りの娘と落武者の昔話だけが伝えられ、昭和の初め、娘の子孫を名乗る女性によって、自慢気に語られていたことだけは真実である。

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