15・西播怪談実記草稿五3-3
田畑の損害は大きく、栄養の行き渡らぬ身体には些細な病魔すら命取りになる。
「もう気づいておられるのでしょう。貴方が夏に私どもより奪ったのは細川高國殿の孫にあたる女子です」
「…………」
世が世であれば、則答や宗景程度の身分では会うことも許されぬ身上。
「……まだ物証が必要だとおっしゃられるのであれば、貴方が佐用郡からお持ち出しになられたあの刀こそ何よりの証拠となりましょう。高国様の死後、数年経って高国様と最期の夜を共にしたという者が娘の消息を調べ上げ、遠路はるばる摂津尼崎より備前国へと届けられた謂れを持つ、由緒正しき二振りの守り刀となります」
細川高國の遺志は、確かに備前国へと届けられていた。
もう一度書く。細川高國の遺志は、確かに備前国へと届けられていた。
「娘らの父親は誰だ」
「共に逃げてきた男との間の子だと」
女の死後、男に残されたのは洪水被害の爪痕残る荒れた田畑と、産まれて間もない赤子と二歳の娘。もともと痩せた山間の集落、貯えなどあってないようなもの。
再開墾の目途が立たず、秋の実りが期待できない以上、男は自分の手で自らの子を育てることを諦めざるを得なかった。
まだ集落で比較的被害の少なかった一家に子らの世話を頼み、男は仏門へと戻る。俗世を離れた者の名は、至岳という。
数年後、男が娘の世話を頼んでいた家族を不幸が襲い、窮地に陥った少女らが佐用氏の預かりとなったことを知ったのは、俗世から切り離された禅僧が山での修行を終え、雲水として再度播磨国を訪れた天文十七年以降。
「備前に残された娘の子はどうなった。男児もおったはずだ」
「今は、貴方の手元に」
薄々そうではないかとは気づいていた。気づいていながら、宗景は目を伏せようとしていた。生き別れとなった高國の娘の男子を、兄・浦上政宗が備前砥石にそのまま留め置いたのであれば、なるほど宇喜多の小童と通じているのも合点がいく。
「……山名の奴等めは知っておるのか」
「当然で御座いましょう。当主豊祐殿の弟君の細君は同じく高国殿の姫君で御座います」
ああ、これは毒だ。自分が呑まねばならぬ血族の猛毒。
「お顔の色が優れぬようで御座いますな。」
「…………」
「私共は、せめて村宗様の奥方とその御家族が平穏無事であれば良いと考えておりました。しかしながら貴方様は我々の願いを虚しく手折って御行きになられた。浦上の宗景ともあろう御方が、何も知らずに我等の領内を荒らしたのでは御座いますまいな」
怒涛のごとく煮え滾った感情が、堰を切ったように即答から解き放たれていた。
「そろそろ戻らねば」
いつまでもここにいては怪しまれる。鐘突き堂を立ち去る間際、則答から孫の政範を差し出す前にこの話を聞いた場合、真実と受け止められたかいう質問をしたが、宗景は言葉を返すことが出来なかった。
彼はただ、木々の合間からわずかに覗く青空を仰ぎ、呻き声とも嗚咽とも聞こえるかすかな吐息を漏らすのみだった。




