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幕間5



「堀江氏……、あまり聞かない名前ですね」

「いかにも。かつての名族ではあるが如何せん知名度は低いな」


 老人が頷く。堀江氏ときいて、私の脳内に浮かんだのが某企業家の彼の顔だった。確か、彼は九州出身だったのではないだろうか。


「越前国は今の福井県でしょう。福井の武将が岡山まで移動することはあったんですか」

「江戸時代と違って、戦国期は国から国への移動もわりと自由だったからなぁ」


 天下の定まらない時代、主の定まらぬ牢人らは全国各地を彷徨い歩いた。この時代で有名なのは、甲斐武田氏の名参謀・山本勘助(菅助)。彼もまた全国を武者修行して軍学や築城技術を修めたのだとされる。


「……他にも兵庫県内なら、越前島津氏が地頭職として公職として越前国から播磨下揖保荘(兵庫県たつの市)へやって来た例があり、少し後になれば、播磨が生んだ名軍師・黒田官兵衛の一族も近江(滋賀県)からやって来たという話もある。仕官先を探して渡り歩くのもそれなりに一般的だった時代だな」


 老人らの話によれば、越前堀江氏は長禄年間(1457年~1460年)に、堀江氏の宗家筋の堀江石見守家が越前守護・斯波氏に与し、庶家筋の細呂木・本庄氏が守護代の越前甲斐氏や朝倉氏に味方することで血族を残そうと考えたのだという。


 その後、越前国足羽郡和田荘(福井県福井市和田)の合戦で、宗家筋の堀江利真が戦死、嫡流の血族は断絶。途絶えた宗家(堀江石見守家)の名を庶家が引き継ぎ、越前朝倉氏の被官となることで一族の再興を果たしている。物語の舞台となる天文年間後期には、朝倉家中随一の戦闘集団として一族を存続させていた。


「では、このお坊さんはいつ頃播磨国に?」


 老人が、笑って首を横に振る。


「……急くな急くな。この天文二十三年は物語序盤にしては本当に情報量が多い。勘の良いものであればある程度予想が出来るかも知れないが、答え合わせの時間にはまだ少し早いな」


 もったいぶる老人の様子を私は少し不満に思ったけれど、大人しく席に付くように促されたのでお茶のお替りだけ入れ直して囲炉裏端に座り直した。


 ―――チィン……。


 夜語りが再開されたが、この時に金打(きんちょう)したのが青年だったか老人だったかを、私は今も思い出せないでいる。



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