13・西播怪談実記草稿三2-2
「宇喜多殿は何ゆえ、この場所に」
「……知れたこと。わしが宗景殿との橋渡し役だからよ」
秘匿性を考えれば、堀内と名乗る侍の正体を知る人間は少ない方が良い。二人の様子を見るに、ともすれば、主君・浦上宗景すらも普段自分が配下に集めさせている情報の提供元を知らない可能性がある。
「七条殿には、わしの主と会って貰いたい」
今度は政範が少し眉根を寄せて否定的な表情となり、直家は咽喉の奥でくっくっくと低い笑いを漏らす。
「……邪険にされたものよ。しかし、わしは夏に伝えた様に、七条殿には屈服せよと迫る気はない。今、備前と播磨は争うときではないと考える。播備の覇権を巡る大戦など、目下、二つの国、二つの勢力の間を跳梁跋扈する者どもを討伐してからでも遅くは無かろう」
すいと差し出された直家の右手には、杉原紙に描かれた西国を模した略地図。左手には、天然石を磨いて作られた碁石が幾つか並ぶ。
「……中央、これが主君・宗景様の居城天神山。この山を基点に、北東に十一里半(約46km)行けば七条殿の上月の城。山から川沿いに九里(約36km)南の河口まで行けば、わしの乙子の城。さらに海岸線を東に十七里(約68km)進めば、途中、鹿久居島、赤穂を抜けて怨敵・浦上政宗殿の室津室山の城……」
備前独立派と共闘する勢力は白い石で、仇なそうとする親尼子勢力が黒い石。
直家が名前を挙げる中で、既に旗色を決めた勢力にはそれぞれの石が割り振られる。赤松総領家の置塩城、龍野赤松氏の龍野城には白い砂岩、宇野氏の宍粟長水城には黒い火成岩。
一方で、七条家の領地、上月、佐用の位置には、色を示す石は置かれていない。
「……正直なお話ですが、我々備前独立派も、立場的にはあまり芳しいものではありません」
「松田殿も、最後まで首を縦には振らぬだろうしな」
この夏、備前独立派は、西備前随一の堅城、金川城の主・松田左近将監元堅の周辺の取り込みに失敗していた。
もともと建武の時代、備前松田氏は備前守護職に就いていた家系で、後に新たな備前守護に赤松家が任じられるようになると、一応は赤松氏被官の国人衆という立場に落ち着いてはいた。
しかし、赤松家の権勢が振るわず備前国内で浦上氏が守護代に選出されるようになると、松田氏は反体制的な態度を露わにし、宿敵山名氏と結託して過去の楔を断ち切らんとする動きを見せ始める。それまでの後ろ盾・山名氏も衰退の色が見えると、今度は新たな掩護先を出雲尼子氏に求め、尼子晴久を通じ西備前での地位を高めることで、備前松田氏は備前の親尼子派の中でも頭一つ抜けた存在になっていた。
岡山平野の勢力拡大を巡って備前松田氏と備前独立派が争う中で、彼らは常に周囲に不協和音を鳴らし続けている。
「松田殿の日蓮好きには皆一歩引いておる。そこに付け込んでみたが、どうしてなかなか……」
備前松田氏当主・松田元堅は熱狂的な信徒として知られており、城内に恭愍院道林寺を建立し、時として領内の他宗教への敵意にも似た苛烈な態度を見せることがしばしばある人物としても知られていた。
「……宗教は怖い。それは論理ではないからな」
密告者の中には、元堅から先祖伝来の宗派の棄教を迫られた者、日蓮宗への改宗のために家族との繋がりを断たれた者など、家臣達からの不平不満の声は確かに積み上がっている。だが、それはまだ微かな澱み、確かな崩壊に繋がるほどではない。




