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僕は君のことが嫌いだ  作者: 相馬惣一郎
8/20

第8話

 便が不調である。

 ずぼぉーんと出てくれない。ビチバチと悲痛の声を張り上げて私のもとを去っていくのだ。いたたまれない気分である。

 やはり初音さんにバレたというのが響いているようだ。いまや彼女の顔を正面からまともに見るのが苦になっている。

 それにくわえて、望月さんに返事の手紙を渡さなければいけないのだ。せっかく好意をもってもらったものを断らなくてはいけないというのは、やはり気が重い。

 私はあの女のことなどほうっておいて、早めに家を出た。

 家にいるのが苦痛であったというのもあるが、古風な伝統にそって靴箱のなかへそっと手紙を忍ばそうと思ったのだ。そのほうが粋だろう、会わなくても済むし。

 渡されたラブレターには彼女のアドレスが書かれていたので、それを使って呼び出してもよかったのだが、連絡先を交換してしまったがゆえに起こるさまざまな事柄を私はおそれた。

 私は小野寺さん一筋である。

 わざわざ余計なものを入れ、疑いを増やすこともない。

 学校に着いた。

 校門を少し先に行ったところで、ある人物が立っていた。望月さんであった。まだ早いので周囲には誰もいない。

(渡してしまおう)

 たしかに靴箱のなかへ入れてしまったほうが私も気が楽ではあるのだが、機会があるのであれば対面してきちんと断ったほうがいいに決まっている。それをおそれるような軟弱な男ではないのだ、私は。

 近づいていくと彼女のほうでも私に気づいた。

 そして私は、

「やあ」

 と声をかける間もないくらいの勢いで連行された。

(いったい彼女になにがあったのだろうか……)

 背筋が寒くなるくらい、彼女はおそろしい形相をしていた。

 望月さんは靴箱のある玄関ホールへは入らず、壁伝いにそって歩き、角をまがったところで、いきなり、どんと私を壁に押しつけ、取調べを行う刑事のような冷淡で隙のない鋭い目つきをむけてきたので、私は思わず失禁してしまいそうなほどの恐怖をおぼえた。

 もうドキドキがとまらない。

「手紙は?」

「は、い?」

「わたしがこないだ渡した手紙よ、まだ持ってるでしょ? それとも家?」

 私は手紙を持っていた。

 というのも、こういうものは、からかいの材料になりがちだからである。もちろん私はそんなことをするつもりは一ミリもないが、相手が自分で処分したいと望むかも、という配慮から持ってきていたのだ。

 だが、このときの私は、あまりの恐怖で口がきけなかった。

「あるの? ないの? どっち?」

 すごまれて、ようやく私はふるえる声で、

「も、持ってます……!」

 カクカクとうなずき、おぼつかない手つきで鞄からラブレターを取り出して渡すと、彼女はそれをひったくるや、さっと中身に目を通し、たしかにそれだと確認したようで、ちょっと安心したように小さくうなずいた。

 だが、それもつかの間で、

「このこと誰かに言った?」

 と、ふたたび股間が縮み上がりそうな目つきでにらんできたので、私もまた固まって、なにも言えなくなってしまった。

 すると、まるで眼力だけで空間を圧縮しようとでもするように、望月さんの両眼に覇気がくわわり、

「手紙をもらったことよ。言ったの? 言わなかったの? どっち?」

 せまってきたので、私はあわてて、

「い、言ってません!」

 と、首を横に振った。

「そう、よかった」

 言葉どおりに、よかったという感じの顔ではなかった。

 彼女は、

「いい?」

 と、念を押してから、まるで催眠術でもかけるように、

「わたしはあなたに手紙なんか渡していないし、あなたも手紙なんか受け取っていない。わたしはあなたのことなんて知らないし、会ったこともない。あなたもわたしのことなんて知らないし、顔も見たことない。わたしたちはまったくの赤の他人である。いいわね?」

 私に語りかけてきたのだ。

 いくらか顔つきもゆるんでいるし、口調もやわらかくなってはいるが、目が笑っていない。おそらく否定すれば、すぐさまあの形相がせまってくるのだろう。

(ひ、否定してみたい……)

 ここで逆らって、もう一度あのドキドキを味わってみたいという欲求が高まってしまうほどに、私は混乱の極みに達していたが、なんとかそれをこらえて同意した。

 望月さんは何度も念を押し、彼女が言ったことを私に復唱させて、ようやく納得したように軽くうなずいた。

 私もなんだか手紙などもらっていないような気分になった。

「じゃあ」

 彼女の顔は、もはや私のことなど念頭にないようで、当然のようにそこからはなんの未練も感じとれなかった。

 くるりとスカートがまわり、残念なふくらはぎが私の視界に映った。そして、すぐに消えていった。私はなんだか切ない気分で、幼児を思わせる彼女の後姿が去っていったほうへしばらく視線をとどめた。

 なんだか、おかしなものだ。

 私は断るつもりだったのだが、告白自体がないものとなってしまったので、実質的にはフラれたも同然である。告白され、返事もしないうちに、その告白した人間からフラれるというのは、めずらしいケースであるし、理不尽でもあるので、本来なら憤りを感じてもおかしくないのだが、私はまったくそんな気持ちにはならなかった。

 むしろ、その逆だった。

 私は祈らずにはいられなかった。

(……あの残念なふくらはぎに幸せがおとずれますように)

 私はふくらはぎの幸福を祈って合掌をした。

 それから私は玄関ホールへ足をむけた。すでに登校する生徒の数も増えていて、私はその波にまぎれて、教室へと進んでいった。

 望月さんのこころ変わりはいったいどうしたものだろうか。なにが彼女をそうさせてしまったのだろうか。

 廊下を歩いている間、私の胸をついたこの疑問は、すぐに私の知るところとなった。

 突然のことである。

「よう!」

「おはよう!」

 名前も顔もうろ覚えの連中から肩や背中をたたかれて挨拶をされた。しかも、彼らはなにか含みのあるようなニヤニヤとした笑いを浮かべているのだ。

 不気味で不可解なのはそれだけでなく、

「おはようございます」

 と言って、うやうやしく頭を下げてくる奴がいたり、数人の女子がキャーキャーと歓声をあげ、手を振りながら、その変な名前を呼んできたりするのだ。

 女子が団体で押しよせる迫力はすさまじいものがあり、とにかくなにか返答しなければ絞め殺されそうな雰囲気だったので、しかたなく片手をあげると、またキャーである。

 なんだか私はおそろしくなった。

 天変地異かなんかが起こってパラレルワールドにでも突入したかのような不可解な一連の出来事の極めつけが、

「ムシュー」

 とつけて、工藤の野郎がうやうやしく頭を下げて、その変な名前を呼んできたときである。

 実のところ中学時代、私はムシュー河合というあだ名で呼ばれていた。なかには丁寧にムシュー河合と呼びつづける者もあったが、単にムシューと呼ぶ者のほうが多かった。

 当時、外国の推理小説に夢中になっていた私は、そのなかに登場するある探偵のことを気に入っていて、彼がよく使っていたのでその言葉を知っていたし、その探偵にならって使ってもいた。

 だから、私はムシューと呼ばれることになんら抵抗を感じなかった。というよりむしろ積極的にかかわっていたとさえいえる。

 私はその探偵になりきって、彼らにメルシーと感謝してみたり、彼らのことをモナミと言ってみたり、間違いがあったりするとふざけて、ノン、ノン、などと言ったりして、彼らをよろこばせていたのだ。みんな笑っていた。彼らとの関係は友好的であった。そのはずである。

 だが、工藤が、

「ムシュー」

 と、言ったときの顔をみた瞬間、私はそのなかに、からかいがあるのを感じとった。

(ひょっとして中学時代、私はみんなにからかわれていたのだろうか……)

 ひとつの疑いが生じると、あれはそうだったのかもしれない、これもそうじゃないだろうか……まるで真っ白な半紙にぽたぽたと墨を落とすように、私のなかに残されている中学時代の思い出がどんどん汚されていくように感じた。

 私はぼうぜんとした。

 胃のあたりがなにやら重たい。

「おい、どうかしたのか?」

 工藤が様子をうかがうように私の顔をのぞきこんできたので、私はいくらか気を持ち直して、

「いったいどういうことだ? なぜ、みんな、変な目でボクを見てくるのだ?」

 当然の疑問を吐き出すと、工藤の顔がニタぁーとくずれ、

「また、またー」

 と、人差し指を私のほっぺたにあてて、ぐりぐりと押してきた。

「な、なにをするのだ!」

 憤然とその手を払いのけてもまだ工藤はニタニタと笑っていた。

 わけがわからなかった。

(みんな春の陽気で頭がおかしくなってしまったのではないだろうか……)

 私がもう一度、疑問を口にすると、工藤はあきれた顔をして、

「お前、ほんとにわからんのか?」

 私を見てきたので、この不可解な状況にちょっと冷静さを欠いていた私は、

「わからん!」

 と、ややケンカ腰で応じた。

 工藤は苦笑している。

「お前、昨日……」

 工藤が説明しかけたところで山田が乱入してきた。

「やあ、昨日はすまなかった」

 軽く手を上げて、

「私としたことが、キミと口づけを交わすことができるかと思うと、もう、そのうれしさで気を失ってしまったようだ。さぞ、がっかりしたろうね。キミが怒って帰ってしまったのも無理はない。だが、もう大丈夫だ。なにも心配はいらないよ。さあ、昨日のつづきを今日ここで……」

 色めきたつ教室内をまったく気にする様子もなく、ずんずんとせまってきた。その様子はあまりにおそろしく、無意識のうちに私は当身をくらわせていた。

「うっ……」

 床にころがる山田へ目をやりつつ、ひたいに噴き出したあぶら汗をぬぐう私の脳裏には山田の言葉がめぐっていた。

(……女装もしていないのに、なぜ、山田は私だと認識しているのか。あの女と思い込んでいたのではないのか)

 当然の疑問が噴出した。

 そこへ工藤がニヤニヤ顔で、

「おいおい、彼氏に対してひどいんじゃないか? それとも、これがキミたちの愛情表現なのかな?」

「ど、どういうことだ! それではまるで、ボクがこの男とつきあってるみたいじゃないか!」

 私の驚きに、工藤もちょっと驚いたように目を丸くさせたが、すぐにまたもとのニヤニヤ顔にもどって、

「隠さなくってもいいって、もうみんなわかってるんだから」

「なにがわかっているというのだ!」

「なにがって、お前……」

 わかってるくせに、という顔をしてから話しだした。

 この男の話を聞いて私はめまいがした。

 山田は女装した男にしか興味が持てないらしい。しかも、その女装というのにも注文があって、男をまったく感じさせないくらいというか、女性そのものといってもいいくらいのレベルでないと興奮しないというのだ。

 それならば、なにも男でなくて女でよいだろう、あの容姿だからもてるだろうし、好みの女性とつきあうのもそれほど難しくないんじゃないか、とも思うのだが、そういうものではないらしい。

 おそろしいのは、私は知らなかったのだが、この山田の性癖はすでに広く知れ渡っているということだ。

 私の脳裏にあの女の顔が浮かんだ。

「前に、お前、山田先輩のこと、俺に聞いただろ? それで俺はピンときたわけよ、これはなにかある、ってね。でだ、俺は上の学年に知り合いがいるんだが、その人にね、なにか変ったことがあったら教えてくれって頼んでいたわけよ。すると、山田先輩のことを訪ねてきた男がいたと連絡してくれた、ってわけだ」

 工藤はここでニッと笑って、画像を見せてきた。

 山田と並んで歩く女装姿の私が写っていた。間違いなく昨日のデート中のものだ。

「よく撮れてるだろ?」

「誰に聞いたのだ?」

「誰って、どういうこと?」

「山田と、その……」

「デートするかってこと?」

「……うん、まあ、そうだ。それを誰から聞いたのだ?」

「ああ、畑中さんだよ」

「畑中?」

(あの女ではないのか……?)

「先輩のクラスにいただろ? ほら、メガネかけた、性格きつそうな子。お前に声かけられた、って言ってたぞ」

「ああ、たしかにいた」

「彼女から聞いたんだよ。彼女、山田先輩に信頼されてるから、いろいろと聞き出してもらったんだ」

(なるほど。では、本当にあの女ではないのか……)

 私が疑うような目をむけると、工藤は、

「心配するなって、俺が広めといてやったからみんな知ってるよ。だから、堂々とつきあってくれ」

 さも、いいことをしたというように胸を張った。

「き、貴様……」

 私は怒りはしたが、正直どうしていいかわからなかった。これがすべてあの女の仕業であるならば、振り上げたものをそのままたたきつければいいわけだが、どうもそういうわけでもないらしい。工藤があの女と結託している、といえなくはないし、もし仮にそうだとしても今の私はあまりの事に、ある種の虚脱状態といえなくもない状態で、その怒りもすぐにどこかへ消えてしまった。

「ところで、ひとつ質問なんだが……」

「なんだ?」

「姉はいるのか?」

「は? いないよ。妹がひとりいるだけだ」

「そうか……」

 工藤は神妙な顔つきで考え込んで、それきり黙ってしまった。

 その後、工藤がどこやらに連絡をつけると、すぐに男たちがあらわれ、さっと山田を運び去っていった。

 それから休み時間になるたびに山田があらわれ、あぶら汗を流してそれをころがし、他クラスからも集まってくるギャラリーの好奇の視線にさらされていると、どうしても中学時代のことが脳裏をよぎって、沈うつな気分にひたっているうちに、どこからともなくあらわれる男たちに山田が連れ去られていく。

 工藤は考え込んでいたかと思うと、ひとりニヤニヤ笑っていたりして、なんだか不気味である。

 一日中、そんなことが繰り返されていると、私はなんだかうんざりしてきた。

 家に帰っても私はその気分を引きずっていた。

 階段をあがりきったところで、あの女と出くわし、

「そ、その、あたし……」

「キミとは話したくない」

 すれ違いざま、ぴしゃりとはねつけ、

「その、違うの。誤か……」

 食い下がる女を無視して、私は自室のドアを閉めてガチャンと鍵をかけた。

 なんだかひどく嫌な気分だった。

 どうしようもないくらいに、こみ上げてくる感情を制御できず、私はベッドに近づいて枕にこぶしをたたきつけた。それでいくらか落ち着くことができた。けれども、それは十分というには程遠かった。

 あの女の部屋のドアが閉まる音が遠く聞こえた。

 夕飯のときも私はあの女を無視した。

 あの女もあきらめたのかなにも言ってこなかった。

「おっ、ケンカでもしたのか?」

 と、からかってくる父も私は無視した。

 二人の仲を取り持とうとがんばっている初音さんも私は無視した。彼女を無視するのは私としても心苦しかったのだけれども、

「反抗期なのね……キョウちゃんもやっぱり男の子なのねえ、うふふ」

 どこかうれしげな表情を浮かべているのが、ちょっと気になった。

 ベッドに入ってもなかなか寝つけなかった。

 眠れないままぼんやりと天井に目をやっていて、浮かんでくるのはやはりその日の出来事だった。望月さんにフラれたこと、山田とつきあっているとされてしまったこと、あの女のこと、それに一連の出来事を聞いて小野寺さんが私をどう思うかということ。

 どれもこれも私を悩ますが、一番つらいのはやはり中学時代のことだった。

 昨日まで信頼していた者たちが急にそっぽを向いてしまったようだった。裏切られ、見捨てられたように思え、非常な孤独を感じた。

 ふと涙がこぼれていることに気づいた。ぬぐいもせず流れるままにまかせているといつしか眠りに落ちていた。

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