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僕は君のことが嫌いだ  作者: 相馬惣一郎
6/20

第6話

 私はめずらしく朝からウキウキしていた。

 この日はなんと久しぶりの快便だった。健康的な排せつをむかえて、身も心も軽くなった私は、このまま空を飛んで小野寺さんのもとへ駆けだしてしまいたくなるほどに、彼女に会えることが待ち遠しくてならなかった。

 早めの昼食をとり、私は念入りに口内を清潔にしたあと、昨日のうちにアイロンをかけてパリッとさせておいた服に身を包み、午前中のうちに家を出た。デートは昼からということだ。準備に時間がかかるので余裕をもって家を出たのだ。

「ちょっと浮かれすぎなんじゃない? そんなにデートが楽しみなの?」

 この言葉は私の胸をえぐった。

 たしかに少し浮かれすぎていたのかもしれない。あくまでも私は添え物なのだ。この女に頼まれて、しかたなくデートにつきあう、という体裁である。その私があまりに浮かれているというのはちょっとまずかった。小野寺さんに好意をもっていると感づかれては、この女のことだから弱みにつけこんでくるおそれがある。自重しなくてはいけない。

「別に、そんなことはないさ」

 私はなんでもないような顔をつくって、女のほうにむけた。機嫌のわるそうな顔だった。緊張のせいなのか、この女は朝からカリカリしていた。

 あの貴公子のような山田に会うのにためらいがあるようだった。デートを申し込んだことを後悔しているような素振りもみせ、まさかこの女、いまさらキャンセルするなどと言い出すのではないだろうな、と私をハラハラさせたくらいだ。

「キミと違って、ボクは気楽だからね。それが浮かれたようにみえるってだけじゃないかな」

 もっともらしいことをつけくわえると、この女はなにか言いたげに私をにらみつけてから急に目を伏せて落ち込んでしまうという情緒不安定さをみせた。よほど緊張しているものとみえる。そう思っていると、突然けりがとんできて、私はよけられずにすねをけられてしまった。

「な、なにをするのだ!」

 私が文句を言っても、あの女はプリプリしながら歩き出して無視するので、しかたなく私もあとにつづいた。

 やがて、とあるマンションの前にたどり着いた。

 部屋番号を押して、小野寺さんの可愛いらしい声を聞く。そして開かれた扉をくぐると、私の気持ちが彼女に受け入れられたようで、なんだか幸せな気分になった。エレベータにのり、上昇していくのにあわせ、私の幸福感もさらに高まっていった。

 私は小野寺さんの部屋の前に立った。

 感激が私を襲った。それは一リットルほど鼻血を出しても悔いはないと思えるくらいにすさまじいものだった。

 やがてドアが開き、

「あら、いらっしゃい。うふふ」

 ちょっと恥ずかしげに顔を赤らめた様子は、思わず、ただいま、と言ってしまいたくなるほど可愛らしい新妻のようだったが、服装はイメージと違っていた。

 野暮ったいジャージのうえには、だぼっとした長袖のシャツを着ていて、その広い襟元からは肌にぴったりとはりついたタンクトップのような生地がみえていた。ダンスのレッスン生のような、その格好は私のイメージとは隔たりがあって、ふくらはぎが見えないのも不満であったが、実際結婚したとなるとこんなものだろうかと、ふいに思ってからは、その生活感のある格好が妙に生々しく感じられ、私を圧倒した。髪をアップにまとめているというのも、よりいっそう私を興奮させた。

 軽く挨拶を交わしたあと、

「おじゃましまーす」

 と言って、なかに入っていくあの女のあとに私もづづいた。

 一度遊びに来たことがあるのか、あの女は小野寺さんの案内もなしにずんずん進んでいった。

 あの女のあつかましさと脱いだ靴をそろえもしない無神経さを私は軽蔑した。

 しかたがないので、私はあの女の靴も一緒にそろえた。

 ほんのわずかな間だが整然と並ぶ靴をながめ、その姿に満足をおぼえた私は小さくうなずいた。

 やはりこういうものはきちんと揃えておいたほうが気持ちのよいものだ。

 そこで私は小野寺さんがそばに立っているのに気づいた。

 彼女は、その顔に笑みを浮かべてはいるが、どこか緊張しているようでもあり、感心しているようでもあって、ややこわばったようなぎこちない感じであった。

 私はちょっとした違和感をおぼえたが、それよりも、幼い子どもが隠れてやったちょっとしたいたずらを見つけられたような気恥ずかしさがあって、赤らんだ顔をどうにかごまかそうと必死でそれどころではなかった。

「じゃあ、行きましょうか」

 うながされるままに私は小野寺さんのあとにつづいた。

 彼女の顔が視界から消えると、首もとの肌の白さがおもいのほか目についた。髪をアップにしているのと、襟の開いたシャツに、そこ以外は露出が少ない服というのが、よりその白さを強調しているようだった。そろそろと進む動作で微妙に背中も揺れて、それが波を思わせた。背中が白い海のようだった。そこへ顔をもぐりこませ、そのなかにある、ありとあらゆるものを吸いつくしてしまい気分になって、私は自分がこわくなった。

「ここがわたしの部屋なの」

 ちょっと恥ずかしそうに笑う小野寺さんの顔が突如としてあらわれ、私ははっと我に返った。内心ほっとした。もしあともう少し廊下が長ければ、私はとんでもないことをしでかしていたかもしれない。

 私はその恐怖と、自分の潔癖さを証明しようとするのとで、できるだけさわやかな顔をして、

「お邪魔します」

 と、小野寺さんにほほ笑みかけてから、なかに入った。

 目の前に飛び込んできた光景に私は無となった。

 オレンジ色のキュロットに、揃いと思われるノースリーブのシャツに着替えたというか、あたりに点在する服をみると着ていたものを脱いでいったというほうが正確といえる。そんな格好で小野寺さんのベッドに腰かけ、この女は、ややうつむきかげんで退屈した子どもみたいに足をプラプラさせていた。

 いったいどういう神経をしているのか。

 まるで自分の家にいるかのような、その態度に私はあきれた。

 露出が少ないということの魅力に目覚めた私には、目に入ってくるこの女の肌の多さがひどく汚らわしいもののように感じられた。丈が短いせいか、へそまで見えそうである。私はこの女への嫌悪をさらに強めた。

 この女のことなど無視して、私は気持ちをあらためて部屋を眺めた。

 意外だった。

 想像よりもずっとシンプルだった。

 白を基調としたシックな感じは好ましいのだが、黒や青といった色が目立ち、華やかな色合いに欠けているのでどうも男の部屋という印象が強い。しかも、父親から譲り受けたのだという昔の少年漫画が本棚にずらりと並べられているのが壮観で、なおさらそういう印象が強かった。クローゼットに入りきらなかったという女物の服が並べられていなければ、失礼だが女性の部屋とはとても思えなかった。

 私が仔細に眺めすぎたせいか、小野寺さんは

「ちょっと恥ずかしいわ」

 と、ほほに手を当てて恥ずかしがった。

 やっぱり小野寺さんは可愛かった。

「なかなかいい部屋ですね」

「あら、そう?」

「ええ。あいつのとはずいぶん違ってるけど、ボクなんかはこういうほうが落ち着きますね」

 私の感想に彼女はうふふと笑った。

 私も笑い返した。

 ふいにあの女が視線に割り込んできた。退屈しすぎたのか、あの女はベッドのうえでごろごろしだした。それがうっとうしいくらいに、目につく。

 最近あの女が部屋にくるようになってわかったことだが、あの女はいつもごろごろしている。私のベッドのうえでごろごろしている。将来、豚になるための訓練でもしているのではないかと思うくらいにごろごろしている。

 私は冷ややかな視線をおくりつけた。

 その視線を追いかけたようで、小野寺さんは私とあの女の間とを往復させて、それから私にニコニコとした笑顔をむけた。

 私はたまらず、

「すみませんね、横暴なやつで。どうも自分の部屋と思っているみたいだ」

「別にいいんですよ。わたしもそのほうがうれしいですから」

「はあ、そうですか」

 ベッドに目をやると、女は肩肘をついて頭を支えた格好で寝そべっていた。一般的にみて男を誘うようなポーズであるし、この女もデートの前で気が高ぶり、ミロのヴィーナスのように自分は美しいのだと思い込むことで気持ちを盛り上げようというつもりなのだろうが、私にはトドが横たわっているようにしか見えなかった。

 私は残念な気分になった。

 小野寺さんはニコニコしていた。

 その後、少し談笑したあと、小野寺さんが私にむきなおった。その顔は微笑しているが、先ほど玄関で感じたときのように、どこか緊迫したものがあった。

「じゃあ、顔を洗ったあと、これに着替えて下さい」

 彼女は私に袋を渡し、

「どういうことですか?」

「わたしが選んだの。きっと気に入ってくれると思うのだけど……」

 と、私の腕にそっと手を添えて、

「どうかしら? 着てみてもらえないかしら? きっと似合うと思うわ、ね?」

 心配そうな憂い顔でせまってきたのだ。

「は、はあ」

 私は気のない返事をするしかなかった。態度もそんなふうだった。実際わけがわからなかったし、かなりとまどってもいた。

 けれども内心では激しい感情が揺れ動いていた。暴れる鼓動を抑えるのに必死だった。私のために服を用意してくれた。小野寺さんが私のために……。

 私は歓喜でふるえた。

 だが、しだいに不安がせまってきた。

 ひょっとして試されているのではないか。自分が選んだ服に似合うような男でなければ見限られるのかもしれない。それとも、私の今の格好が一緒に歩くのにふさわしくないと思われたのだろうか。

 ニコニコ顔の小野寺さんを直視するのがつらくなって視線をはずすと、たくさん掛けられた衣類のなかで、ひとつのハンガーだけが服を掛けられることもなくぽつんとたたずんでいるのが目についた。なんだか不安をかき立ててくるようで嫌な気分になった。

 不安を抱きながらも言われたとおりに袋を持って私は洗面所に行った。

 顔を洗い、用意されたタオルで丹念に水気を取ってから、ようやく私は袋へむかった。

 はたしてどんな服が出てくるのか。

 不安もあるが、私のために小野寺さんが選んでくれたというのが、やはりうれしくもあった。

 私はドキドキしながら袋をひらいた。

 淡いピンク色をした少しだぼっとしたニットが出てきた。

 かつて着たことのない色合いに私は驚かされた。はたして私にこんなものが似合うだろうか……。

 これは試練の時である。

「うむむ……」

 と、つぎに私が引っ張り出したのは、白いひらひらのロングスカートだった。ついでにスポーツブラとおもわれるものまで引っかかって出てきた。

 いったい彼女はなにを考えているのだろうか。

 私はぼうぜんとなった。

 おそるおそる袋のなかをあらためてみると、ブラと揃いだと思われる下着に、もこもこした可愛らしい靴下が一足、入っていた。

 並べたこれらの品々を眺めながらあらためて、彼女がこれを着てほしいと言った、その真意を考えてみたが、さっぱりわからなかった。

 ……さて、どうしたものだろうか。

 思案していると、ふいに先ほど彼女の部屋で見たハンガーが浮かびあがってきた。

 この服はあそこに掛かっていたものではないだろうか。とすると、この服は小野寺さんのものである可能性が非常に高いということに……。

 この悪魔のような考えが浮かんでしまうと、もう私はそれに身を包んでみたくてしょうがなかった。そうすれば、亡き母と交信したように、小野寺さんをもっと身近に感じられるような気がした。

 私はピンク色のニットを手に取り、仔細に調べた。

 新品という感じではなかった。何度か着たような形跡があった。それを感じとると、私はたまらず顔を押し当てて、むせるような甘ったるい香りを鼻腔へかき入れた。

 それからの私は夢中だった。

 気がつくと着替えは済んでおり、私は自らを抱きしめてワルツを踊るようにゆったりとしたテンポで体を揺らしていた。恍惚とした気分はゆるやかに下っていたが、洗面台に設置された大きな鏡に映しだされた自らの姿を目に入れたとたんに、崖から蹴落とされたように急落した。

 いったい自分はなにをしているのだ……。

 人の家に来て、しかも私が好意をよせている子の家に来てだ、その子のものとおもわれる服を着て興奮のあまり踊りまわるというのは、どう考えてもハレンチ極まりない行為である。異常である。

 だが、悲しいことに、さっきまでの恍惚感が残り香のように、私のなかにとどまっていた。そこに私の未練があった。

 正直なところ、私はいま少しこのままでいたかった。もう少しの間、彼女を感じていたかった。彼女と愛を交わしていたかったのだ。

 私は苦悩した。

 だが、ふいに起こったひらめきが絶望のふちにあった私を救い上げた。

「わたしが選んだの。きっと気に入ってくれると思うのだけど……」

 小野寺さんがそう言っていたのを思い出したのだ。

 彼女はつづけて、

「どうかしら? 着てみてもらえないかしら? きっと似合うと思うわ、ね?」

 と、私がこれを着ることを熱望していたではないか。これは彼女が望んだことである。私は彼女の希望をかなえているだけなのだ。

 私は勇気を得た。

 憂いが除かれてほっとした私は少しの間、ふたたびワルツに興じた。

 自分の着ていた服を袋に詰め込んで、私は部屋へと戻った。

 ハレンチな行為をしているわけではないと、いったん自信を持った私であるが、しだいに不安が戻ってきていた。

 少し緊張しながらドアを開けた。

 目に飛び込んできたのは、小野寺さんの美しい後ろ姿だった。

 彼女は企業の面接でも受けているかのように、両手をひざの上にのせ、きちんと背筋を伸ばしてイスに座っていた。その姿は刃物のような美しさで、背中に目でもついているかのように、どこか威圧するような迫力があった。

 私はちょっとたじろいだ。

 視線をはずすと、あの女と目が合った。

 あの女は驚いたように目を大きくさせて私を見ていた。まあ、無理もないだろう。私がこのような格好をしているのだからな。

 小野寺さんのほうへ戻すと、彼女は立ち上がって私を見すえていた。

「に、似合っています」

 なぜだか苦悶の表情だった。

 それから私はさっきまで彼女が座っていたイスに座らされた。当然のことながら私の意識は尻に集中した。

 これに座って彼女は毎日勉学に励んでいるのか……。

 そう思うと、いとおしくてたまらなかった。

 ふいに私の顔へ触れるものがあった。小野寺さんの手だった。突然のことに私の心臓は跳ね上がり、若干のパニックを引き起こした。

「動かないで」

 鋭い声が飛んできて私は一瞬、息を呑んだ。彼女の真剣な顔があった。だが、それは私を見てはいなかった。彼女は黙々と手を動かしている。ちょっと冷静になってみると、彼女の手が直接、私に触れているわけではないことがわかった。

 私はいつの間にかメイクを施されていた。

 彼女の真剣なまなざしが近づいては離れ、ときに彼女の息を感じられるほどの距離で、のぞき込むように見つめられたりすると、しだいに私は平静を欠いていった。直接、肌に触れることもあるが、道具を介して触れられる、その生殺しのような感覚が、直接さわられるより何倍も私の心をかき乱した。

 なにかがはじけそうだった。

 そのとき私の目はなにやら動くものをとらえた。あの女である。私の着てきたジャケットを着て、ポケットに突っ込んだ手を使って、露出魔の変態男みたいにジャケットの前をガバっと開いたり閉めたりしていた。

 私は無となった。

 気がつくと化粧は終わっていた。

 渡された手鏡には見違えるような私の姿が映っていた。黒髪のロングヘアーとなった私の容姿には、亡き母の面影がなくはなかった。

 か、母さん……。

 感激が全身を貫いていった。母とよろこびのワルツを踊りたかったが、小野寺さんの前であるため、なんとかこらえた。

「……そう、そういうことなのね」

 つぶやいたのは小野寺さんだった。

 彼女は、なぜだか悲しげに笑っていた。

「どういうことですか?」

 なにげなく私が問いかけると、彼女は、

「ええ、そうなのよ。きっとこれがわたしの運命なんだわ」

「は、はあ……」

「わたし、やれるところまで、やってみるつもりよ」

 謎の言葉を発して、さっぱりとした笑みを私にむけた。

 なんだかよくわからないが、夕日に向かってどこまでも走り出しそうなほど、すがすがしい様子である。ひょっとすると、彼女もまた、工藤や山田と同じように春の陽気にあてられたのかもしれない。

 私は春の陽気をおそれた。

 このとき、あの女が声をかけてきた。

 画面に目をやり、なにやら指で操作しながらで、我々のほうへ目をむけようともしないぞんざいな態度だった。

「写真、とったげよっか? 舞ちゃんと一緒にさ。どう? いい記念になるんじゃない?」

 ツーショット写真か。小野寺さんとのツーショット……それはたしかに記念としてふさわしいかもしれない。

 あの態度は気にくわないが、この女にしてはなかなか気のきいたことをいう。

 この女の提案を私は受け入れた。

 といっても、正面からこの女の意見を入れるのは癪であった。

「まあ、ボクはかまわないよ」

 私もぞんざいな態度で応じた。けれども、もしかすると小野寺さんが嫌だというかもしれないと、内心ではドキドキしながら彼女の反応をうかがった。

 彼女はじっと考え込んでいた。やがて、

「それも……いいかもしれないわね。はじまりの今日という日の、記念としては……」

 とまたしても謎の言葉を発して、さわやかに笑った。それも偉丈夫がみせる力強く乾いたような男のさわやかさなので、私の困惑は深まるばかりだった。

 私は彼女の精神状態を案じた。

 いったいあの可愛い小野寺さんはどこへいってしまったのか。

 ぼうぜんとする私に、彼女は大胆にも肩を組んでポーズをとろうとした。これは私のほうがやや背が高かったのでしっくりこなくて諦めたようだが、私は彼女に触れられたよろこびよりもむしろおそろしさのほうが勝っていた。組むのをやめて彼女が肩に手をポンと置いてきたときも私はおそろしさで少女のようにおとなしくうつむいてじっとしていることしかできなかった。

 けれども、やはり小野寺さんの画像が手に入るのはうれしかった。しかも、隣に私が写っているのだ。私は画像を催促したが、この女はあとで渡すの一点張りだった。小野寺さんの手前、あまり強くも言えず、しかたなく私はそれをあとのお楽しみとした。

「それより、そろそろ出かけたほうがいいんじゃない?」

 出かける?

 突然、不思議なことを言いだしたこの女に、私はいぶかしげな視線をおくった。

 デートだと言われて今日の目的を思い出した。

 そういえばそうだった。

 私は山田のことなどすっかり忘れていた。

 山田の均整のとれた顔立ちが思い出された。私のこの幸福なひと時に水をさす魔の悪さのせいか、その顔がひどく不快だった。

「着替えるから」

 と私は部屋から追い出された。

 私は豹変してしまった小野寺さんのことを案じた。なにか触れてはいけないスイッチに触れてしまったのだろうかと振り返ってみても思い当たることはなにもなかった。

 檻にいれられた動物のようにドアの前をうろうろしながら考えているうちに、二人が出てきた。

 小野寺さんの奇抜な格好に私は目をむいた。

 それは三十年ほども前に流行っていたようなファッションだった。父と初音さんが古い映像を見て、懐かしいと笑いあっていたときに見た服に似ていて、丈の具合といい、奇妙なふくらみといい、私からすると子供向け番組の衣装だといわれたほうが納得してしまいそうな服装だった。

 私は小野寺さんを遠い存在に感じた。

 けれども、

「似合うかしら?」

 と恥ずかしがる姿は以前の可愛らしい小野寺さんのままだった。私は彼女に対してどういう態度で臨めばいいのかわからなくなった。そのままぼんやりと彼女を見つめていたが、見慣れてくると、これはこれで悪くないように思えてきた。私がそのとおりに感想を伝えると、小野寺さんは顔を赤らめてうれしそうに笑った。

 やっぱり彼女は可愛い。

 それから、私はうながされるままに玄関へとむかった。

 靴に履き替えようと履いていたスリッパを脱ごうとして、私は自分の姿におもいいたった。

 女装していたのだ……。

「なにしてんのよ。さっさと行くわよ」

 あの女はすでに靴を履き替えていた。そして、つめこんだポジションが気にくわなかったのか、私の着替えが入った袋を自分のバッグにつめなおしていた。

「ちょっと待て」

「なに?」

「この格好で行くのか?」

「そうだけど」

 なにか問題でもあるのかといった顔だった。

「どうかなさいました?」

 小野寺さんが割って入った。こちらは自分の見立てた服が気に入らないと言われるのではないかとおそれているような、不安げな顔だった。

 私はちょっととまどった。

 その隙にあの女は、

「さっさとしなさいよ」

 と言いおいて、ドアから出ていってしまった。

 着替えを奪われたうえに、小野寺さんのこの表情である。

 私はしかたなく、そのまま靴を履いて彼女の家をあとにした。

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