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僕は君のことが嫌いだ  作者: 相馬惣一郎
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第4話

 私は人生ではじめてラブレターというものを受け取った。

 これもあの工藤という告白男により有名になった余波であるといえる。

 渡したのは同学年の望月優子という小柄な子だった。

 放課後、帰ろうとしたところを呼び止められ、

「こ、これ、読んでください!」

 と、押しつけるように渡したかと思うと、脱兎のごとく走り去ってしまった。私はその後姿をぼうぜんと見つめた。彼女の足は子どものように華奢で、小野寺さんのような迫力のある膨らみというものに欠けていた。

 私にはそれが残念でならなかった。

 はかないものに抱くような同情やあわれみが私のなかに広がっていった。

 この感情に気づいて、私は愕然とした。

 いつの間にか私は女性の足に優劣をつけるようになっていた。

 かつての私は決してそんな男ではなかった。

 この先、私はいったいどうなってしまうのだろうか。自分自身を見失ってしまいはしないだろうか。

 私は不安と恐怖をおぼえた。

 受け取ったラブレターを胸ポケットにしまいこみ、大丈夫だと自分に言い聞かせるように上着の外側からポンと軽く触れてから歩き出し、廊下を進んでしばらくすると、あの女に出くわした。

 むすっとして、ひどく不機嫌な様子だった。

 なにも言わずに鞄を突きつけてきたので私もなにも言わずにそれを受け取った。

 我々は無言で歩き出した。

 ぼんやりと歩いているうちに、私の思考はふたたび望月さんへむかっていった。

 私は彼女に好意がないわけではない。

 たしかに私は望月さんのあの華奢な足を残念だと思っている。小野寺さんのような力強さも存在感もない、あのふくらはぎは本当に残念でならない。だが、私はそれだけで女性を否定するような男ではないのだ。

 隣を歩くこの女を褒めるのは癪だがこの女のように美人ではないし、小野寺さんほど可愛くもなかったが、とても愛嬌のある顔立ちをしていた。あまりちゃんと見る機会はなかったことではあるが、私はそれを好ましく感じた。ラブレターという古風な告白のしかたも私の好みにあっていた。もし小野寺さんの存在がなかったら、私は彼女の好意を素直に受け入れていたことだろう。

 だが、なんといっても小野寺さんである。

 私のなかではすでに、太陽のように温かく慈愛のこもった光でもって私を満たす存在となっているのだ。

 やはりあきらめてもらうしかないかな。

 それにしても、私も罪な男だ。

 おもわずニヒルな笑みがこぼれそうな心境だった。

「ねえ、ちょっと」

 癇にさわる声で私の思考は中断された。なにやら私に話しかけていたようだが、私の耳にはまったく入っていなかった。正直うっとうしかったので適当に、

「なんだ? 用があるなら早く言え」

 と、言うと、

「知らない!」

 鞄をひったくるや、あの女は地震でも引き起こそうとするかのような足取りで、ずんずんと進んでいった。

 きっと便秘なのだろう。

 だからあんなにも機嫌が悪いのだ。

 あの女が便秘だと思うと私はもう愉快でたまらず、足取りも軽やかに、ひとりでの帰り道は満足のいくものとなった。

 夕飯を食べ終わると私は机にむかった。ラブレターの返事を考えるためである。

 望月さんには申し訳ないが、小野寺さん一筋の私にはとても彼女の好意を受け入れるわけにはいかない。

 となると問題は断り方である。

 彼女のラブレターには私への想いが情熱的につづられていた。それをただ一言で断るのもなんだか気が引けた。なので、私も文章でもってそれに応じようと思ったのだ。

 どんな文面にしようか。

 そんなことを考えていたときのことだ。

「ちょっとお願いがあるんだけど」

 と、あの女がやってきたのは。

 毎回ノックもなしに入ってくる。あの件以来、この女は私が部屋に鍵をかけるのを禁じ、抜き打ち検査のようにたびたび私の部屋へ入ってくるようになっていた。そして自分の部屋だとでも思っているのか、私のベッドを占領してだらだらと居座ることもしばしばだった。おちおち手紙も書けない。せめてノックぐらいしろという私のささやかな要求も受け入れてもらえない。

 私は腹が立ったので、声にしなりをつくって、

「か、勝手に入ってくんな、バカぁ!」

 近くにあった消しゴムを投げつけてやった。

 この間の仕返しである。

 女はハエでも払うようにそれを床にたたきつけ、虫けらをみるような目をむけてきた。

 だが、それもつかの間で、急に落ち着きがなくなった。

 夕飯のときもそうだったが、イライラしているようであり、どこかそわそわしているようでもあり、どうも様子がおかしかった。

 冗談を返す余裕もないようなので、しかたなく私から口を開いた。

「その、お願いとはなんだ?」

「ええ、そのことなんだけど……」

 どうも歯切れが悪かった。

 緊張しているのか、恥ずかしがっているのか、組んだ手の指をもじもじと動かし、いっこうに話かけてこない。

 私にはそれが不気味でならなかった。

 何かある。

 どうにも演技くさい、この女の様子に私は恐怖した。

「どういうつもりだ?」

「どうって?」

 しらじらしい態度をみせるので私は立ち上がり、この女の目をのぞきこんだ。ひるむ様子がますます怪しい。私はちょっとはぐらかしてみることにした。

「熱でもあるんじゃないか?」

「へ?」

 額にかかる髪をかきあげ、私はおでこを重ね合わせた。

「うーむ、ちょっとあるようだな」

 目の前の女はちょっとおもしろいくらいにあわあわとして私を突き飛ばし、同時に自らの身もひいた。顔を真っ赤にさせて怒っている。この女がこれほど狼狽するのはちょっと驚きだった。

 私はとても愉快だった。

 日ごろのうっぷんが晴れ、スッとした。これなら毎日したっていいくらいだ。

「ちょっと、どういうことよ!」

「別に、ただ熱があるんじゃないかと思ってね」

「熱なんてないわよ」

「そうなのか? てっきり体を温めるために添い寝でもして欲しいのかと思ったんだ」

 信じられないとでもいうように口をパクパクさせて、

「ふ……ふ、ふざけるな」

 と、ふるえる声でなんとかそれだけ言うと部屋から出ていった。あらあらしく隣のドアが閉まると、ぬいぐるみでも投げつけたのかドンという音がした。そのあと、そんな音が何回か続いた。数分後に、またドアが開いて、あの女が姿をあらわした。かきむしったのか髪がぼさぼさで目が血走っていた。ちょっとやりすぎたようだと私は反省した。

 私はなんとか、なだめた。

「す、好きな人がいるのよ」

 息を吐きだすように、ぽつりともらした。

 これまでのこの女の態度がおかしかったのがようやく理解できた。例の好きな人か。私は、あれは工藤の告白を断るためにとっさにでた嘘ではないかとにらんでいた。私が聞いてもはぐらかすのは、そんな人間がいないせいだろうと思っていたのだ。

「で、どうすればいいのだ」

「手紙を渡してほしいの」

「ラブレターか」

 コクンとうなずいた。

 ……ラブレター。

 この偶然の一致に私はなんだか嫌なものを感じた。けれども私はそれを顔にはあらわさなかった。ヒステリーじみたものに付き合わされるのはごめんだった。

 それにしても……この女に、こんな古風なところがあったのか。

 意外だった。

 まあ、渡すくらいなら面倒もないだろう。

「手紙はできているのか?」

「まだ……それも一緒に考えてほしいの」

 まあ、それもたいしたことではないだろう。

「で、誰に渡せばいいのだ?」

 画像をみせてきた。爽やかに笑う絵にかいたようなイケメンが写っていた。山田実という名前でひとつ上の学年らしい。王子様を思わすようなルックスからするとやや平凡な名前といわざるをえないが、好きに選べるというものでもないし、この平凡な名前がすでにこの人物の個性として確立されているような印象も受けたので私はそれほどおかしいとは思わなかった。

 それにしても、工藤から得た情報でもあったように、どうもこの女は面食いのようだ。まあ、この女自身が美人には違いないので、このくらいでなければ釣り合いがとれないのかもしれないが。

 私は、手を貸すのに異存はまったくなかった。むしろよろこばしいとさえ思った。この女が山田実というイケメンと付き合うようになれば、私への干渉もなくなる。私は元の生活へと戻れるというものだ。だが、ここは慎重に事を進めなければならない。まずは肝心なことを確認しておかなくては。

「この男に恋人はいないのか?」

「ええ、いないみたいなの」

 本当だろうか。

 このルックスでそれはありえないような気がする。たまたま別れた直後なのだろうか。それとも性格に問題があるのだろうか。まあ、性格についてはこっちも問題ありなので案外うまくいくかもしれない。見た目だけなら、工藤がいうには全学年でも五本の指に入るくらい美人だということなので、もし本当にフリーなら競り合うものがいてもかなり有利だろう。

 私にとって何より重要なのはやはりあの画像データだ。あれと引き換えにでなければ手伝わない、としなければならない。この女のことだからちゃんと恋人同士になったらという条件をだすかもしれない。そうでなくても、もしうまくいかなかったら、腹いせになかったことにしかねない。そうなれば、この状態が続いてしまう。

 あと少し時があればいいのだが。

 もうしばらくすれば、私という人間がまわりに理解されるはずだ。そうなってしまえば、ちょっとふざけてやったのだといういいわけが通用するだろう。しかし、今の時点では少し冒険になってしまう。工藤という人間をうまく使えば、うまくいかないこともないのだが……ここはひとつ、賭けにでてみるか。

「どうしたものかな……」

 もったいぶった態度の私に、この女はきょとんとした顔をむけた。

 パチパチとまばたきする。

 それが何かの合図ででもあったかのようにこの女の表情が変わった。

 なぜか、照れているというか、おどおどしているといったらいいのか、かなり動揺している様子だった。

 自分の恋愛を兄に相談していることに盛大な自己嫌悪でも感じているのかもしれない。

「ど、どういうつもり?」

「どうもなにも」

「ま、まさか、断るんじゃないでしょうね?」

 腕を組んで威圧的な態度をみせたが、揺れ動く瞳はあからさまにこの女が動揺していることをかたっていた。

 おそらく私がこんな態度にでるとは思っていなかったのだろう。

 私は自分が優位な立場になったと思った。

 その刹那、女の目に変化があわられた。せわしなく動いていた瞳は私の顔のうえでぴたりと止まった。その瞳のなかには相変わらず不安がまじっていたが、追い詰められるものがみせる気迫というか、覚悟というのか、なんともいいがたいが、そこには奇妙な熱がこもっていた。

 その熱は私を圧迫した。

 訴えかけるようなその熱により、私は逆に追い詰められたように感じ、ちょっとたじろいだ。だが、私はそれにひるむわけにはいかなかった。

 私はなにくわぬ様子でせまった。

「断ったほうがいいのかね?」

「そ、そんなわけないわよ」

「まあ、そうだろうな」

 女は少しひるんだ。

 私はその隙を見逃さなかった。できるだけ余裕があるように振る舞った。

「だが、別に断ってもいいのだ。いや、むしろそのほうがいいのかもしれない」

「え? ちょっと、それ、どういうこと?」

「別に。なんでもないさ」

「……写真があるわ」

「ああ、そうだな」

 はったりをかけたのがだいぶ通用しているようだ。予想以上かもしれない。

「別にかまわないよ。見せたければ見せればいい」

 この女はじっと押し黙ってしまった。

 しばらくしてから奇妙なことを聞いてきた。

「ねえ、この人のこと、知ってるの?」

「いいや、まったく」

 また間があった。

 女は放心したようにぼうっとしている。

「そ、その……あたし、この人に告白したほうがいいかしら?」

 私に問いかけたあと、女ははっとしたように顔を赤らめ、うつむいて、落ち着かない様子で髪をさわったりして、急にしおらしい乙女のようになった。

 私は警戒した。

 私を油断させようとする、この女の策略ではないだろうか。

 それとも私と話していて急に不安になったとでもいうのだろうか。がさつなこの女にそんな乙女らしいところがあるようにはとても思えなかった。

 どういう態度で挑むべきか。

 私が考えあぐねていると、伏せていた女の瞳が私の顔をとらえた。それがあまりに急だったのと、のぞき込むようにして私を見つめるその瞳が思いのほか強い光をおびていたのとで、私はかなり動揺した。

 女の瞳には先ほどに匹敵するほど強い熱がこもっていた。それは私に返答をせまっていた。もし私が嘲笑でもしようものなら、のど元にかみついてやろうとでもいうような、鋭利な気迫があった。それだけでなく、下手なことをいえば、逆に私が笑われかねない空気もあった。

「キミがその男を好きだというなら、そうしたほうがいいんじゃないか」

 私はそう言うのがやっとだった。

 無難な返答を選んだのも私の小心さゆえである。若干突き放すように、ぶっきらぼうな調子でこたえたのも試されているような居心地の悪さへのささやかな反発である。

「そう……」

 小さくつぶやいて、じっと私を見つめた。

 探るような目つきだった。

 ここでひるんではいけないと私も見返したが、居心地の悪さは増すいっぽうで、私は目をそらしてしまった。

「わかったわ……データは全部消す。そのかわり手伝ってくれる?」

「ああ、わかったよ」

 私はぶっきらぼうにこたえた。

 正直なところ、私はほっとした。データが消されるということが主ではあるが、どちらかというと、これでようやく、この場の胸苦しいような空気から逃れられる、という気持ちのほうが強かった。

 女のほうへ目をむけると、この女は複雑な表情をしていた。嬉しそうでもあり、残念そうにも、不安そうにもみえた。内面からにじむ感情を押しとどめ、とにかく気丈に振る舞おうとする様子が妙に印象的だった。

 複雑な乙女心というやつだろうか。

 計画が一歩進み、ほっとした反面、告白の成否というあらたな不安がうまれてきたのだろう。それに予想外の私の反抗で少し気分を害したといったところか。

 私は内心で冷ややかに笑った。

 その後、先ほどみられた複雑な乙女心など見る影もなくなって、私のベッドでくつろいで漫画を読み、ときどき笑い声をあげるこの女に見守られながら、私はラブレターの文面を考えだした。望月さんにラブレターをもらっていた影響で、かなり情熱的なものが仕上がってしまった。少しひかれるかもしれないという懸念があったが、この女はいいできだと上機嫌だった。

 読み直してみて、名前を書いていないことに気づき、

「あ、名前を書き忘れていた」

 私がつぶやくと、そばにいたこの女は、

「ああ、それはあたしが自分で書くから」

 と私が書こうとするのをなぜだかやめさせた。不思議に思ったが、私はとくに逆らいはしなかった。私は下書きのつもりだったが、今の発言からするとこの紙をそのまま使うようだ。全文を写すのは面倒だが、せめて名前だけは自分で書いておかないと悪いようだとでも思ったのだろう。横着者であるこの女の考えそうなことだ。名前くらいなら字体が変わってもわからないとでも思ったのだろうか。

 私はこの女のあさはかさを軽蔑した。

 こんなばかげたことに時間をとられ、結局、私は望月さんへの断りの手紙を書くことができなかった。

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