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僕は君のことが嫌いだ  作者: 相馬惣一郎
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第18話

 あのときも水族館へ行ったのだ。この間あの女と行った同じ水族館へ。

 あの日はとても暑いある夏の日だった。

 この女はなぜだかしらないが元気すぎるほど元気で、私はちょっとうんざりしていたのを記憶している。

 なぜ、こんな奴と一緒に出かけたのかというと、両親がたまには二人きりで、ということで二泊三日の旅行に出かけていたせいでもある。

 その日は二日目で私としてもちょっと気の抜けたところもあって、

「ねえ、夕飯、外で食べない? ちょっと寄りたいところもあるし」

 というこの女の誘いに、

(まあ、それもいいか)

 と、なにげなくのってしまったのだ。

 そのときはこの女の元気さもまだ息をひそめていたので私としてもあまり気にならず、気分転換にはちょうどいいか、くらいでしかなかった。

 それから寄りたいというのが水族館だと知って、てっきり服でも買うのかと思っていた私は、

(なんでまたそんなところへ……)

 と、しぶしぶ水族館へ行き、そのあとあのラーメン屋で少し早目の夕飯を食べてちょっぴり機嫌を直して、徐々にヒートアップしてきたこの女が歩きたいというので当てもなく歩くことになり、再び私は鬱々とした気分へと戻っていった。

 そうして歩いているうちにあたりは暗くなり、普段とはちょっと違う明かりが町を照らしているのに遭遇したのだ。

 すっかり忘れていたのだが、そのあたりでちょうど祭りがおこなわれていたのである。

 当然、この女は首を突っ込む。

 この暴れ馬の手綱を引くつもりで女の手を握り、どこか幻想的な景色のなかを引っ張って歩いたのを私は思い出した。

 夜店でどんなものが売られていたとか、売っていたおじさんの顔がどうとか、私が射的であてた景品を隣にいた男の子にすぐやってしまっただとか、リンゴ飴が食べたいとこの女が言いだしたのに、

「さっき食べたばかりだろ、牛にでもなるつもりか?」

 と、私が返したためにちょっとした言い争いになったとか、金魚すくいですくった金魚をこの女が、そばで見ていた男の子にあげたのを見て、

「自分だってあげてるじゃないか」

 と、あとで私が不機嫌になったとか、この女の口から出てくる言葉に私は、

(よくもまあ、そんな些細なことを覚えているものだなあ)

 と、思わず感心してしまった。

 自分でも忘れていることばかりだし、思い出そうとしても、そんなことあったけ、と思い出せないものがほとんどだった。

 そうやって思い起こしていると、

(……それよりそのあとが大変だったのだ)

 と、家に帰ってからのことに思い当たった。

 この女は気分が悪いと言って倒れたのだ。

 顔は蒼ざめてぐったりしているし、おでこに触ると熱かった。

 どうも風邪のようだった。

 それもついさっき引いたという感じでもなかった。

「いつから具合が悪かったのだ?」

 この女はたどたどしい声で、ラーメン屋を出て歩いているくらいからだとかいうので、どうしてそのときに言わないのだ、という言葉も口に出ないほど、私はあきれてしまった。

 時間が遅いため、かかりつけの病院はもう閉まっていた。

 夜間でもやっている病院を探そうとしたのだが、この女がそこまでしなくてもいいというので、常備している市販の風邪薬を飲ませて、それで朝まで様子をみることにしたのだ。

 それからだ。

 この女を着替えさせたり、顔を洗わせて歯を磨かせたり、寝かせつけて体温を測ったり、氷枕をつくったりと、本当に手のかかるバカだなと思いながら、私はこの女の世話を焼いたのだ。

 一通りのことをしたあとで、なにかあったら呼ぶようにと自分の部屋へ戻ろうとしたのだが、この女がそばにいてほしいというのだ。

 しかも手を握っていてくれというのだ。

 私はまたあきれた。

 そんな小さな子どもに対してするようなことを私はしたくはなかった。

 この女に振り回されて私も疲れていたのだ。部屋でゆっくり休みたかった。

 だが、まあ、両親がいなくて少し不安になっているのかもしれないし、病人の要求をそうあっさり断るのも気がひけたので、私はこの女の傍らに座り、言われたとおりに手を握った。

 まあ、この女が眠りにおちたらそっと自分の部屋に戻ればいいや、くらいに思っていたのだが、不覚にもいつの間にか私も眠り込んでしまったのだ。

 気がつくと、ちょうど日が昇りはじめたところで、薄暗い部屋のなかに窓からやわらかな光がもれていた。

 女はベッドの上で上体を起こし、外を眺めていた。

 なんともいえない微笑だった。

 今にいたるまで私はこの女の部屋に入ったのはこの春が最初だと思っていたのだが、このときに一度入っていたことに気づき、自分自身ひどく驚いた。

 すっかり忘れていた。

 実際、この女の部屋にどんなものが置かれていたとか、私もこの女の看病でそれどころではなく、そのあと寝てしまったりしたので、数時間はいたのに、部屋の様子は思い出そうとしてもまったく思い出せなかった。

 けれども、このときのこの女の横顔だけはハッキリと覚えている。

 朝日を受けてキラキラと輝くこの女の顔は、まるで慈悲そのものだった。すべてのものをいつくしみ、愛でもって包み込む。そんな微笑だった。人はこういうものを女神と呼ぶのだろうと思った。

 少しの間をおいてから私が見ていることに気づき、この女はまた違った微笑を送ってよこした。

 それを機に、私はたずねた。

「気分はどうだ。少しはよくなったか?」

「うん、だいぶいいみたい」

「もう少し寝ていろ、またぶり返しても困る」

「……うん」

 私の言うことに素直に従った。

 私は布団をかけ直してやり、顔だけ出した女へ投げやりに言った。

「じゃあ、もういいな。ちょっと疲れたから寝なおす。なにかあったら呼べ」

「うん、ありがとう……お兄ちゃん」

 私はそそくさとこの女の部屋から出ていった。

 というのも、私が眠りから覚めたとき、体にタオルケットがかけられていたのだ。いつの間にか眠ってしまった私である。そんなことをした記憶もない。とすると、それをしたのは、あの女だということになる。

 なんだか立場が逆転してしまったようなこの状況が気恥ずかしいというか、気まずいというのか、どうも落ち着かなかったのだ。それに、この女の顔に見とれていたというのも手伝って逃げるように部屋から出てしまった。

 そして、すぐにベッドにもぐりこんで、なにもかも綺麗さっぱり忘れ去りたかった私は本当にすべてを忘れて眠りに落ちた。

 以上のように、多少の騒動はあったが、なにか重大なことが起こったという日でもない。

(それなのになぜ、この女は延々とこの日のことをしゃべり続けているのか……)

 それが私には不思議でならなかった。

 ふと気づいたら、あたりが静かになっていた。

 見ると、なにかしゃべろうとするけれども急に言葉を忘れてしまったみたいに、わなわなと口を震わせていた。

 そして、

「やっぱりこんなの間違ってた……こんなの……間違いだ……」

 と、もらしたかと思うと、静かに泣きはじめた。

 先ほどとはまるで違う泣き方に、私はかなりうろたえてしまった。

 とても静かで、ひどく痛々しい泣き方だった。

 まるで自らの魂を削り取って涙とともに流しているのだとでもいうように、哀しく、切ない、涙だった。

 こちらに倒れかかってきたから、しかたなく抱きとめたが、もしそうでなかったら、触れることさえためらっただろう。下手に刺激してしまうと、なんだか壊れてしまいそうで私はこわかったのだ。

 だから、さっきみたいに慰めの言葉もかけられなかった。ただ石のようにじっとして、この女が泣きやむのを待つしかなかった。

 そうして待つなかで私は決意をあらたにし、あの男をどうやって懲らしめようかと策をめぐらした。

 きっとやってやるからな、安心しろ、と心のなかで語りかけながら……。

 しばらくして、この女は泣きやんだ。

「ごめんなさい」

「もう大丈夫か?」

「うん」

 とにかく落ち着いたようなので私はほっとした。

 まずは家に帰ろう、初音さんも心配している、とこの女をうながした。

 これには同意したが、私が初音さんに今から帰ると連絡を入れようとするは遮った。両親に心配をかけたくないし、警察沙汰にもしたくないというのだ。

 あの男を庇っているのかと疑ったりもしたが、どうも両親にこのことを知られることをおそれているようだった。

 私としてはきちんと公の場で訴えたほうがよいと思っていたが、とにかくこの女に懇願されて、しかたなくこの女の意見に従うことにした。

「おんぶ」

「おんぶ?」

「おんぶして」

「靴はないのか?」

「あるけどヒールが折れちゃって」

「……ふむ」

「なんならお姫様だっこでもいいわよ」

「おんぶだ」

 即座に決断を下した。

(そんな恥ずかしいことなどやっていられるか)

 急にあまえだした女に、私が着ていたシャツを着せてから背にのせた。この女がまたちょっとはしゃぎだしたので、私はすぐにまた泣きだすんじゃないかとビクついた。

 門のところで一度おろし、道に誰もいないことを確認してからこの女が門を越えるのを手伝い、それからまた背にのせた。

 数歩歩いてからこの女が、

「迷惑かけちゃったね。ごめんね」

 殊勝なことをいった。

 私はいぶかりながらも、

「ま、しかたないだろ。ボクはキミの兄なのだからな」

 と、当り前の返答をした。

 すると、この女の体が震えだしたので私はまた泣きだすんじゃないかとうろたえた。

(私はなにか間違ったことでもしたのだろうか……)

「どうしたのだ?」

「……うんん、なんでもないの。ありがとう。……おにいちゃん」

 そうつぶやくと今度は黙ってしまった。

 幸いにも泣きだすことはなかった。

 一度、ギュッと私にしがみつく力が強まったかと思うと震えは止まり、あとは眠ったように静かになった。

 この女の情緒不安定さは、私の足を速めさせた。

 それから家につくまで、この女は一言もしゃべらなかった。

 家につくと私はそっと玄関の戸をあけ、誰もいないことを確認すると、この女を先に通し、さらに階段を上がったのを見届けてから帰ってきたことを知らしめるようにガチャンと戸を閉め、鍵をかけた。

 リビングへ行こうとしてやめた。

 すでに胸についた涙のあとは乾いていたが、疑われる可能性は少しでも排除したいと思いなおし、初音さんに会うのは一度着替えてからと、私も階段を上がった。半ばほど進んだところで初音さんに声をかけられた。

「キョウちゃん、ハーちゃんは?」

 風呂に入っていたようで初音さんはバスタオルを巻いていた。足音を聞きつけて急いで出てきたせいか、体は十分に乾いておらず、湯気があがっていた。

 私はなるべく前を見られないよう半身で応じた。

「さっきそこで会って一緒に帰ってきましたよ。どうもはしゃぎすぎて気分が悪くなったらしくって返信できなかったみたいでね、それで風呂にも入らずに寝るらしい。まったくなにを考えているのかな、あいつは」

「……そう」

 私が冗談めかして言うと、初音さんはあからさまに安心した様子をみせた。

「ああ、そうそう、夕飯食べられなくて、ごめんって謝ってましたよ」

 そう言って私は自分の部屋へ引っ込んだ。

 寝る前に一度だけ、あの女の部屋をおとずれた。

 ノックをしたが返答はなかった。

 しかたなく、腹がすいたらこれでも食べろとメッセージを送って、買い置いていたお菓子や非常食、飲料水などを入れた袋を戸につるしておいた。

 私はベッドにもぐり明日のことを考えた。

(……きっと無傷では終われないだろう)

 いろいろなことを想像しながら私は眠りに落ちた。

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