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僕は君のことが嫌いだ  作者: 相馬惣一郎
17/20

第17話

 それからしばらくして学期末試験があった。

 予習、復習をきっちりする私でもやはり試験は緊張する。

 それでも日ごろのおこないがよいせいか、まずまずの出来だという手ごたえはあった。私はほっとしていた。このところ、あの香水のおかげで熟睡できていたというのも大きな要因だろう。以前はあれほど私を苦しめていたというのに不思議とぐっすりできる。おそらくリラックス効果のある成分が含まれているのだろうが、あの女のプレッシャーでそれが打ち消されていたに違いない。

 試験を終えた私は部屋でゆっくりしていた。

 あの女は出かけていった。

 仲間内での打ち上げなのか、彼氏とデートでもしているのか、それは知らない。私には関係のないことである。

 私はなるべくそんな不愉快なことを考えないようにつとめた。

 ベッドの上をごろごろしていたが、なぜだか、なかなか眠りはおとずれなかった。頭は疲れているはずなのに、香水をかけてもダメだった。

 私はイライラした。

 もうあと一歩で眠りにたどり着けそうなのに、その一歩が踏み出せないのか、踏み間違えているのか、どうしてもそこへ向かえなかった。

 なんだか嫌な感じだった。

 そんなことが少しの間つづき、いつの間にか私は眠っていた。


 目が覚めると外は闇におおわれようとしていた。

 すでに太陽は沈んでいて見えなかったが、西の空は哀しく、どこか不安にさせるほど、不気味に明るかった。

 私はしばらく窓から外を眺めた。

 しだいに哀しい色をした空は夜の闇にのみ込まれていった。

(……そろそろ夕飯だ)

 初音さんが我々をねぎらってステキな料理をつくってくれることになっているのだ。

 嫌なものを振り払うようにして私は下へと降りた。

 もう少しで準備が終わるというところだった。あの女はいなかった。夕飯時にあの女がいないことはないことではないが、連絡もせずに、というのはめずらしかった。

 初音さんもそのことを心配していた。

「きっとみんなで盛り上がってて忘れてるんじゃないかな」

 私もそうフォローしてみたが、本心とはだいぶ隔たりがあった。

 少し待ったがあの女は帰ってこなかった。連絡もなかった。しても返ってこなかった。父も帰宅が遅くなるということで、結局、初音さんと二人きりで夕飯を食べた。

 私はうわの空だったが、初音さんも同様にうわの空のようにみえた。

 なんとも味気ない夕飯をのりこえ、かたづけを済まして部屋に戻った直後に、あの女からメッセージを受け取った。

 ――お願い助けて!

 私は棒立ちになった。

 これがなにを意味するのかとしばらく画面を見ていると、

 ――早く早く来てお願い!

 またメッセージが入った。

 いぶかりながらも、

 ――どうした?

 と、返したのだが、今いる場所を示して、とにかくここに来てくれ、とあわただしくメッセージが送られてくるばかりで、理由も状況に関する説明もなにもなかった。

 そして、すぐに連絡が途絶えた。

 何度か送ったがまったく反応がない。見もしていない。

(……どういうつもりだ?)

 どうせあの女の策略だろうと無視しようともしたが、どうも嫌な感じだった。

 最近おとなしくしていたから、そろそろなにか仕掛けてきてもおかしくはないところだが、初音さんに心配をかけてまで私をおとしいれようとするとは思えなかった。

 あの女を擁護するのは癪だが、初音さんや父のように、自分を大事にしてくれる存在に対してそんなことのできる奴ではないのだ。長年、あの女に対して無関心を貫いてきた私だが、それくらいのことはわかる。

 憎たらしいがまず間違いないといっていい。

「……やれやれ」

 ため息とともに吐き出し、シャツをつかんで部屋を後にし、それを羽織りながら階段を下り、リビングにいる初音さんに、

「ちょっと出かけてきます、すぐ戻ります」

 と、あわただしく伝えてから家を出た。

 目的の場所へ向かっている途中で一度、あの女から催促のメッセージを受け取り、今むかっていると返したが、また無視された。

 私は、あの女の策略ではないとしながらも、やはりそうではないか、という疑いを完全には拭いきれなかった。

(十分に警戒することだけは怠らないようにしなければ……)

 肝に銘じた。

 十数分後、私は指定の場所である建物の前に立っていた。

 眺めていると、どうも策略のほうが濃厚のように思えてきた。

 中心部から外れているせいか、あたりは閑散としていて人通りも少なく、寂れた感じのする場所だった。そして指定の場所には、倉庫みたいな古い建物が建っていた。小さな工場というか、工房といったらいいのか、よくわからないが、いずれにしても使われなくなってからずいぶんたっていることは確かだった。

 こんなところへ呼び出してどうするつもりなのだろうか。

 しばらくあたりを眺めまわしてみたが、人の気配もないのでしかたなく、

 ――着いたぞ、いったいどういうつもりだ?

 と、送った。

 少し間をおいてから建物の裏側の扉が開いているという返信がきた。誘い込まれているようで、あまりいい気分ではなかったが、しかたがないので私は門をよじ登り、建物の裏手へまわった。

 確かに扉は開いていた。

 なかに入ると想像以上に暗かった。

 上のほうにいくつか設置された窓からもれる月明かりくらいで、それが落ちる周辺はほのかに明るいが、ほかはまったくの闇といっていい。

(まずいな……)

 これではあの女がどこに潜んでいるかもわからない。飛び道具を使われたらひとたまりもないぞ。

 こんなことならば、暗視ゴーグルを持ってくるのだった。

 手早くいったん閉めた扉をまた開け、光を確保したのち、そこから離れた。

 私は目を凝らし、闇のなかへむかって、

「さあ、来てやったぞ! どうするつもりだ!」

 と、叫んでからすぐ場所を移動した。

 そのままゆっくりと音をたてないように移動しながら目を凝らす。そうしていると徐々に闇へと順応していった私の目が建物の隅に、もぞもぞと動くものをとらえた。

 緊張が走った。

 全身の毛が逆立ち、脈が躍った。

 私の顔には笑みがもれていた。

 はやる気持ちを抑え込んで息を殺し、その場に屈みこむようにして相手の出方をうかがった。

 その人影は私の前方に落ちている明かりへ、ふらふらしながら歩いてくる。シルエットからすると女性のようだった。

(……あの女か)

 思わず手に力が入る。

 そして、ついにシルエットが明らかになり、私はあまりの驚きでぼうぜんとなった。

 それはあの女に違いなかった。だが、服は裂け、しかもなぜか裸足で、顔もちょっとゆがんでいるようにみえる。

「い、いったいどうしたんだ!」

 あの女に駆けよりながら私の脳裏には斎藤なんとかとかいうあの女の彼氏のへらへらと笑うふざけた顔が浮かんでいた。

 あの男がやったのか?

(あの男が……。だからあんな男と付き合うのは間違いだと……)

 私の激しく高ぶった感情は、ふざけた顔の男に対する憎悪からあの女への批判へと変わっていた。

 だが、近づいてあの女の顔がよく見えるようになると、それらはともに消え去り、この女へのあわれみと何もしなかった自分に対する後悔とが残った。

 あの女の髪は乱れ、左目のあたりを殴られたとみえて、いつもぱっちりと開かれた目に若干の違和感があり、唇もきったようで端のほうが黒ずんでいる。その痛ましい姿に、私も心を痛めずにはいられなかったが、ひき裂かれた服が私のつくったものだとわかった瞬間に、またこの女に対する激しい批判が蒸し返された。

 けれども、はっきりと私をとらえた瞳がほっとしたように潤みだし、なにか言いかけてこらえきれずに私の胸にすがりついて泣き出したのをみると、やっぱりあわれみと後悔とでいっぱいになった。

 みるみるうちに私のシャツはぐちゃぐちゃに濡れた。

 震える体がしのびなくて、一緒になってしゃがみ、思う存分この女の泣くにまかせた。女の重みがどっと胸にかかる。

 なぜだか、この女がとても小さく感じられた。

 私は背中へ手を回し、ぽんぽんと軽くたたいたり、さすったり、体を軽くゆすったり、髪をなでたりしてあやしながら、

「もう大丈夫だ。心配するな。ボクがついている。安心しろ」

 そんなようなことを何度も繰り返し言いつづけた。

 しばらくして落ち着いてくると、ぽつりぽつりと語りだした。

 だいたい予想していた通りだった。

 事後ではなかったというのが救いといえば救いだろうか。

 もっとひどい奴ならば薬を盛って意識もうろうとしている間に……、ということになりかねなかったのだ。そう考えると、あのふざけた顔の男はよほど女性に対して自信があったようだ。だが、この女がこれほど抵抗するとは思っていなかったのだろう。その抵抗が功を奏したというか、近くにあったこの場所に逃げ隠れたが、こわくて出るに出られなくなって、私を呼んだという。

 話を聞いているうちに、この卑劣漢に対する怒りが復活していった。

 そして、あるところでたまりにたまった、その怒りが爆発した。

「許さん! 断じて許さん! この俺がたたきのめしてくれる!」

「どうして!」

(どうして……?)

 私の怒りに、直ちに応戦するような鋭さで投げ返されたこの「どうして!」の批判に私は戸惑いを隠せなかった。

 さっと肩をつかんで引き離し、女の顔に目を据えた。

 痛ましいほどに真剣な顔だった。

 私は一瞬ひるんだ。

 即座に、まさか……と思った。

 脳裏に浮かんだ、この閃きにより、私の怒りの矛先はこの女の愚かさに向けられた。

「まさか、あの男をかばうのではなかろうな!」

「あんな男どうだっていい!」

「じゃあ、いったい……」

「理由を聞きたいの、あの男をたたきのめす、その理由を……!」

 ここにいたって私の混乱は極まった。

(理由など明白すぎるほど明白ではないか)

 他にいったいどんな理由があるというのだ。

 瞬間的に私はこの女をたたきのめしたくなったが、すぐにこんなことを口走るのも気が動転しているせいだと、この女に対する同情のほうへ心をよせた。口にも出かかった。だが、この女の真剣さには奇妙なほどの気迫がこもっていて、それが私を躊躇させた。まるで、私の返答いかんによっては世界が滅びるのだ、とでもいうような無視できないくらいの緊迫したものがあった。

 女の眼力が私を襲う。

 だんだん私は腹が立ってきた。

 この女に対して、この状況に対して。

 私がこれほど心配しているというのに、どうしてこの女はこんなわけのわからないことを聞いてくるのだ!

 いったいなにが目的なのだ。

 私を困らせるのが目的なのか。

 私はカッとなって叫んだ。

「そんなこと当り前だろ! 妹がこんな目にあって兄として黙っていられるか! それよりなにより、人としてこんな卑劣な行為をみとめるわけにはいかんだろうが! そんなこともわからんのか、この馬鹿者!」

 私はハッと我に返った。

「す、すまん、少し言いすぎた……」

 女の眼から力が抜けた。

 視線が滑り落ち、瞼が閉じられる。一呼吸おいて、それが開かれるのにあわせてまた視線が上がり、私の顔をとらえた。

「うんん、いいの」

 そこで女は無理に笑ってみせた。痛々しいような笑顔だった。

「ありがとう。……おにぃーちゃん」

 その瞬間、なぜだか、この女のことを遠くに感じた。

 すぐそばにいて触れ合っているというのに、まるでいくつものガラスの壁を重ね合わせた向こう側にでもいるように、この女の存在がはるかかなたに感じられた。声さえ届かないような遠くに感じられた。

 これはひどく私を不安にさせた。

「ねえ、覚えてる?」

 そう言って、はしゃいだようにしゃべりだした。

 そのはしゃぎようはひどく不自然で私の不安をさらに強めた。

 この女が話す内容というのは、なぜだか、この女と一度だけ二人きりで出かけた中学時代の日のことだった。

 この女の口から機関銃のようにペラペラと飛び出してくる言葉を聞いているうちに、私の記憶は呼び覚まされた。

(そうだ、そういえば、あのときも……)

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