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僕は君のことが嫌いだ  作者: 相馬惣一郎
16/20

第16話

 朝食のときに、私は何度かあの女を盗み見たが、女の様子は普段となんら変わるところはなかった。ただ、私にはまったく話しかけてこなかった。これは特別めずらしいということでもないが、私はそこに作為的なものを感じた。

 我々はいつものように連れたって家を出た。

 そしていつものように私はあの女の鞄を持った。ほっとした。ほっとしたことに私は愕然とした。

(きっと疲れているのだ……)

 私はそう自分を納得させた。

 あの女は普段と変わらないようにもみえるが、どこかしら機嫌がいいようであった。ときどき画面にむかってなにやら操作をしていた。私のほうなど気にもかけなかった。

(彼氏と連絡でもとっているのか……)

 やり取りが終わると、どことなく高揚したようにみえる。

 なにかムズムズとしたものが私に行動をせまった。

「彼氏ができたそうだな、工藤から聞いたよ」

「え?」

 ちょっと目を開いて振り向いたその顔を見て、私はそれ以上なにも言えなくなってしまった。

「ああ、ええ、そうよ」

 自分がひどく場違いな存在のように思えた。

 私が黙っていると、あの女はちょっとの間、もてあましたように私を見ていたが、すぐに興味を失って顔を私から遠ざけた。

 そのまま学校まで一言もしゃべらなかった。

 途中、ほんのわずかな間、あの女が私を見た。

「どうかしたのかしら、この人?」

 とでも言いたげなまなざしだった。

 それは、さっきの場違いな感覚をさらに強めた。

 学校では、工藤が仕入れてきたあの女の彼氏情報を聞きもしないのに私の耳に入れてきた。そのどれもがあまりいいものではなかった。

(やめておけよ、そんな男……)

 と、あの女に言ってやりたい衝動がわき上がったが、今朝のあの顔を思い出すとそれもすぐにしぼんだ。

(私になんの権限があるというのだ。兄としてか? そんなもの……)

 私はしだいにイライラしだした。

 そこへ浮かれた様子の山田があらわれたので、私はすかさずあて身をくらわした。だが、それを紙一重でかわすほどの成長をみせた山田だった。体勢を崩して倒れ込んだ山田に私はしかたなくSTFをかけて山田の自由を奪った。

 あたりが騒然となった。

 女子は巨大なゴリラのようなうめき声を発して興奮し、男子は男子で次は俺だというようにそわそわしながら列をなして組み合う二人を見守り、気のはやった奴らが技をかけあい、ハアハアと苦痛の声をもらすのだけれど、それが不細工な男だったために女子から激烈な怒りをかう始末だし、即座にレフェリーになった工藤は、ギブかどうか山田に確認するのだが、山田は不気味な笑みを浮かべながら首を横に振るばかりで、それに応じようとせず、そのいじらしいような光景がまた女子の興奮をあおり、さらには騒ぎを聞きつけた他のクラスの連中まであらわれるなどして、いつの間にか教室内は異様な熱気に包まれていた。

 恍惚とした表情を浮かべて苦しんでいる山田を見ていると瞬間的に殺意が芽生えたが、直後になにもかもがばかばかしく思えた。

 私は山田を解放した。

 仰向けに寝転ばすと、へらへらとふやけた笑みを浮かべたまま山田は動かなかった。なんだか幸せそうなのが憎らしかった。

 私はむなしくてならなかった。

 だが、私の心境とは裏腹にまわりは熱狂していた。

 勝手に順番待ちをしていた男どもがゾンビのように襲いかかる。

 私はそれに技をかけては転がし、転がしてはまた技をかけることを繰り返した。あたりには、ふやけた屍が積み重ねられた。ふやけた屍が転がるたびに私の心はどんどん沈んでいった。

「先生がきたぞ!」

 誰かの掛け声で我々はあわただしく何事もなかったかのような偽装を凝らした。工藤が呼びだしておいたのか、山田とともにあらわれてどこかに待機でもしていたものか、突然姿をみせた山田救護班が窓から山田を運びだすと同時に、教師が教室に入ってきた。

 授業は何事もなく進められた。

 けれども、興奮のおさまらぬ女子の目はつり上がり異様な殺気をまき散らしているし、男子は不気味なふやけた笑みを浮かべているという、この教室内の独特の空気に、教師はかなりやりにくそうだった。

 そんな彼らをよそに私はぼんやりしていた。

 なんだか気の抜けたような状態で授業にも身が入らなかった。


 家に帰って、ちょっとくつろいでから、いつものように勉強に取り組んでみたのだが、予想通りまったく集中できなかったのでやめてしまった。どういうわけか、ひどく肩が凝った。まわりの空気がなんだか重く感じられた。

(いったいどうしてしまったのだ、私は……)

 あの女は今日も部屋にあらわれなかった。

 夕飯が終わっても、私は部屋でひとりだった。

 どうも落ち着かない。この状況はどうにも気に入らなかった。

(なんとか打開しなければ……)

 焦りが生じた。

 そこでふと私は服をつくっているときのことを思い出した。

 夢中になって服をつくる。

 あのころの私は平穏であった。

(よし! ……もう一度、つくってみるか)

 以前考えていたように今度は本当に初音さんのためにつくるのもいいだろう。

 私がその決意を固めた、そのときだった。

 ノックの音がした。

 私は身がまえた。

(あの女に違いない……)

 普段ノックなどしない無作法なあの女がそんなことをするとなると、これはよほどのことに違いない。

 私の緊張はさらに高まった。久しぶりに味わうこの感覚を私は懐かしく感じた。

 私は声をかけて入室をうながした。

 ところが私の予想に反して、ドアの隙間から顔をのぞかせたのは初音さんだった。これはちょっとめずらしいことだった。彼女は腕に袋を抱えていた。

 少し妙に思いながらも、さっき決意した話題をするのにはちょうどいい機会だろうと、私は気をゆるめた。

「どうかしました?」

「ええ、ちょっと……キョウちゃん、今、ちょっといいかしら?」

「別にかまいませんけど」

「ちょっとお話があるの、それに渡したいものも……でも、それはお話のあとね、そう、そうしなきゃいけないわ」

「はあ……」

 初音さんの強張ったような真剣な顔は、私に先ほどとは違った種類の緊張を強いることになった。

(いったいどうしたというのだ)

 服作りの話題は遠くへやるしかなかった。

 いぶかりながらも私は座布団をすすめて初音さんと向かい合った。

「キョウちゃん……」

 初音さんは、くいと顎を引いて姿勢を正した。

「あなた、最近、悩んでるでしょう?」

 私はハッとして目を見開いた。

(さすがは母親といったところか)

 私の心境の変化に気づいていてくれたことが私は素直に嬉しかった。

 私は尊敬のまなざしでもって彼女を見つめた。

「ええ、確かに最近、自分が自分でないような、そんな感じがしています。それが自分のなかで、モヤモヤとしているというか、わだかまりとなっているのは事実です」

「そう……やっぱりそうだったのね」

 一瞬、顔には憂いの影がさしたが、自分の直感が正しかったことに勇気をもって立ち向かうのだとでもいうように、彼女はまっすぐ私を見つめたままうなずいてみせた。そこには温かく見守るような優しさが含まれているようだった。

 それから彼女は緊張感をみなぎらせた。

「……で、キョウちゃんはどうするつもり? 続けるの? それともやめる? あなた、本当にやめること、できる? わたしはね、キョウちゃん、このままずるずる中途半端に、っていうのが一番よくないと思うの。やっぱり真剣に自分と向き合わなきゃいけないって、そう思うのよ。今はそういう時期なんじゃないかしら? 将来どうするのか、ってことを考えるうえでも必要なことだと思うし、それになにより重要なのはね、キョウちゃん、あなたがどうしたいか、ってことなのよ。そりゃあ、このまま続けていくっていうのなら困難なことはたくさんあるでしょう。でもね、いつかはぶつからなきゃいけないことでしょう? だからね、今日はあなたの正直な心のうちを聞かせてほしいな、ってそう思ってるの。ねえ、どう、キョウちゃん? あなた、どうするつもり?」

 私はさらに驚かされた。

(まさか、服作りを再開しようと考えていたことまで見通していたとは……)

 だからなのか、この緊張感は。

 仕事に関しては妥協の許さぬ彼女だからこそ、この真剣さなのだな。

(しかもこんなにも私のことを考えていてくれたとは……)

 私は感激でふるえた。

 その気持ちにこたえなければと私は姿勢を正して神妙に口を開いた。

「やはり好きなのです。やっている間は、ほかのことを忘れられますし、落ち着きもするのです。だから、今のこの状況をなんとか打開するためにも続けようと思っています! つきましては――」

「ああ、よかった。無駄にならなくて済むのね!」

(無駄にならなくて?)

 すべてを言いきらないうちによろこびの声をあげた初音さんを私は驚きながら見つめた。

「つくって準備しておいたのは、よかったんだけど、渡そうかどうか迷ってたのよね、で、キョウちゃん、悩んでるみたいじゃない? これは、って思っちゃったの、母親として力の見せどころだぞ! ってね、うふふ……ああ、でも、よかったわ、キョウちゃんの本心が聞けて、ほっとしちゃった、ふふふ。大丈夫よ、キョウちゃんなら、きっとうまくやっていけるわ、だってよく似合ってたもの、これもきっと似合うはずよ、ふふふ。……ああ、そうそう、前にも言ったけどね、わたしはあなたの味方だから、それだけは忘れないで、存分に頼って頂戴ね、陽一さんも理解のない人じゃないからきっと大丈夫よ、安心して任せてね、うふふ」

(似合う? 前にも言った? 父も理解のない人じゃない?)

 私の戸惑いもよそに、初音さんは横に置いていた袋を私に渡して、

「はい、これ、使ってね」

 入ってきたときとはまるで別人のように、ルンルンと少女みたいな軽やかな足取りで出ていき、去り際にドアの隙間から顔だけ出して、

「じゃあね、うふふ」

 と、声をかけて笑う顔もまた少女のようだった。

 私はしばらくぼうぜんとしてから謎の袋に手をかけた。

「ふうむ、なるほど、そういうことだったか……」

 私は自分の発言を思い起こして蒼ざめた。

 袋のなかには、メイク道具一式が入ったポーチに、カツラ、それに女性用の服が二着入っていた。

 私はその服の柄に見覚えがあった。

 それは初音さんと生地を買いに行ったときに彼女が買っていたものだった。

 私はそれらの品々を並べて見つめた。

(私にとって唯一安らげる人であった初音さん……)

 どうやら私はそれすら失ってしまったようだ。

 私は退路を断たれた。

(この誤解をどう解くべきか……)

 はたして私に安住の地などあるのだろうか。

 この日も私のもとに安らかな眠りはおとずれなかった。


 翌朝の初音さんは上機嫌だった。

 私は誤解を解く糸口すらつかめず、悄然とした。

 それは私の排せつにまで影響を及ぼした。この日の排せつは大地を揺るがすほどの凄まじいものだった。

 私は憂鬱な気分であの女と一緒に家を出た。

 あの女はまた私を無視した。

 教室に入ると工藤と女子たちが劇のことでなにやら言い争いをしていて工藤が、

「そんな要求、全部のんでられるか! そんなことしたら劇が劇でなくなってしまう、崩壊だ! そんなもの、あんこの入ってないアンパンだ! 麺の入っていないラーメンだ! 具の入っていない餃子だ! 皮だけの餃子だ! そんな餃子の皮だけみたいな中身のないものを俺は認めんぞ、そんなもの! 断じて認めん!」

 と、わめいていた。

 女子の主張は各々が希望するシチュエーションをいくつも連ねて劇をつくるというものだった。前後のつじつまが合うかどうかなど、どうでもよくて、ただ好きなものが見られればそれでよいという。

 最近どうもぼんやりすることが多くなった私は、彼らの不毛な争いを横目にしながらまたぼんやりしてすごした。

 彼らの争いは授業をまたいで続けられ、途中、すでに学園祭モードなのか、奇妙な衣装を身にまとって乱入してきた山田を私がブチのめしたときに、いったん休戦したが、山田が救護班によって運びだされるとまたすぐに争いは再開され、それは帰り際まで続けられた。

 さすがに疲れたとみえる工藤が振り絞るような声で、

「わかった! これでどうだ!」

 と、提案した内容に、まるで徹夜でもしたかのような、うつろな目になっている女子たちも、

「まあ、それなら」

 と、同意の意思を示した。

 工藤が提案したのは、時代を超えて愛し合う二人というもので、いくつかの時代を経ることで前後のつじつまがどうかという問題を解消し、時代を超えても二人の魂は愛し合うのだ、というところに中身をもっていこうとしているらしい。そのなかに女子の希望するシチュエーションを盛り込むが、その数は減らし、厳選されたものだけにするというものだった。

 そんなような映画があった気もしたが、私は黙って帰り支度をした。

 劇でやるとなるとたぶん大変なことになるだろうな、と他人事のように思った。

 きっと工藤も家に帰って冷静になれば、

「俺はなんであんな提案をしたんだ!」

 と、壁に頭をぶつけて悔やむんじゃないかな、と思いながら私は家に帰った。

 普段となんら変わることのない、にぎやかでバカらしい一日だった。

 でも、まあ、今日は私が絡むことは少なかったので比較的、穏やかだったといえるかもしれない。


 あの女は今日も部屋にあらわれなかった。

 この晩、私は自分の行動に言葉を失ってしまった。

 なにを思ったのか、あの女の使用している香水の入った消臭剤をベッドに吹きかけていたのだ。

 においでハッとして、すぐに手をとめた。

 私はぼうぜんとした。

 私はぼんやりと消臭剤の容器を見つめ、またゆっくりとベッドに目を戻した。

 信じられないことだった。

 別に部屋のにおいが気になっていたというわけでもなく、消臭剤の中身が違うことを忘れていたわけでもない。今日の工藤ではないが、私もなにかしらの精神的疲労を感じているのかもしれない。

 この無自覚な行動によって、私はなんらかの極みに達したのだと認めざるをえなかった。

 私は投げやりな気持ちでベッドの上に寝ころんだ。

 なんだか知らないが、よく眠れた。

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