第13話
外は相変わらずのくもり空だった。
すでに十二時をまわっていた。時間を確認すると、なんだか腹が減ってきた。
「……で、どうするのだ? すぐに小野寺さんと合流するのか? どっちでもいいが、腹が減ったので、ご飯を食べたいんだが……」
「舞ちゃんとの待ち合わせはもうちょっとあとだから、このへんで食べましょ」
我々は歩き出した。
「なにか食べたいものはあるのか?」
選んだ食べ物は選択肢からはずし、できるだけそこから外れたものを選ぶつもりで問いかけたのだが、この女はそれを見越してなのか、なにか期待するような目を私にちょっと投げかけただけで、なにもこたえようとはしなかった。
しかたなく私は適当にそのへんを探すことにした。
歩いていると町並みに見覚えがあるような気がしてならなかった。一度このへんを歩いたことはたしかだと思うのだが、記憶はあいまいで、いつ、誰となのか、それは定かではなかった。
(たしか、このへんにラーメン屋が……)
はたして、ラーメン屋があった。記憶のとおりだった。太麺に、こってりしたスープがからむのが絶妙でかなりおいしかったはずである。
私は隣の女へ目をやった。
女はうつむいて、もじもじとしていた。
トイレにでも行きたいのだろうかとも思ったが、ひょっとすると店が気に入らないのかもしれない。べつに汚いというわけではないが、さほどおしゃれというわけでもないので、わがままなこの女の趣味には合わないのだろう。
私は気にしない。
むしろこの女が嫌がるほうがいい。
「ここでいいか?」
「……うん」
私が問いかけると、照れくさそうに笑ったりした。
意地っ張りな奴だ。
記憶のとおりで、ラーメンはうまかった。
負けたままではいられなかったのか、あの女はラーメンのほかに、チャーハンに餃子まで頼んでいた。しかも、それをぺろりと平らげたのだ。
強情なこの女の性格に、私はあきれた。
店を出て、駅にむかった。
いよいよ小野寺さんに会えると思うと私の胸は躍った。
少し後ろからついてくる女の歩き方がなんだかちょっと変だった。
手を後ろに組んで、ちょっと踊るようにというか、歩道の白線を踏み外さないように慎重に足をのばすような歩き方だった。ちょっと笑みをみせたりもしている。
不気味な感じはしたが、頭のおかしい女を私は気にしないことにした。
私は小野寺さんに思いをはせた。
電車から降りて、待ち合わせ場所へ行ったが、小野寺さんはまだ来ていなかった。ラーメン屋にいるときに、もう家を出たと言っていたので、私は気が気でなかった。
「大丈夫なのか? 場所が間違ったりしていないか?」
「大丈夫だって、彼女、いつもそうなのよ。いつもふらふら寄り道するから遅れるんだって、心配ないから」
そう言っている合間に小野寺さんへメッセージを送っていて、
「ほら!」
と、勝ち誇ったように彼女からの返事をみせてきた。
五分ほどして小野寺さんはあらわれた。
彼女は、レトロな色で虹をつくりましたというようなストライプのちょっと変わった感じのスカートをはいて、Vネックの白いシャツを着て、手には金色の細いブレスレットをして、大きな革のバッグをもっていた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって」
照れながら言う彼女はやはり可愛く、私は惚れ直した。
「じゃあ、行きましょうか」
あの女の号令により、小野寺さんがくるりと向きを変えた。
その瞬間、雷に打たれたような衝撃がはしった。
(……ふ、ふくらはぎが……以前と……違う!)
まさに別物だった。
余人にはその違いがわからないかもしれないが、私にはハッキリとわかった。
以前とは桁違いの迫力でもって私を圧倒してくる様子はまさに嵐だった。私はそのスケールの大きさになすすべがなく、すぐにのみこまれて体をバラバラにされてしまうのだが、それがまた心地よく、なんともいえない開放感をともない、私をあらたな世界へと導いていくかのようだった。
(いったい彼女になにが……)
私はさりげなく彼女の様子をうかがってみたが、全体的にやや引き締まったかんじがあるというくらいで、それ以外は以前と変わらないようにおもえた。
ダイエットでもしたのだろうか。
それだけで、この人を威圧するようなものがうまれようとはとてもおもえなかった。
私の視線に気づいたのか、あの女と談笑していた小野寺さんがふと私のほうへ目をむけた。そして微笑した。それはどこかトゲのある挑発的なものを秘めたような笑い方で、その瞳は隠そうとしてもにじみでる自信であふれていた。
おっとりとした以前の彼女にはみられない魅力的なものだった。
それは私を魅了すると同時に緊張させもした。
けれども、彼女が私に笑みをなげかけたのはほんの一瞬で、
「どうかしたの?」
「うんん、なんでもないの」
彼女はあの女に笑いかけ、またおしゃべりをつづけた。
私の皮膚には、じんわりと汗がにじんでいた。
やはり彼女は変わっている。
ふくらはぎだけではなく、なにかが彼女を変質させてしまったのだ。
そのなにかというのはまったくわからなかったが、それは私にとって不快なものではなかった。なんだかよくはわからないが私にはステキな変化におもえた。
私は彼女の微笑に自分への好意を感じとった。
我々はあてもなく歩いた。
とくに目当てのものがあるというわけでもないようで、気のむく店があれば店内をのぞいて、品物を手にしながら、わいわいとさわいだ。デザインが悪いとか、派手すぎる、地味すぎる、気に入ったけど値段が高いだとか、なにかしらケチをつけて実際に買うことはほとんどなかった。可愛い、欲しいとさんざん言って値段も手ごろだったのにもかかわらず、買わなかったものすらあった。
私にはよくわからないが彼女たちはそれが楽しいようだった。
ときには私も意見を求められた。けれども、そのことごくが、ちょっと独特すぎると受け入れられなかった。
ひとつだけ例外があった。
靴屋でのことである。
あの女が意見を求めてきたのは、厚底のサンダルみたいなヒールで、足首のところに巻きつく黒いバンドと本体が細い生地でところどころ交差しながらつながっているデザインの靴だった。
それを見ていると、とあるアニメ映画でモデルにもなった、ある水上機が脳裏に浮かんだ。すると、どういうわけか、あの女のワンピースが私の目に鮮明に映り、その木の葉をまき散らしたような柄のなかを変幻自在に飛びまわるイメージが広がっていったのだ。
なかなかステキに思えた。
なので、
「カーチスが世界を統べるようだ……」
うっとりと情景を思い浮かべながら、意見を述べたのだが、私のこの答えを、この女は、
「は? ちょっと、それ、どういうことよ?」
まったく理解できないようだった。
しかたなく私は説明してやった。検索して画像までみせた。おそらくこの靴のデザインコンセプトは水上機がメインとなっているだろうとまでいったのだが、この女は、
「ぜんっぜん、わかんない。なんでこれとこれが結びつくのよ」
と、眉間にしわをよせて私をバカにしかしてこなかった。
小野寺さんはおもしろがってくれた。やっぱり彼女は可愛くて優しい。
彼女の優しさに私はなぐさめられたのだが、
「買っちゃおっかな……」
この女の一言で気分は台無しになってしまった。
そして、この女は本当に買ったのである。ワンピースと同様にそれを履いて私に見せびらかすことで精神的なダメージを与えようというのだろう。
この女の醜悪さに私は吐き気がした。
さらにひどいのは、その靴を私が持たされるということである。何度それを放り投げてやろうと思ったことか……。
この女はこれ以外に部屋着を一着買い求め、小野寺さんはなぜだかアロハシャツを買っていた。この夏に南の島へバカンスに行く予定でもあるのか、ただアロハな気分というだけだったのか、私には聞く勇気はなかった。独特の感性を持つ彼女にいえるただひとつのことは、間違いなく似合うだろうということだけである。
歩きまわって疲れたので、喫茶店で休憩することになった。
「ちょっとお手洗いに行ってくる!」
元気よくあの女が席を立つと、なんだか急に落ち着かなくなってしまった。
小野寺さんと二人きりである。
話題を探そうとしたが、ただじんわりと汗がにじんでくるばかりでなにも浮かばなかった。
ちょうどそのとき店員が注文した品を持ってきたのでなんとか間がもった。
「おいしいですね。このケーキ」
「ええ、そうですね」
会話はそこで途切れた。
情けなくなるような言葉しかかけられない自分が恥ずかしくなった。わき上がってくる卑屈さは、彼女がなげかけた笑顔でさえ、私をあざ笑っているかのようにかんじさせた。
(こ、こんなことでは……)
私は自分を奮い立たせた。
彼女に思いを伝えよう。
私はそう決めた。かなり唐突ではあるが、いい機会だともおもった。いままでのように悶々とした時をすごすのは私の本意ではない。やはりきちんと話をして、無理ならばきっぱりとあきらめる。もし脈があるのなら、友人としてのつきあいからはじめ、徐々に親密さを増していけばいいのだ。
いままでのごたごたで自分を見失っていたようだが、本来の私はもっとさっぱりとして、思い切りのよい男なのである。
「小野寺さん。実は、あなたにお話しがあるのです」
「ええ、わたしもお話しがあるんですの」
そう言って、彼女は不敵な笑みをみせた。
(むっ……?)
(ま、まさか、そんなわけは……)
内心で急速にふくらむ期待を私はぐっと押しとどめた。
「実は、ボクの話というのは、その……」
「ええ、わかっています」
「え?」
「なにもおっしゃらずともわかっています。わたしも同じ気持ちですから」
そ、相思相愛……だったのか。
にっこりと笑う彼女の顔をみて、私は舞い上がった。
「や、やっぱり、そうだったんですね! 小野寺さん!」
「ええ、わたしもあなたには負けたくありませんから」
「は?」
「……いいえ、勝ちます! 必ずあなたに勝ってみせます!」
(負けたくない? 勝ちます?)
私は言葉をうしなった。
小野寺さんの顔は闘志で燃えていた。
その顔はまさに戦いに明け暮れる戦士のそれだった。
私はなにか彼女に恨まれるようなことをしただろうか……。
彼女のあまりの変わりように、私はだんだん頭のなかがぼんやりとしだして、なんだか世界が遠のいていくように感じられた。ただはっきりとしているのは、相思相愛ということではないらしい、ということだけだった。
またしても……。
望月さんのときと同じように、なにもしていないのにフラれたというわけか。
(なにか、呪いでもかけられているのだろうか……)
「どうかしたの?」
いつの間にかトイレから戻っていたあの女が目の前に立っていた。
「ちょっとライバル宣言をしましたの」
「ふーん、そう……」
あの女との会話から小野寺さんがキックボクシングをはじめたというのがわかった。
残念ながら私はこれを聞いて以降、はっきりとした記憶がない。
あとであの女から聞いた話をつなぎ合わせると、小野寺さんは以前から格闘技というものに興味を抱いていたが、両親との関係からなかなかそこへ飛び込む勇気がなかったというのだ。そんなときに運がいいのか悪いのか、あの女と出会ってしまい、仲良くなるにつれて私の存在を知ると、親の仕事の関係上、メイクに自信のあった彼女は、
「彼を完全な女性に仕立てあげることができれば、わたしは新たな道を歩むことができる」
と、勝手に免許皆伝でもしたかのように、思い極めたというのだ。
私からするとそれは口実で、最初からそういう方向へ進むように自分で話をもっていっただけのように感じるし、多少の妄想癖というか、意外に思い込みの激しい性格があるようにもおもえる。
なぜ、私が挑戦者にされてしまったのかは不明である。なぜ、キックボクシングを選んだのかも不明である。
なにもかもがよくわらないまま、これから練習があるという小野寺さんと別れたところは、かすかに記憶しているが、気づくと家についていて、どうすごしたのかよくわからないが、いつの間にか寝る時間になっていたので、私は眠りについた。
なぜだか翌朝はとんでもなく快便だった。