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僕は君のことが嫌いだ  作者: 相馬惣一郎
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第11話

 それから数日後に、私は服を仕上げた。

 あまりの感激で、私はそのまま渡そうとして初音さんに、

「そういうものはちゃんと包んで、渡すべきときに渡すものよ」

 やんわりとたしなめられた。

 私は反省した。

 きちんとたたんで、買ってきたプレゼント用の袋に入れ、そしてリボンをつけて、どこからどう見ても可愛らしい女性へ贈るプレゼントに仕立てあげた。

 私は満足して、傷まないように注意しながら引き出しのなかにしまって、誕生日が来るのを待った。

 そして、その日がきた。

 私は学校の帰りに赤とピンクの綺麗なカーネーションの花束を買い、リビングに飾った。

 それから夕飯の準備にとりかかった。

 そのさなか、私は勘違いしていることに気がついた。

 まあ、たいしたことはないのだが、今日はあの女の誕生日だった。あの女のほうが一日早いので、いつもあの女の誕生日にまとめてお祝いすることになっていたのだ。

 これには当初、父が、

「生まれた日が違うのだから別々に祝うべきだ」

 と、反対の意を唱えていたのだが、

「陽一さん」

 ニコニコしながら放った初音さんのこの一言によって、なぜだか知らないが、まとめて祝うことに決まってしまった。

 その当時、私も不穏な空気を感じとったものである。

 別に祝い事が嫌いというわけでもなく、経済的な理由としていたが、父がそれを問題ないとしてからの、

「陽一さん」

 だったため、私もいまだにその理由がわからない。

 誕生日になにか嫌な思い出でもあるのだろうか……。

 まあ、それはいいとして、この日はあの女の誕生日のため、どちらかというと、あの女がメインとなる一日で、私もいつもは義理であの女に、なにかしらのプレゼントをしていたが、服をつくるのに夢中になっていた私は、すっかりそのことを忘れていた。

 買いに行く時間もないし、家にある適当なもので済ますしかない。

 新品の鉛筆とノートでもやるか……いや、買い置きしてあるお菓子のほうがいいかもしれない、それか……。

 そこで私はいい案を思いついた。

 小野寺さんから借りている、あの服がいい。

 あれをプレゼントと偽り、あの女から返させればいいのだ。

 自画自賛してしまうほどのナイスなアイデアに、私もすっかり気をよくして、そのままあの女のことなど忘れて、夕飯の準備を急いだ。

 といっても、夕飯は鍋であるから、さほどの準備も必要としないのである。幼少時より幾度となくつくってきている河合家特製、秘伝のタレもまだまだたっぷりとあるのだ。これをスープにくわえるだけで、なんともいえない旨味がでて、

「く、くそう……もう限界だというのに、どうして、こんなことに……」

 そう思いながらも、箸がとまらず、夢中で食べつづけることになってしまう、おそろしい代物なのだ。

 ただ、難点なのは、冷暖房禁止ルールである。

「自然のままの状態で食べるのが、一番うまい!」

 という、よくわからない父の信念にもとづく鉄のルールにより、なにかしらイベントがあると鍋になる我が家では、冬はまだいいのだが、問題は夏場の、とくに母の命日などは、地獄のようなおもいをして食べることになるのだ。一応、食事をする前と終わった後は冷房を入れているのでぶっ倒れるということはないのだが、せめてこれが冷しゃぶだったら、とおもわないではない。

 だが、父からすると、

「そんなものは邪道だ!」

 となるのである。理不尽なものだが、幼少時からの慣れのせいか、気合でどうにかのり切れるようになってしまっている。それに食事中は夢中になりすぎるせいか、暑さを忘れるのである。

 といっても、その日の気温はやはり気になる。

 今日はどうかというと、これがまた、この時期としてはかなり暑かった。

 前日までのさわやかな陽気とはうってかわって、夏のあの暑さが間近にせまってきていることをからだが思い出して、細胞ひとつひとつが嘔吐しだすんじゃないかと思うくらいの陽気だった。

 夕方になり、だいぶ涼しくなってきたが、はたしてどうなることやら……。

 愛する妻と娘のために早く帰宅して、鍋の前で一切をとりしきっている父のもと、夕飯がはじまった。

 本日の鍋は、あの女の好きなトマト鍋である。

 我々はいつものように無言で鍋にむかう。ただ目の前の食材を消化することのみに全精力をかたむけるため、話すことなどに費やす余力も時間もない。

 実のところ、初音さんやあの女と暮らしだして、しばらくのうちは秘伝のタレをつかっていなかった。

「我が家に伝わる特製のタレがあるんだけど、入れてみるかい?」

「あら、そんなのがあるの? ちっとも知らなかったわ。 で、おいしいの、それ?」

「うん、おいしい」

「じゃあ、入れましょうよ」

「でも、あまりにおいしすぎて、鍋ごと食べたくなるくらいだぜ?」

「まさか、そんなことあるわけないじゃない。うふふ、いいわ、入れましょうよ」

 父の提案へ気楽に同意した初音さんであるが、そんな彼女もいまでは、じりじりとじれたような、つりあがった目つきで鍋にむかっている。まるで食べることが苦痛とでもいうようである。だが、やめるわけにはいかないのだ。

 皆、同じように、じりじりとじれたような目つきで鍋と対峙し、その様子は剣道なんかの武術の立ち合いにどこか似ていて、かなりの緊迫感をもっているのだが、食材が追加されたときなどは注意が必要で、まだ火が通っていないものへ手をつけようものなら、すさまじいまでの気迫のこもった父の制止をうけるはめになるのだ。

 しかもそれが、すべて無言のうちにおこなわれるのである。顔を見合わせ、双方納得のうえで、また、じりじりとじれたような目つきで火が通るのを待つのだ。

 いちおうケーキも買ってあるのだが、そんなものには目もくれず、我々はただひたすらに目の前の鍋へむかう。

 汗の噴き出した皮膚に、適度な冷気をふくんだ夜風が心地よかった。

 やはりまだ夏は少し遠いようだ。

 テレビで見るような誕生日のパーティーとくらべるとまったく異質なものかもしれないが、これが河合家流のやり方なのであり、食べ終わったあとも、片づけもしないで、ぐったりと身動きもしない様子も、河合家ではおなじみの光景なのである。

 それから、どれくらいの時間がたっただろうか。

 ようやく動く気になって、片づけをはじめ、それが終わるころ、

「ハーちゃん、お誕生日おめでとう! はい、プレゼントよ」

「ありがとう、ママ! これはあたしから。いつもありがとうね、ママ」

 互いにプレゼントの交換をはじめ、ふいに初音さんが、

「キョウちゃんもステキなプレゼントがあるのよね?」

 と、いたずらっぽい笑みをむけて催促してきたので、私はあわててプレゼントを取りにいった。このとき、私はあの女のプレゼントのことなど、すっかり忘れていた。

 戻ってきて、とにかくそれを初音さんに渡して、それから感謝の言葉をのべようとしたら、なにを思ったのか、初音さんが、

「はい、これ、キョウちゃんからあなたによ」

 そのままひょいと、あの女へ渡してしまったのだ。

 そして、私がなにか言葉を発する前に、

「ね? そうよね、キョウちゃん?」

 と、釘をさしてきた。

 おだやかに笑っているが、そこに有無をいわせないものがふくまれていることを見てとった私は、ようやく彼女の意図を理解した。

 ……この人は、はじめからそのつもりだったのだ。

 寸法に違和感があったのも正しくて、きっとあの女にあわせたものだったのだ。

 私は複雑な心境だったが、これも私とあの女がケンカしているのをなんとかしたいという初音さんなりの親心なのかと思うと、

「ええ、まあ……」

 あいまいな返事をして、うなずくしかなかった。

 あの女はプレゼントを受け取ったまま固まっていた。

 ぼんやりとした様子で手にしたプレゼントを見つめている。

 嫌な顔をするとか、イヤミったらしいお世辞でもいってくれたほうが、まだ可愛げがあっていいくらいで、なにもいわずにただ黙ってうつむいているのはなんだかひどく不気味だった。

「ほら、キョウちゃんもそういってるわよ」

 初音さんに声をかけられても、この女はただコクンと小さくうなずいただけだった。

 私はなんだか嫌な気分になった。

「おい、そのステキなプレゼントってのは、なんだよ?」

 肩越しに酒臭い息がにおってきて、私の嫌な気分は増した。

 酒の入った父からは、鍋のときに発せられていた威厳など、みじんも感じられなかった。

 私が黙ったままでいると、

「ワぁーン、ピぃー、スぅ」

 初音さんがちょっとふざけた調子でこたえ、

「キョウちゃんがつくったのよ」

 と、さも自分がつくったかのように胸をはり、

「わたしもちょっと手伝ったの、えへへ」

 少し照れたように、小さな声でつけくわえた。

「へえー、ちょっと見せてくれよ」

 という父にうながされて、この女は中身を取り出して、広げてみせた。この女は、半ば放心状態というような感じで、不思議なものでも見るように目をパチパチさせて、手に持った服を眺めていた。

 私はそれを冷めた目で見ていた。

「おっ、いいじゃないか、ホントにお前がつくったのか、これ?」

「そうだよ」

「よくできてるじゃないか」

 父は上機嫌で私の肩をたたき、だいぶ酔いはまわっているようだが、

「やっぱり初音の教え方がうまいんだなあ」

 と、愛妻家である自分をまだ見失ってはいなかった。

「ちょっと着てみせてくれよ、な?」

 父の一言で、あの女は初音さんに連れられて部屋を出ていった。

「やるじゃないか、ん?」

 肩を組まれて頭をカシャカシャされた。

 酒のにおいがして閉口した。

 私が無理やり振りほどくと、父はまた酒をのみはじめた。

 私はなんだか落ち着かない気持ちになり、意味もなく見慣れた家具のひとつひとつへ目を移したり、手を動かしたり、ときどき立ち上がって部屋のなかを移動したりもした。

 ずいぶん時間がたってから、

「じゃーん、お姫さまの登場よ!」

 陽気な初音さんのあとからあの女が部屋へ入ってきた。

 私は思わず息をのんだ。

 いまいましいが、やはりこの女は綺麗なのだ。

 あらためて、そう感じた。

 髪型も変えて、薄く化粧もし、ネックレスやイヤリングまでしている姿はいつもより格段に大人っぽく、まるでどこかのモデルのようで別人にすらみえたのだが、立ち振る舞いのぎこちなさなどはやはりあの女だった。

 一瞬のうちに、さまざまな感情が私の内側を通り抜けていったが、最終的に私の胸にのしかかってきたのはやはり、不快という感情だった。

 なんとも悔しいことではあるが、ほんの一瞬、私はこの女に心を奪われてしまっていたからである。

 というのも、この女のむき出しの肩からのびる白い腕や、スカートからにゅっととびでるすらりとした足に、なぜだか私は母の面影を感じていたのだ。

 これが不思議でならない。

 なぜ、こんな女に、亡き母の面影を……。

 これが私を混乱させ、理解不能なこの感情をできるだけ遠くへ押しやると同時に、神聖な私の思い出に土足で踏み込んできたこの女への嫌悪でもって、私は自らの心をなんとか平常に保とうとつとめた。

 その結果、私の胸に広がっていったのが不快という感情だったのだ。

 しかも、私のつくったワンピースがそれを引き立てているようにも思えるのが、また、私の気分を悪くさせた。

 さらにいうならば、この女の態度である。

 顔を赤くさせ、むっつりとしている。いかにもあの女らしい不満のあらわしかたである。

 私と目が合ったときなど、あわてて目をキッと怒らせて敵意をあらわにし、すぐにぷいっと横をむいてツンとすました態度をとるのだ。私がしばらくそのままでいると、あの女も様子をうかがうように私のほうへ目をやるのだが、私が見ていることに気づくとすぐにまた顔を真っ赤にさせて、ぷいっ、である。

 ……そんなに嫌なら無理をして着なくてもいいのだぞ!

 のどまで出かかった、その言葉を私はぐっとのみこんだ。

 それは初音さんのためにつくったものなのだ。彼女の気持ちをくんで、しぶしぶながら我慢しているというのに、なんなのだ、その態度は!

 私としては、そんな心境だった。

「おー、綺麗だぞ、晴香」

 父はしきりに感心している。

 上機嫌だ。

 父にほめられても、あの女はムスっとしている。父のリクエストにおうじて、さまざまなポーズをとらされているときも、顔を赤くさせ、ツンとすましたままで、父の撮る写真におさまっている。

 私はぼんやりとその様子を眺めていた。

 そのうち、酒がまわったのか、父はソファのうえで、ぐっすり眠ってしまった。

 その様子をちょっと満足げにあの女は見ていた。

「さ、お風呂に入ってきなさい」

「でも、今日はママが……」

「いいのよ」

 初音さんにうながされて、あの女はリビングから出ていった。

 その様子を見るともなしに眺めていると、急に初音さんがくるりとまわって、

「ごめんなさいね、キョウちゃん」

「かまいませんよ」

 突然声をかけられて私はかなり焦ったが、反射的に笑顔をみせた。

 あの女に対する感情を私は初音さんに悟られたくはなかった。あの女には腹が立っていたが、だからといって、私は初音さんの優しさをふみにじるようなことはしたくなかった。

「あの子、とってもよろこんでたのよ」

 初音さんはそういうが、おそらくお世辞だろう。

 あの女のことだから、駄々をこねていたに違いない。

 私をだましていたことへの罪滅ぼしというか、傷つけまいとする優しさから、きっとこんなふうな慰めをいったにすぎないのだ。

 私は返事に困ったので、あいまいに笑って、肩をすくめてみせた。

 どう解釈してもらってもいいが、とにかくなにも気にしていないということだけが伝わればそれでよかった。

 私は無理やりにさっぱりとした笑みを浮かべて、いい気分で寝ている父のほうへ指をむけた。

「これ、運んじゃいましょうか」

「そうね、そうしましょうか」

 そうさ……。

 私はあんな女のことなど、なにも気にしてないのだ。

 そう思うと、私は本当にさっぱりした気分になった。

 抱き起こした父から発せられる酒のにおいに、我々は顔を見合わせ、苦笑した。

 それを見透かしたように、父のいびきが高らかに響いた。

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