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僕は君のことが嫌いだ  作者: 相馬惣一郎
10/20

第10話

 普段おっとりとしている初音さんだが、彼女は手に職をもっている。

 服飾のデザイナーなのだ。

 自分のブランドを立ち上げているバリバリの職業婦人である彼女は、その方面においてはかなりのしっかり者なのである。

 ブランドの名をポンちゃんという。ブランド名としてはちょっと変わった名前であるが、その由来を私は知らない。何度かたずねたことはあるが、いつもにこにこと笑って、はぐらかされてしまう。別に柑橘系が大好きだというわけでもないのだが、ひょっとすると言えないほど恥ずかしい失敗が隠されているのかもしれない。戒めというかたちで初心を忘れないようにしているのかもしれない。

 よくはわからないが、なにかしらの思い入れはあるみたいだ。

 父と初音さんが結婚するとき、一階の一部をリフォームし、それを彼女の作業場にあてた。デザインからパターンの製作、裁断に仕上げまで基本的に一人でこなし、それをネットで販売している。少量というのは敬遠されがちだが、つてがあるのか工場と提携していたりもする。まあ、だせば、たいていは売れてしまうくらいの人気はあるようなのでそれも影響しているのかもしれない。

 私は、その部屋から聞こえてくる、ダタタタという音が好きである。

 いったん止まってはまた、ダタタタタと響く。その規則的であるような、不規則なリズムが私は子どものころから好きだった。そんな音を聞いているうちに、私は彼女の仕事ぶりに興味をもつようになっていた。

 私の部屋の隅にはミシンが置かれている。それは以前、家庭科での課題をこなすのに初音さんがむかし使っていたのを譲り受けたものだ。

 なにげなく部屋を眺めていて、そのミシンが目にとまった。

(そういえば、熱心に練習していたな……)

 当時のことが懐かしく思い出された。

 むかしを懐かしんでいると、ふとあることが閃いた。

 もうそろそろ初音さんの誕生日だ。

 自分でつくった服を彼女にプレゼントするのもいいかもしれない。

 独力でこっそりつくるということも考えたが、半端なものを私はつくりたくなかった。つくるならきちんとしたものをはじめから終わりまで自分が納得いくようにつくってみたかった。

 プレゼントを贈る相手にそれを頼むのは少し気がひけたが、満足のいくものを仕上げたいという気持ちのほうが強かった。

 私は初音さんにそのことを伝えた。

 彼女は嬉しそうにほほ笑んだかと思うと、ふとなにかに思い当たったようで、ちょっと考えあぐねるような仕草をしてから私をじろりと見て、

「キョウちゃん……あなた、本気なのね?」

 急に厳しい表情になったので、私も背筋をしゃんとして、

「はい、本気です」

「……わかりました」

 初音さんは、再び笑顔をみせた。

 私もほっとした。

 しばらくの間、私はこれに夢中で取り組むことになった。

「じゃ、とりあえず寸法、測っちゃいましょうか」

 初音さんはなぜか私の体を測りはじめた。聞いてみると測られるのは恥ずかしいから私の体でどの部分の寸法をとればいいのかを示して、あとでそれに対応するデータを渡すということだった。それに関して私は特に意見をもたなかった。

 デザインをどうするか。

 私の頭に浮かんでいたのは母のワンピースだった。

 ノースリーブのワンピース。

 そこからのびるほっそりとした白い腕。

 初音さんは嫌がるかもしれないが、私は初音さんと重ね合わせながら母のことを思い出していた。

 こういうところなのかもしれない。あの女がマザコンと私のことを罵るのは……。

 不意にあの女の顔が浮かび、私はひどく嫌な気分になった。

 私はそれを振り払うように勢いをつけて、必要と思われる資料を大量に借り入れ、自室へと引き返した。

 その途中であの女に出くわした。

 なにか言いたげな様子であったが、さっきの嫌な気分が残っていた私は必要以上に、この女のことを無視した。

 近ごろは、この女への嫌悪もだいぶ薄らいでいる。というか、高校へ入る以前の無関心という状態に近づきつつある、というほうがいいのかもしれない。同じ家に暮らしているので完全に消し去ることは不可能だが、だんだんとあの女の存在を意識しなくなっているのは事実なのだ。

 私はこれをいい兆候だとおもった。

 私が部屋のドアに手をかけたところで、

「ハーちゃん、ちょっと……」

 と、初音さんがあの女を呼びとめる声が聞こえた。

 私は気にせず部屋に入った。

 この日を境に、私の生活はちょっとした変化をみせた。

 なんといっても生活にハリがある。

 初音さんにはどんな服が似合うだろうか。

 それを考えているだけでも楽しかった。それに、初音さんの厳しい指導を通して技術を身につけたり、与えられた資料に目を通して知識を吸収したり、やることはいくらでもあった。外へ出ても女性のファッションというものが気になるようになったし、学校へもファッション誌をもっていって見たりして、工藤に、

「誰に、なにを着せるつもりだ?」

 と、からかわれたりもしたが、それでも楽しかった。

 山田も相変わらずで、少年のように目をキラキラさせて、

「さあ、これを着てくれ! キミのために用意したんだよ!」

 と、どこで入手したのか、女子の制服を手渡そうとするので、私が即座に眠らせるのもいつもの光景となっている。もはや、ショーとして金をとれるんじゃないかとおもうくらいに狂いのない精度をそなえてしまい、私は山田を眠らせることに関する、ある種の権威者となってしまっている。

 ギャラリーもうるさいことはうるさいが、私は彼らを適当にあしらうすべをおぼえた。そのなかでもっとも効果のあったのが壁ドンだった。

「ちょっと静かにしてくれないかな? キミがそれ以上さわぐと、ボクの唇でふさがなきゃいけなくなるけど、それでもいいかい?」

「ボクのことは好きかい? ならば、その穢れた口をふさぐがいい!」

「キミが欲しい……」

 などと適当なことを言っていれば、男も女も関係なく、腰がくだけたようにふにゃふにゃとくずれて黙り込むので、たいへん便利だった。

 私は得意になって壁ドンした。

 それで失敗した。

 女装登校事件で世話になった、メガネをかけた女性教員の朝倉がたまたま通りかかったのへ誤って壁ドンしてしまったのだ。

 翌日、朝倉がメガネをはずし、髪形なども変えて、若づくりをしてきたことが広まると、私は工藤から、

「マダムキラー」

 というあだ名をつけられてしまった。

 私はこれ以降、壁ドンを封印した。

 いろいろなことが起こってはいるが、私は落ち着きを取り戻しつつあった。以前の環境とは大きな隔たりがあるけれども、それでも本来の自分に近づいてきているという実感があった。なによりも健康な排せつが戻っているのが、私としてはうれしい。

 月も変わり、連休に突入すると、ますます私は服づくりに没入した。

 デザインというほどのものでもないが、すでにそちらは終わっていて、私はパターンの製作に入っていた。

 作業をしていて気になる点がでてきた。

 寸法にミスがあるのではないか。

 どうもこの寸法だと細すぎるように思えた。腰のあたりもそうなのだが、とくに胸など、私はこの方面にあまり知識がないからあれなのだが、はたしてこの寸法でおさまりきるのだろうかと心配になった。

 私が疑問を口にすると、

「そ、そんなことはありません!」

 目もあわせてくれずに、ぷいと顔をそむけるほどの剣幕だった。

 どうも怒らせてしまったらしい。

 私はしかたなく指定された寸法で作業をつづけた。

 それから終日たった連休の最終日、私の部屋にノックがあった。

「キョウちゃん、今日ちょっと時間ある?」

「まあ、大丈夫ですけど、これやるだけだから」

「じゃあ、今からちょっと、お出かけしましょうか」

 初音さんからのデートの誘いだった。

 二人きりで出かけるのは久しぶりだったので私はウキウキした。

「どこへ行くんです?」

 その問いかけには答えず、ニコニコしながら私をうながした。

 きっと息抜きに、なにか食べに行くに違いない。

 最近、ちょっと食が細くなった初音さんを心配していただけに、私はそのようにあたりをつけた。

 心配事が消えて晴れやかな気分にでもなったのだろう。

 初音さんが元気になったようなので、私もちょっとうれしくなり、出かける準備をしながら、

「わかりました。なにか甘いものでもたくさん食べま……」

 と、言いかけたのだが、なぜだか初音さんのニコニコ顔がどんどん深まっていくので、私はそのまま口をつぐんで、黙々と出かける準備をした。

(どうも違っているようだ……)

 不可解なものを残しつつ、車に乗り込み、初音さんの運転にドキドキしながらたどり着いた先は、どうも生地を取り扱う専門店のようだった。店内には、いたるところに様々な生地が並べられていた。

 私が興味深げに眺めていると、

「あら」

 と、声をかけられた。

 見ると、初音さんと同年代と思われる綺麗な女性店員だった。

 彼女は親しげな笑みを浮かべて、

「可愛い浮気相手じゃない。あたしにも貸してよ」

 と、とんでもないこと言いだし、初音さんもまた

「ええ、いいわよ」

 などと気軽にそれへのっかるので、私はあわてて息子だと訂正するはめになった。顔を真っ赤にしているのが可愛いと、

「ねえ、ホントに一回、あたしと遊んでみない?」

 耳元でささやかれたときはゾッとした。

(もしかすると本当に、私にはマダムキラーとしての素質があるのかもしれない……)

 その後の言動から察するに、どうも冗談だったようで私もホッとしたが、なんだかいいようのないものを私のなかへ残していった気がする。

 初音さんと知り合って、もう何年にもなるという人妻、ユキちゃんこと川村雪子と少しの間、会話を交わしたのち、私は初音さんと店内を見てまわった。

 店内は意外に広く、あまりの色の多さに私は目がくらみそうだった。

 初音さんと横に並び、ああでもない、こうでもないと生地を選んでいると、なにか気になる柄でも見つけたのか、ふいに彼女が背を向けた。軽く束ねられた髪の毛をのせた、肉づきのいい彼女の白い肌が目に入った。

 思いがけず飛び込んできた、その背中に、ふっとあの日の小野寺さんの姿が重なり、言いしれぬ切なさが私の胸にせまった。

 私は顔をそらした。

 あれ以来、私は彼女と話をしていない。

 あの女という接点をなくし、私は彼女と話す機会をなくしてしまっている。いまだに服さえ返していない。

 女装登校事件があって私はいくらかフッ切れたところがあるが、この点に関してのみ、いまだに以前のダメな私を引きずっている。

(……これが終わってからだ)

 そうだ。これが終わってからだ。

 これを立派にやってのけた自信をもって、それから私はきちんと小野寺さんと向かい合うのだ。

 私はあらたな決意をもって服づくりにのぞむことを誓った。

 そのとき、

「ねえ、キョウちゃん……」

 声をかけられ、私は彼女のほうへ顔をむけた。

 おもわず息をのんだ。

 いつの間にか横をむいていた初音さんの顔が、いつも見慣れているはずの彼女の顔がハッとするほど綺麗にみえたのだ。

「ハーちゃんの……あの子とのことなんだけど……」

 そして、遠くを見つめるような、どこか憂いをおびた初音さんの、その横顔を見た瞬間、突然に幼きころのある場面が脳裏へ浮かび上がった。

 あの女と、はじめて会った、あの日……。

 彼女たちが家に遊びにきて、食事をしたあと家のなかを案内していたときのことだ。先へ行く父と初音さんに遅れまいとして、どういうつもりだったのか私にはわからないが飽きもせずに、じっと仏壇を見つめていたあの女へ、私は声をかけたのだ。

 いまの初音さんは、仏壇を眺めていたあのときのあの女にそっくりだった。

(やっぱり親子なんだな……)

 私の顔が少しほころんだ。

 懐かしい記憶は、私を温かい気持ちにさせると同時に、シイタケ臭いと罵られたニガイものをも引っぱり出してきて、なんだか複雑な感情を私に与えていった。

 あんな態度をとられなければ、あの女との関係も今とは少し違っていたのかもしれないな……。

「あの子、なにかやったんでしょうけど、あんまり怒らないでやってね。あの子、不器用なのよ。ホント、そういうとこ、あの人にそっくりなんだから……本当に……」

 あの人、というのが誰のことをさしているか、私はすぐにピンときた。

 遺影しか見たことがないが、それをみるかぎりでは、真面目だがちょっと頼りないという印象だった。

 幼なじみだったらしい。

 実際、ちょっと頼りなかったようで、プロポーズのときなども、

「あの人ね、わたしがいることにぜんぜん気づかなくって、ぶつぶつ言いながらずっと練習してたのよ。わたしがなにげなく出ていったらパニックになっちゃって、指輪持ったまま、おろおろするばかりでなに言ってるかわかんないし、それでね、フフッ、しょうがないから、ふんだくってやったの」

 と、いたずらっぽく初音さんが笑うので、それを聞いていた当時の私もおもわず笑ってしまった。同時に彼女の意外な一面に驚きもした。

 初音さんは私のほうへ向き直り、

「ねえ、キョウちゃん……あの子のこと、許してやってね」

 照れくさそうに小首をかしげて、

「ねっ」

 と、言われては私としても、

「ええ、まあ……はい」

 うなずくしかなかった。

 たしかに、はたから見れば、私とあの女は険悪な状態といえるのかもしれないが、いまの私はそれほどあの女を嫌悪しているというわけでもない。といって、好意をもっているわけでもないのである。こんな状態にあるので、正直なところ許すもなにもないのだ。

(たんに以前の無関心な状態に戻っているというだけなのだから……)

 だから、私はこの問いかけに、正直にこたえられたかどうか、ちょっと疑問が残っている。たとえ、すでに許しているといっても、あの女にどういう態度をとっていいのか私にはわからなかった。そういう私の様子をまだ許していないと受け取られるのではないかと、そんな不安が少しあるにはあるのだが、だからといって、私はあの女への態度を変えられるようにも思えなかった。

 しばらくの間、私はあまり気が晴れなかったが、胸にためていたことを打ち明けてホッとしたためなのか、めずらしく少女のように、はしゃいでいる初音さんと一緒にいると、しだいに私の気鬱はどこかへいってしまった。

 私は母のワンピースと同じような花柄を考えていた。けれども、見ているうちに似たような柄で少しシックな感じのものを見つけ、初音さんも気に入ってくれたので、そちらに決めることにした。どうもボタニカル柄というらしい。

 初音さんは自分でも生地をいくつか買っていた。

 店を出る前に、またユキちゃんにあった。

「今度は一人でいらっしゃいよ。そのときはお姉さんといいことしましょうね?」

「も、もう来ません」

 蒼ざめた顔で言うのへ、

「やっぱり可愛いわね、この子。うふふ」

 とろんとした目をむけてくるので、私の脳裏に浮かぶのはやはりあのことである。

(こういう場合、どう対応すればいいのだろうか……)

 それが私にはわからない。

 こたえを見いだせないまま、にっこりして手を振るユキちゃんへ手を振りかえし、店を出て少し気のゆるんだところへ初音さんがニヤニヤ笑いながら、

「……で、キョウちゃんはいつ行くつもりなの?」

「い、行きませんよ」

「あら、どうして? きっと、うんと甘えさせてくれるわよ、彼女」

「初音さん……」

 この人はときどき平気な顔でこんなことを言ってくるから侮れない。

「子どもにそんなこと進めないでくださいよ」

「残念ねえ、キョウちゃんなら、ああいう年上女性にすごくもてると思うのに……」

「……」

 やはり、そうなのだろうか。

 私にはマダムキラーとしての素質がそなわっているのだろうか。それとも、初音さん特有の冗談なのだろうか。この人はかなり独特だからな。

 私が考えあぐねていると、

「それともやっぱり……」

 と、それきり黙り込んでしまった。

(なにを考えているのだろうか、この人は……)

 ちなみにいっておくと、ユキちゃんは旦那さんとけっこう仲がいいらしく、中学生の一人娘と三人、仲良く暮らしているということだそうだ。けれども、ときどきとんでもないくらいの大喧嘩をすることがあるらしいのだ。だから、たまたまそういう時期にさしあたっていたのだろう、きっとそうに違いない、と私は思い込むことにした。

 当然ながら、帰りも初音さんの運転する車にのった。

 やっぱりドキドキした。

 割り込んできた高級外車に思い切りクラクションを鳴らして、立ててはいけない指を立てて抗議をあらわにする初音さんはたぶんステキなのだと思う。

「ホント、やんなっちゃうわね」

 と、微笑さえ浮かべるくらいの平気な顔でさらりとやってのけるのだから間違いないはずだ。

 家に着き、私はいつものように若干ふらつきながら車から降りた。

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