“ もの ”であるということ
何を喋るでもなく、ただじっとそこに在り続ける。選り好みすることも、ましてや拒絶することさえ出来ない。そこに在って、与えられた使命を全うする。
ただ、それだけ――――。
最後に私が受け持った生徒は、随分と可愛らしい子でね。動きやすいよう短めに整えられた健康的な髪、優しさと活気に満ち溢れた瞳に、少しだけツンと鋭い鼻先。上履きも外履きも、少しばかり傷ついてはいるが、いつも新品のような輝きを放っていてね。出し入れの所作一つを取っても丁寧で、どこか美しささえ感じさせる、そんな子だった。
彼女は常に誰かに囲まれていて、口を開けば笑いが起こり、涙があればそっと寄り添ってあげられる、そんな心の持ち主だった。きっと人の痛みをよく知り、清らかで強いものを芯に置くのだろう。だからこそ誰からも愛され、だからこそ、彼女への“ 純情 ”を私が仲介することも少なくは無かった。
その日も一人、あれはモルタルの床が茜色に染まり始めた頃、気の弱そうな男の子が私のもとを訪れた。そわそわと握り締めた“ 一枚 ”。私はすぐにもそういうことだと気付いたが、どうやら恥ずかしいのだろう。こちらをチラリと見ては外し、辺りをうろうろするばかり。わざわざ人の居ない頃を見計らって来たのだろうに、誰も見ちゃあいないんだ、堂々と用件を済ませればいいものを。確かに私が見てはいるが、なにも遠慮することはない。
私はもの言わぬ、ただの下駄箱なのだから――――。
この学校が出来たのは随分と昔のこと。しかし木造の老いた校舎の中に在って、私は“ 新入り ”である。数年前に僅かな改装があり、その際新たに設置されたものの一つだった。しかし時代の流れか、田舎では徐々に子供の数が減っていると聞く。そして御多分に漏れず、この学校においてもそれは同じだった。
長く勤めを果たせぬことへの不満や虚しさなんてものは、もちろんあった。こんな古臭い田舎の校舎へ運ばれた時には、非常にがっかりしたものだ。そして何より、最初に受け持った生徒。あいつのことは今でも忘れない。良く言えば活気がある。しかしありのまま私の感情を込めれば、乱暴で粗雑な子だった。まず靴が汚いのだ。そしてそんな嬉しくないものを強引にねじこんでくるのである。また、或いは投げやるように。そしてしまいには、落書きやシールなんてものをペタペタと貼ってくれたものだ。まったく可愛げの無い、憎たらしいばかりの子供だった。
そうして華々しい初年度を耐え忍んだ訳だが、待ち受けていたのは過酷なものばかり。あいつ程ではないにしろ、どうやらこの地域は横着者が少なくないようだ。或いは星の巡りがよろしくないのかもしれないが、そうは考えたくない。私は身動きも出来ず、何からも逃れられない存在だ。しかし、だからこそ、運命などという安易なものを言い訳にしたくないのである。
だって、悔しいだろう?
しかし、耐え忍んだ甲斐があったというものだ。僅か数年の短い生涯ではあるが、これが最後の勤めではあるが、それでも尚、私は歓喜した。あの子と出会うことが出来たからだ。あの子との出会い、それはもう衝撃的なものだった。
いつの年も新学期となれば、生徒たちは皆己の下駄箱に名を書き込むのであるが、中には名すら与えられない仲間もいる。しかし、あの子の行動は仲間の誰もが羨むものだった。いや、無論我々に表現できることなど無い。つまりは私が勝手にそう捉えているだけなのだが――――あの子はなんと、私を掃除し始めたのだ。ほこりや泥を払い、落書きやなんかに埋められた身体を丁寧に磨き、そして消し去れない傷に優しい指先を添えてくれたのだ。
これから己が一年も使う設備なのだから、それを綺麗に保とうなんて人間は当然いるだろう。だが私は彼女のそんな行動に、どこか慈愛のような温かさというか、兎に角、柔らかな何かを感じたのだ。勘違いや己惚れと取って頂いてかまわない。私にはそう思えたのだから。それが“ 私に許された全て ”なのだから、それで良いのである。
そんな彼女との一年は本当に充実したものだった。前述の通り、彼女は常に誰かに寄り添い、寄り添われている。つまりは真の意味で活気があり、私を飽きさせないのである。まったく、初年度のあいつとは大違いだ。ああ、彼女の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。或いは泥汚れだって妙薬となるだろう。
そして届けられた想いの数。これも仲間たちのそれとは文字通りに“ 桁違い ”。学年一の男前から、或いは教員に至るまで、皆の密かな想いを幾度となく仲介したものだ。先に述べた恥ずかしがり屋の男の子なんて、良い笑いの種でね。なんと彼、己の名を記さずに投函してしまったのだ。やれやれ、それでは何のために振り絞った勇気だったのやら。
だが当然、愉しいことばかりではない。彼女だって一人の人間なのだから、時に落ち込み、涙することだってある。しかし浮かない顔が見せるいつもの所作に対して、私ができることなど些細なもの。ただ同調し、苦しいものを抱くだけ。慰めの言葉など届くはずもない。
私にはその悲しみの全てを知る術など与えられていない。己をこれほど大切に扱ってくれた人に対して、その全てを理解し、寄り添うことすら許されていないのだ。
生まれを憎んだ。何故、私なのかと。
果たして、私のこの心が何だったのか……それは解らない。ただ、ずっと彼女に寄り添っていたかった――――。
充実した時というのは早いもの。気づけばもう、その時が迫っていた。そわそわと忙しない生徒を見つめる日々。いつも通りな彼女の所作を見つめるだけの日々。僅か数年、されど数年。私の短く、そして誰に悟られることもない“ 人生 ”の終わり。
寂しくはあった。悲しくもあった。しかし、やはり彼女のお陰で私は充実していたと、声を大にしてそう叫びたい。
そうして訪れた、最後の日。
私にとっては全ての終わりではあるが、しかし最後の卒業生である彼女にとって、それは新たな門出なのだ。こんな時に悲しいものを見せてはいけない。だから精一杯の笑顔で送り出そうと、そう心に決めていた。
なのに、私は泣いてしまった。強く誓っていたはずなのに、なのに――――。
『一年間、ありがとう。御世話になりました』
最後の純情、最後の一枚。それは彼女が“ 私に ”宛てたものだった。
私はもの言わぬ、ただの下駄箱。
人を人たらしめるのは心だと思う
しかし心
或いはそれは、人だけに許されたものではない
かもしれない