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07話。ウルトの町。超奴隷と身支度(中編)



 奴隷商品を扱う雑貨店で身形を整えて貰った後は――――婦人から主自ら隅々まで洗って検品するのも作法だと提案されたが当然断わり、賃金を出して頼んだ――俺の長剣と短剣を砥ぎに出し、その間にルーナの旅用品を揃えるのに普通の店も回ったのだが、一々奴隷としてどうたらこうたらと卑屈に謙遜するようなやり取りが挟まれるので非常に手間取った。


 外套と毛布、後は手拭きや水筒、身嗜みを清潔に整える日用品なんかを買っただけなのだが、非常に疲れた。

 買った物は大切そうに兎のぬいぐるみが入っている頭陀袋へと詰めて、毛布は巻いたまま頭陀袋の下に固定することにしたようだ。

 淡々と荷物整理をするルーナの様子を一通り眺め、俺はベッドに腰掛けて溜め息をつく。


「……はぁ」


 巡礼者向けに用意されている宿は聖教会からの支援で営まれていて、巡礼士は無料で利用できるが、中継点の町や村にあるのは木賃宿と大差なく人気はあまりない。

 一階は囲炉裏を囲む絨毯の敷かれた広間があり、そこで雑魚寝が基本だ。

 料金を出して二階の部屋を取るにしても、一人用の質素な部屋しかない。


「……疲れた」


 声に出してぼやく。

 聖教会の関係者や巡礼者以外では滅多に利用しない宿なので、周囲への配慮の為と、なるべく気疲れを休めようと部屋を取ったのだが、ベッドが一つと、床はベッドよりやや広い程の幅しかなくて手狭だ。

 当初は筆耕室として使用する想定だったのか、机と椅子が壁際に丁度良くはまり込んでいる。


「それではご主人様、お湯を貰って参ります」

「あ、うん、ありがとう」

「……奴隷如きに礼など不要です」

「はいはい」


 適当にあしらって後姿を、揺れるスカートと軽くなった黒髪を見送る。


(……変わらないな)


 見た目は随分変わったのだが。

 古風で清楚な服に、短く切り整えられた黒髪。

 美しく輝く、湖のような青い色の瞳。

 誰がどう見ても一見では奴隷には見えないだろう。


 雑貨店の婦人は随分気前が良く、奴隷の身体を洗ってくれた上、散髪までしてくれると申し出てくれた。

 その際に旅をするには短い方が良いだろうと提案すれば、案の定俺の希望通りにすると言うので短めにして貰ったわけだが……似合うことは似合っているのだが、うなじが見えるまで髪を切ったことで、細い首に嵌った奴隷の首輪が目立つようになってしまい、少し短く切り過ぎたかと後悔したが、後の祭りか。


 下着は結局、奴隷服よりは丈が長いのだから一応マシにはなったと言うことで納得するしかなかった。

 どうせ今の時期なら外套を着るので隠せる。夏はさぞ涼しいことだろうが知ったことじゃない。

 いや、しかしなんとかしたいが、保留中。


 靴も、古風で清楚な服に似合う小さくて愛らしい革靴と長靴下があったのだが、旅向きではないので革の編み靴を新調することで落ち着いた。

 首輪も靴も、清楚な服からは浮いている気もするが……まぁ、あんなものだろう。


 人の多い場所では清楚な格好をして貰うことにしようと考えているが、着替えるときに極力人目を避けて肌を見せないように言いつける必要もある。

 そんな女の子なら自然と身に着けるべき常識を、男の俺がどう教えればいいんだ?


 そんな考えるだけでも疲労が溜まる案件で思考を巡らせていると、ルーナは大きな桶を両手いっぱいに抱えて戻って来た。

 着ている服が上等なので雑用をこなす女中にも見えない。

 良く出来たお嬢様が背伸びをして誰かの役に立ちたがる、そんな風に解釈されれば上出来か。


「重かったろ、ありがとう」

「……」


 礼を言われて不満そうだ。


「なんて言えばいいんだよ?」

「ご苦労、でしょうか?」

「ん、じゃあ……ごくろう」


 なるべく優しく言ってやった。


「……はい」


 優しい口調にやや疑問を感じたようだったが、ルーナは頷いてくれた。

 そんなやり取りはいいとして。


「それじゃ、まぁ、頼むよ」


 旅の途中、共に旅をしている者同士で仲良く足を洗い合う光景を横目に、少しだけ憧れを抱いたのは確かだ。

 なので、足を洗ってくれると聞いて、少し楽しみに思っていたことを否定しない。


「作法は見聞きして教わっていますが、実際に行うのははじめてなので……不手際が有りましたら、どうぞ容赦無く蹴り飛ばしてくださいね」


 そんな瞳を輝かせながら顔を上げて、ね。と言われても。

 元々は身分の低い使用人や奴隷の仕事なので張り切っているのかも知れない。

 一応聖教会に所属している巡礼騎士としては、徳の高い聖人が身分を無視して従者の足を洗ってあげた逸話から来ている、慰労と信愛の意味を込めて足を洗い合う風習の方を意識したいのだが。


「いや、まぁ普通に、お願いね」


 ね。


「はい。それでは失礼します」


 言いながら、ルーナは俺の足元に膝をつく。

 小さな身体が大きな桶の前にあると余計に小さく見えてしまうな。

 畳まれた手ぬぐいがお湯に浸され、静かな部屋に水音が響く。


「失礼します」

「うん、はい」


 神妙な声に、若干緊張してしまう。

 やうやうしく、丁寧に小さな指が這わされた。

 仰々しくてくすぐったさを感じるが、大切に扱われて悪い気はしないのは確かではある。


 剣を握っていた手とは思えない程、すべすべで柔らかい手だ。

 おそらく纏鎧魔法で保護して来たのだろう。


 古風で清楚なお嬢様の格好で跪かれていて、正直に言えばいい気分であり、己の矮小さに若干の後ろめたさを覚えてしまう。


(……あとでやり返してやろう)


 ルーナの方は洗い場で身体を洗ってもらい、さっぱりとしているがべつにいいだろう。

 互いに想い遣ることの大切さ、大事にされれば大事にしてあげたくなる人の情。世話になりっぱなしは気まずい。

 そう言う物を教えてやる機会かも知れない。


(ん……?)


 俺だって足を人に洗って貰う経験なんてはじめてのことなので、なんだか顔を足に寄せ過ぎてないかと恥ずかしく思っていると。

 そのまま。


「……んっ」


 足の指先に、ルーナの唇が触れた。

 短い黒髪がさらりとこぼれる。小さな音がする。

 角度的に見えていないが、感触ではっきりと分かる。

 唇で指先を吸われた。


 離れ、次に足の甲に柔らかな感触、小さな刺激。

 唇で啄まれている。一、二度……三度。足の甲を啄む音がする。

 思考が止まっていることに気づいた。


 いったいなにをしているんだ。

 思ったときには、ルーナは俺の脹脛を優しく胸の内に抱きかかえ、頭を上げ、脛へと――唇が合わせられる。

 そして、その小さな唇ではむっとはまれる。脛をはまれている。はむはむと。


 生温かくてぬっとした感触で骨ばった箇所を撫でられる。

 あまりに小さ過ぎて、それが一瞬なにか分からなかったが、舌しかないだろう。

 丁寧に舐められている。


「――フぅ、えあ?」


 変な声が出る。


「まままま、ま、待て、はな、っうわ、ま」


 伝う唾液を追うように、唇を足先へと滑らせて行こうとしているルーナを慌てて止めようとするが、声が上手く出ない。

 足を乱暴に引き抜こうにも、丁寧に抱えられて、舌を這わされている。


「待ってくれ! 待てって!」


 頭をわしっと掴んで止め、引き剥がす。

 小さく覗けて見えた可愛くて色艶鮮やかな舌先と、俺の脛に伝っていた透明な滴の架け橋が――途切れ、顎に垂れた。


「なななま、ななな、なな、なに? なにヲしてるの?」


 声も裏返る。


「……服従と隷属の証として、こうするものだと教わりました」


 やや頬を上気させ、ぼう、と心酔したような無表情で見上げられた。

 自分の心臓が煩いくらいに動揺している。顔も熱い。

 ほんのり染まっているルーナの頬以上に真っ赤になっていることだろう。


「いや、いやいや、そんなことしなくていいから!」

「不快でしたでしょうか?」


 ハッとして、足を開放してくれた。

 不快かと問われれば、小さな唇についばまれ、唾液で滑る舌先で舐められた感触は背筋が泡立つ程ぬめらかで艶めかしく、はじめて味わう繊細な感触に心拍数は跳ね上がり――


「――いや、違う、ええと……いや、だめだって、汚いだろ!」


 動揺を隠そうと語気も荒くなる。


「……申し訳ございません……どうぞ、お仕置きをください……」


 言葉選びを間違えた。

 相変わらず表情こそ微かにしか変わらないが、俺を見上げる美しい瞳が明確に傷ついたと物語っている。


「いや、いやいやいやいやいや、違うぞ? 俺の足がって意味だぞ?」

「ご主人様のお身体で不浄に思う所なんてありませんよ?」

「衛生面の話だ!」

「……むずかしいです」


 肩で息をしながら言うが、伝わってくれない。

 頭の中では不衛生を起因とした病について、聖教会のお説教が乱舞しているのだが――


 もう一度、足にそっと手を添えられた。

 反射的に辞めろと言いたくなるが、ルーナの瞳は傷ついたまま、己の仕事を熟せないことに情けなさと悲しみを表していて、言葉に詰まる。


「……続けてもよろしいでしょうか?」


 務めて無表情のままだが、乞うように言われた。

 瞳は続けさせて欲しいと語っている。


「……普通に、普通に洗うだけだぞ?」


 心が温まる所ではなく、全身、顔まで熱い。

 唸るように念を押せば、ルーナは意気込んで頷いて頭を下げた。


「はい、ありがとうございます」


 再度、水音だけが静かに響く。

 静かで狭い部屋だ、自分の心音が響いていないか心配になる。

 まだ心臓が収まらない、それどころか丁寧に小さな指を這わされて鼓動は逸る一方だ。


(こ、れは……っ)


 普通に洗って貰っているだけなのだが、それでも、余りにも丁寧過ぎる。

 きっとこれは教義的によろしくない。

 辞めさせなければ、そう思うが、真剣に、一生懸命、丁寧に、大切そうに足を洗ってくれている様子に、遮るのも憚られる雰囲気で。

 ただただ上擦る声が上がらないよう、抑えるので精一杯だった。


 水音だけが、静かに響く。

 両足のふくらはぎまで洗い終え、ようやく終ったと安堵の息を吐こうとした瞬間。


「――まっ、まって、っく!」


 足を抱えられ、乾いた毛織物で優しく丁寧に足の裏から指にかけて、拭き上げられて行く。


「なにか不手際がありましたでしょうか?」

「い、いや、もう少し、ええと……ゆっくりで」

「はい」

「っ――!」


 ルーナの手つきは更に丁寧に、繊細になって行く。

 くすぐったさに身が捩れるのを、声を抑えて耐える。


「はぁ……はぁ……」


 ふくらはぎ辺りの段階になって来ると流石に落ち着いて来たが、おそらく顔は赤いままだろう。

 顔が焼けるように熱い。

 やっと安堵の息を――ふぅー、とルーナの吐息がくるぶしの辺りに吹きかけられる。


「っくっ、それは、やめっ! それはいい、もうい、いいから!」


 最後に湿り気を乾かそうとしているのか、熱くなっている足に涼しい吐息を吹きかけられ全身に鳥肌が立って身が捩れそうになった。


「そうですか? ……では」


 ルーナの表情には一切出ていないが、名残惜しそうに指が離れたのは気のせいではないと思う。

 ルーナはゆっくりと指を離し、真っ直ぐな瞳で足元から俺を見上げている。


「他はよろしいでしょうか?」

「あ、ああ……うん、十分、さっぱりした。ありがとう」


 大きく息を吐く。

 額から背中にかけて浮いた脂汗せいで不快感は増した気もするが。


「奴隷に礼は必要ありません」

「さて……」


 草履を履いて立ち上がる。

 場所を入れ替わるように促せば、ルーナは素直に従い、ベッドに腰を下ろした。


「んん……さて、交代だ」

「え?」


 かなり限界まで追い詰められていた羞恥心的ななにかを誤魔化す為、咳払いを挟んでから、鷹揚に言い放って少女の前に跪く。

 意図を察したらしい、ルーナは目を見開いた。

 恐怖を浮かべているようにすら見える。その瞳に、俺の笑顔が映っている。


 単純に、本気で嫌がるルーナがおかしかったのだが、悪そうな笑顔だった。

 この瞳を曇らせたがっていたと言う、嗜虐的な連中を悪趣味だと責められないかも知れないが、一緒にするなと、一応神様へは強く主張して腕を捲る。


「っ、それは、そんなっ……おやめください!」

「そんなに嫌がるなら、これをお仕置きってことにするか?」


 有無を言わさない。がっしりと小さな足を掴んで靴を脱がせた。


「ご、ご主人様、そんな、ご主人様が奴隷の足を――そんな、や、や、め――!」


 ルーナは悲痛な声を上げるが、有無を言わなせない。

 主からの仕置きと言うことで、容赦する気は微塵もなかった。



==========



 夕暮れ時。

 露天が立ち並ぶ広場の片隅で夕食を取っている最中。


「まだ不貞腐れてるのか。あれは主からの仕置きってことで納得してくれ」

「命令されてしまえば……受け入れるしかありません。不満などありません。ですが、あれはお仕置きとは言いません」


 篝火で照らされた瞳が鋭くなり、正論を言われてしまった。


「なんでだよ、おまえの嫌がることをしたんだぞ。立派なお仕置きじゃないか?」

「責苦と言う意味では、今まで受けたことのない責めでしたが……あんな場所を、あんな風に触れられるなんて……とても驚きました」


 そう言えば今まで他人に触れられたことがなかったんだな。

 思わず疲れた目になってしまう。

 いや、俺だってはじめてだったよ、するのも、されるのも、と思わず喉まで出かけたが、不穏な響きの会話になりそうな気がして辞めた。


「ご主人様の大きな手はとても熱くて、指を這わされるたびに触れた場所が鞭で打たれるよりも熱を覚えたのですが、熱さはなく生暖かさだけがあって……今まで感じたことの無い不思議な感覚で胸が苦しくなり息が出来なくなってしまいました。せめてもっと痛くして頂ければ耐えることも――」


 掌を向ければ、ぴたりと口を閉じてくれる。

 少し離れた場所では、仕事終わりの町人達が酒と食事を楽しんでいるのだ。

 不穏な意味に取られそうなことを言うな。


 足しか触ってない。足首までしか触ってない。

 足を洗っていると困惑しながら体を震わせ、余りにも切なそうな吐息をついて、むずがゆそうな表情をするので手短に切り上げざる得なかった。

 ついでに、悩まし気に捩られるほっそりとした太腿を見て、そう言えばこいつ下着をつけていないんだなと思い至り、そんな少女の前で膝をついていることに気づいてしまって、慌てて立ち上がるしかなかった。


「じゃあなんで怒ってるんだ?」

「っ、怒ってなんていませんっ」


 眉間に皺を軽く寄せているのは、困っているからなのだろうが、瞳が猛禽類を思わせる美しい形のため、怒っているように見えなくもない。

 その瞳が更に眇められる。


「ですがご主人様、これは……どうかご容赦を、お願います……」

「奴隷が主に意見するのか?」

「っ、滅相もございません……ですがっ」


 ルーナは瞳に涙を浮かべて懇願する。


「ですが、なんだ?」


 言ってみろ。

 そんな態度で、温かい料理を前で身体を竦ませているルーナを見遣る。


「いくらなんでも、ご主人様と同じ料理を、同じテーブルで頂くなんて……無理です」

「既にこうして並んでるんだから、もう諦めてくれ。食べ物を粗末にするなんて許さないからな?」


 奴隷だなんだ抜きで、そこは絶対に譲らないぞと語気を硬くすれば、ルーナは俯いてしまう。


「旅の途中と変わらないだろ?」


 別に貴族の晩餐会に呼ばれたわけでもあるまいに。ただ出されている料理が少しまともなだけだ……とは、まぁ、やや言い難い。

 巡礼士、巡礼騎士は普通の巡礼者や巡礼刑の罪人と違い、食事の制限は特に無い。

 禁呪持ちと言う体質上、飲酒は固く禁じられてはいるが、あとは普通の町人と同じく、暴飲暴食を戒め、節制について煩く言われるのと、聖教会に所属する者として肉類はあまり人前で食べないようにと頼まれるくらいだ。


 なので、テーブルの上には小魚の揚げ物が盛られた小鉢と、緑菜の酢漬け、鶏肉の串焼き、根野菜を煮こんだスープ、ふかした芋、麦パンとチーズ。それが二人分、同じ量で並んでいる。

 飲み物は温めた山羊の乳だが、非常に豪勢な夕食となっている。


 確かに少し調子に乗って買い込み過ぎた。

 色んな物を食べさせて、どれが美味かったかを聞くのが楽しみだなと思うと、つい。


「っ……では……この、せめて、こちらをご主人様が食べてください。他はありがたくいただきます」

「……」


 ルーナは小魚が盛られた小鉢をこちらへと差し出す。

 自己犠牲や献身も、度を超すと相手を困らせると言うことが分からないもんなのだろうか。

 呆れた表情を向けるが、ルーナは取り下げるつもりはなさそうだ。


「女の子から食べ物を分けて貰うって……なんか物凄く侘しいんだが」

「っ、ですが……奴隷がご主人様と同じ物を頂く訳には……」


 譲れない所らしい。

 差し出すのが小魚なのは、魚が好物だと言っていたのを覚えていてくれたのか。


「……まあ、それで納得するなら、貰うよ」


 溜め息交じりに笑うしかない。実際、小柄な少女には多過ぎる分量かも知れない。

 流石にこの量はこちらが困らせているか。


「あ……」


 反省しつつ、差し出された小鉢から半分、小魚を自分の皿へ移してから戻す。

 あとはもう素知らぬ顔で短い祈りを捧げ、さっさと食べ始めれば、ルーナも神妙な表情でふかした芋を手にして口をつけてくれた。


「美味い?」


 俺も芋を手にして齧る。

 程よい茹で加減に塩気が効いている。


「……美味しいです」

「よかった」


 神妙な表情のまま答えてくれるのに、安堵の溜め息をついて笑う。

 ルーナは手にした芋を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「闘技に勝つとこれが食べられました。今日はやっぱり、特別なんですね」

「そうとも言えるかな」


 命懸けの闘いに勝利した祝いがふかした芋か……と剣奴の境遇に戦慄しつつ、そんな奴隷としての生活を辞める機会を与えることができたのは、やはりよかったと思う。

 成り行きとは言え善行に数えていいはずだ。

 関わってしまった無辜な少女の助力になれることを斜に構える程若くも尖ってもいない。

 程よい自尊心と共に頷く。


「そんな生活も、もう終わりだ」


 これからは自由に、好きな物を好きなだけ――とは言わないが、適度に食べればいい。


「はい」


 ルーナは顔を上げて、微かにだが、柔らかく目元を緩めてくれた。

 透き通った瞳に感情は映らず、緩やかに全てを受け入れているような、憑き物が落ちたかのような瞳の緩みだったとしても、笑顔に数えて良いはずだ。

 ようやく話が噛み合った気がして、ほっとする。


 なんだかんだで酷い格好だった奴隷が小綺麗な装いになり、丁寧に足を洗ってもらい、また無理矢理にだがこちらからもお返しに洗ってやり距離が近まったように思える。

 同じテーブルで、同じ食事をすることでそれを示した。

 今はまだ淡々と感情を表さず、機械的な丁寧さで食事をしているが、こんな調子でも旅を続けて行けば、別れる頃にはもう少し打ち解けられることだろう。

 非常に疲れるが。


 なんて楽観的に思っていたところに、声をかけられた。


「おい」

「ん?」


 背の高い男だった。

 硬く、唾棄するような表情でテーブルについている俺を見下している。


「やっぱり……なんて服を着せてるんだ、正気なのか? それとも、そう言う輩なのか? いや、それにしても……こんな服を着せて連れ回すだなんて、神をも畏れぬ所業だぞ」

「はい?」


 神経質そうな詰問口調で思い出した、市壁を潜るとき質問攻めにしてくれた門番だ。

 鎧も脱いでいて、職務中でもないだろうに。なにか咎められるようなことを……服?

 当然ルーナの格好だろう。改めて見るが、古風で清楚な装いだ。

 大衆食堂に奴隷は出入り厳禁だが、露店の並ぶ広場なら周りの客へ不快感を与えなければ問題ないはずだが?


「知らないのか」

「えっと、なにか問題ある服なのでしょうか?」

「それは屍衣だぞ」

「は?」


 無意識に漏れた俺の声に、門番は無言で眉間に皺を寄せる。

 言葉の意味を反芻して、頭の中で理解し、ルーナを見て、門番を見上げ、今度は意識してちゃんと声を出す。


「は?」


 見当外れだとは思うが、真っ先に思ったのが、こんな高級で飾りがついた服が? 

 蘇生魔法が信じられていた時代からの風習で、遺体に布を巻いて保存し、豪華な衣装を着せて埋葬される貴族の風習なら知っている。平民にも平民用に、質素だが厳格な死装束がある。奴隷用の屍衣なんて聞いたこともない。これが?

 門番兵は眉を寄せたまま重苦しく語る。


「その服は、死んだ奴隷を着飾って……まあ、元は死んだ奴隷への慈悲として……いや、今も名目上はそう言うことで許可されているわけだが、実際は酷く背徳的な用途でしか使われていない」


 言葉を濁しながら言っているが、つまり、ろくでもない話だろう。

 平民でも死後は身を清め、末期の香を焚き示し、質素な死装束に着替えさせて丁重に葬って貰える。

 古の時代、まだ蘇生魔法の研究をしていた頃は、生き返る時の為にと本気で色々と準備していたそうだが、今では意味合いも変化し、その人の人生を尊重し、安らかに眠らせてあげる為の儀式となっている。人の世で暮らしている人々は皆、自分の番にもそうして貰うため、死者を丁重に葬ってくれる。


 だから奴隷にも特例として、奴隷装束のまま葬るのは余りに不憫だと、慈悲深い許可が下りている。

 そう言うことか。


(そして……)


 そして尊重されるべき尊厳を持たず、身寄りも持てない奴隷のまま死ねば、どう葬ろうと所有者の胸先三寸であり、美しい愛玩奴は死して尚その尊厳を――棺の中、送花に埋まったルーナが目を閉じて手を胸の上で組んでいる光景を想像してしまい、眩暈がする。

 鼻の奥に突き刺さるような不快感が沸き上がり、涙腺まで刺激されて表情は苦痛に歪み吐き気を催す。

なにがって、寸法の合わせは、ほんの少しで済んだ。

 つまり、と言うことは、どう考えても。


(殺してるじゃないか……)


 若い娘の奴隷を買いつけ、殺し、その死を冒涜するのに華を添えるための装束。

 つまり見る人が見れば、これからこの少女を殺してその死までをも蹂躙するぞとひけらかしている、おぞましさを覚えるほど下劣でろくでもない、醜悪な趣向だと解釈されるのか。


「なんとか建前立てて解釈するなら、道ならぬ想いに身を焦がした貴族なんかが欲しがるんだろうが……それでもいい顔はできんよ」


 俺の困惑をどう受け取ったのか、門番の言葉は溜め息交じりに続く。


「嘘だと思うなら奴隷商の組合か聖教会にでも行って確認して来い」

「い、いいえ、教えてくださって、ありがとうございます」


 嘘は言っていないだろう。

 俺はこの服が、処刑の後片づけをする奴隷が纏うローブの隣にあったのを思い出していた。


「まったく飯が不味くなる。大方あの雑貨屋に騙されたんだろうが……お前さんにそんなつもりが無くても、家畜以下の奴隷を連れていることを忘れるんじゃないぞ」


 唖然としている俺に、苦言を告げて門番は去って行く。

 その背中に慌てて何度も頭を下げてから、顔を上げた。


 会話が終わった空気を察して、食事を再開させていたルーナを睨みつける。

 ルーナは俺の視線に気づき、手を止め首を傾げる。


「その服が、屍衣だって知ってたのか?」


 そう厳しく躾けられているのだろう、澄ました表情のまま口の中物を嚥下してから、顔色一つ変えずに頷いた。


「はい」


 なにがまともな状況で笑顔が見れただ。

 どこが笑顔だ。最悪だ。死を覚悟して、達観していただけだ。

 なに一つ話は噛み合っていなかった。


「食べ終えたら、服返しに行くからな」

「え……」


 胸の内側にこみ上げて来る不快感を噛み潰すよう、鶏肉の串焼きに犬歯を突き立てる。

 味なんてさっぱりわからなかった。




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