06話。ウルトの町。超奴隷と身支度(前編)
それからも命令だと言えば――難しそうな表情をしながらだが――従ってくれるようになったので、旅は順調だった。荷物を持たせなければ、やはり体力は普通の子供よりはあるようだ。
それでも歩幅が違うのに、不満一つ漏らさず俺の脚について来てくれたのは素直に健気だと思う。
順調に進み、次の日の昼前にはウルトの町に到着。
規模こそ東方主都エウロタの半分程の町だが、立派な市壁があり、ウルトの貴族達が民から直接税を取っているので都を名乗ってもおかしくないのだが、その辺りは政治の問題で貴族様同士が楽しく話し合っていることだろう。
「巡礼騎士が……奴隷?」
「……ええ、まぁ」
検問も特に問題なく、と言いたかったが、幼い奴隷を連れていることに、背の高い門番から冷たい一瞥を頂いて理由を説明するのに手間取られた。
東南都アペリスにある孤児院まで送る途中だと主張しても最後まで嫌疑の眼差しは晴れず、巡礼士なら免除されるはずの通行税を要求され、きっちり二人分取られた。
杓子を越えた私財を持ち込むと巡礼士でも普通に税がかかるのは言われて思い出した。
「それで、だ」
それはもう市壁の門を潜れたのでいいとして。
今は人が行き交う大通りから離れ、少し奥まった通りをルーナと共に歩いている。
「まずは身形からだ。服を買いに行くぞ」
そう、真っ先に下着だ。
「ご主人様。奴隷が着て良い服は限られているのですが、ご存知でしょうか?」
この国には身分制度が国法によって定められており、所属する組合が発行してくれる身分証とは別に、身分で着て良い衣服も決められているので、身形である程度身分が分かるようになっている。
俺は旅用の法服に黒革の胸甲を合わせ、首からは聖職者の証である聖印、黒の革手袋に聖教会の紋章の入った長剣を腰に下げているので、見る人が見れば巡礼騎士だとすぐに分かる。
合理的で気が利いている。
上流階級には王族を頂点とした厳格な序列があり、聖職者は教えを説き戒律と共に民を導き、貴族が土地や商会を総括し町の発展と利益を求め、騎士が物理的な治安を維持し、魔導士は魔導兵器も含め、いざと言うときの切り札となっている。
中流階級の中にも緩やかだが序列があり、大雑把に、上流階級に仕える職人を別格に、建築関連の職人、他日用品関連の職人、市井の魔導士、料理人、農民、漁師、牧畜家――その他諸々となっていて、着る服もそれぞれの職業を表す服を着ている。
そんな中流社会に居場所のない者が流れ着く裏社会。
そこから更に下の、身分制度に明記されてすらいない――もしくは人ではないのでから、する必要がない――最下層と見做されているのが、家畜以下の奴隷。
どの組合にも所属出来ず、なんの後ろ盾のない物乞いよりは、主次第で少しはマシか、もっと酷いかと言った奴隷が着ることの許されている服は、かなり限られている。
「知ってるよ。それでも、それよりはまともな服もあるだろ。それともその服、気に入ってるのか?」
「とても奴隷らしいです」
だからなんで得意気なんだよ。
「奴隷が余りにもみすぼらしい格好をしていれば主の品位が疑われる。私物だからと言ってぞんざいに扱うのは俺の主義じゃない。だから新しい服を買いに行く、いいな?」
道具を丁寧に扱うなんて、旅暮らしの者にとっては常識だ。
と言うもっともらしい建前を並べれてやれば、ルーナはやはり難しそうな表情をしながらも頷く。
「……はい」
「うん。と言うことで服を売ってる店に行こう」
「……はい、わかりました」
どの街でも奴隷用の品物を扱っている店は家畜や農耕品を扱っている店の傍に建っている。
きっと悪趣味な風習の一環なのだろう。
しばらく歩き、街外れにある、微かに畜産の臭いが届いている店の前に立つ。
奴隷用品を扱う店なんてはじめて立ち寄るが、店構えは普通の外観でしかない。看板も雑貨店を示す印がついているだけだ。
「なんか、普通だな」
「?」
呟きながら、扉を開けても、中は取り留めのない衣服や小物、日用品を扱っている普通の店だった。
ただ、この店はなにを売りたいのか要と知れないやる気の無さに、確かに異様さを見出していると、自然と視界に入った店員の女性と目が合う。
「いらっしゃい。見ない顔ね。なにかお探しかしら?」
これまた普通としか言いようのないご婦人が台帳場に座っていて、本を読んでいた顔を上げ、普通に迎えてくれた。
「ここは奴隷用品も扱う日用雑貨店、で、いいんですよね?」
「そうですよ。あらあら、可愛いらしい仔猫ね。愛玩用? いい鞭あるわよ」
「……」
「……」
「……」
「えー、ええと……」
まるで今日はいい野菜が入っていると言わんばかりの口調で鞭を勧められ、なにを言おうとしていたのか、完全に吹っ飛んでしまい、言葉を続けようとすればする程頭が空回転して思考はまとまらない。
「調教中……あ、違うみたいね、基礎はしっかり叩き込まれてるけど、仕上げは全部主に残してある感じなのかしら?」
平凡な声色から発せられる、なにを言ってるんだと思わせられる内容のお蔭で、なんとかここに来た目的を思い出せた。
そうだ、パンツ買いに来たんだ。真っ先にそれだ。
そして、その後に封魔の赤石とやらの情報を仕入れよう。
しかし、どう切り出せば。
婦人はこちらを見向きもせず、ルーナの目を真っ直ぐに見据えながら言葉を続ける。
「若いのに綺麗な目してるし、怯えてもいない。よっぽど丁寧に飼育されて来たのね、ご主人様からも大事にされてる見たいだし」
「……」
若いのに綺麗な目をしている、とは? 逆では? たぶん俺の常識とはかけ離れた世界の話なのだろう。
ルーナは俺の後ろに控えているが、真っ直ぐ婦人と視線を交わしている。
ルーナの強くて美しい眼差しは相変わらず迫力があるのだが、それを受けている婦人が高圧的になるでもなく萎縮するでもなく、ごく普通の眼差しでいることに、逆に底知れないなにかを感じてしまう。
「ただちょっと鞭が足りないのかしら、生意気そうね。一度くらいお尻叩いてあげた?」
「い、いえ、その、ええと……引き取ってから数日しか経ってないですし……東方主都の闘技場で一悶着ありまして、成り行きでこんな形になっただけで、最終的には孤児院に預ける予定ですので……」
奴隷の良し悪しを俺の手柄のように語られるのは、複雑な――いや、正直最悪の気分でしかない。
「東方主都の闘技場で奴隷少女って……もしかして鋼烏のヘルニナーミ? え、本物?」
そんな二つ名があったのか。
確認の意味を込めて視線を送ると頷いたので、俺も頷く。
「へぇ、本当にこんな小さい女の子だったんだー、元剣奴なら生意気そうなのも納得かしらね」
この界隈ではそれなりに有名な話だったらしい。
婦人はやや声の調子が明るくなったりしているが、ルーナは黙り込んだまま動かない。
「せっかくの女剣奴、しかもこんなに可愛い奴隷なのに遊ばないで手放しちゃうなんて勿体無い。この目を曇らせてやりたいって人、一杯いたのに。お客さん何者なの? 旅の司祭様かなにか?」
当たり前のように奴隷奴隷と連呼していることに、なんだか気が滅入るわけだが、ルーナの瞳はむしろ慣れ親しんだ空気に落ち着いているようで、居心地が良さそうまである。
(俺がおかしいのか?)
なんて微塵にも思ってしまったことで酷い敗北感を覚えてしまい、一人疎外感と共に暗鬱とした心地で俯いてしまいそうになる。
無駄な質問には取り合わず、さっさと要件を済ませよう。
「そう言うことで、奴隷用の服でもなるべく普通に見えるようなやつが欲しいんですよ」
「そうねぇ」
言いながら婦人は立ち上がる。
「こっちこっち」
丁度入口からは見えない角度にあった、布の仕切りを捲って奥へと歩いて行く。
若干嫌な予感を覚えつつも後に続き、予感が外れたことを思い知る。
若干どころでは無かった。
「胴元が同じだから、東方主都と品揃えは変わらないわよ」
そうですか。
声に出せていたかどうか曖昧になる程圧倒されてしまった。
部屋自体は狭くはないのだろうが、これでもかと見慣れない器具や用具が所狭しと詰められている。
それが異様なまでにきちんと整頓して陳列されている所為で余計に息苦しい。
もしくは、ここの空気を吸うことを無意識で拒絶しているのか。
先ず目につくのは、壁にかかった闘技場の剣奴が着るための革鎧や拘束用の革帯。
闘技場のある東方主都に近いからだろう。
なるほど、こうして見ると確かに家畜の拘束帯に似ている。だから家畜用品が扱う店と近い場所に建っているのか。
それなりに長い旅路を生きて来たが、今更そんなことを理解した。べつに理解したくもなかったが。
そして棚に並んでいる色とりどりで多種多様な、数々の拘束具や拷問道具。
家畜の調教に用要られる物と似ているが、大きな違いがあるとすれば、性的な責めを与えるような器具が無造作に並んでいる所だろうか。
最初、なんなのかわからない程、通常の規格よりも大きくて太い釘が非常に印象的だった。
革の臭いを誤魔化すためなのか、異様に甘ったるい香を焚いているのだが、これは戒律的に大丈夫な香なのか気になる。
当たり前のように家畜を大人しくさせたり発奮させると言われる香薬が並び、その他にも聞いたことのないような名前の付箋がついた薬瓶が置かれているので不安しかない。
あまりに自然と扱われているので、なんでそんな物が並んでるんだと言う疑問は遅れて思い浮かんだが、答えはすぐに出る。当然使うんだろう。と言うか睡眠薬を使っていた。
人として、魂の清潔さとか霊格の正常さとかなんかその辺りのあれこれが極端に削られて行きそうな、そんな空間だった。
自分自身、そう信心深いとも思わないし、品性公正だと胸を張れるわけでもないと自覚しているが、聖教会が喧しく人身売買を悪徳として説く理由が良くわかる。
微塵も奴隷を人間として見ていない。絶対に見るものかと強い意思すら感じる。
視界に入って来る光景を頭の中でうまく処理出来ず、そのまま固まっていると、婦人はなにか話しかけていたらしい。
「そうよね。じゃあこれでいいかしら?」
「……はあ……いや、ええと、はい?」
唖然としたまま生返事で聞き逃していたようだ。
慌てて振り返ると、手には桃色の光沢が艶々している、柔革で出来た下着のような衣装を広げていた。
「えっと?」
「せっかくの女剣奴なら、こんなのが良いでしょ?」
女剣闘士が着る、股周りの切込みが鋭角で太腿が大胆に露出された、実用性よりも華やかさと肉体の曲線を美しく、また扇情的に魅せるための衣装だ。
「……普通の服が欲しいんですけど?」
「規制されてない色で華やかな色となると、どうしてもこんな下品な色しかないのよね。でも男は好きよね、こう言うの」
「いや、まったく趣味じゃないが」
「そう? まあ、気に入るのがあるかどうか、手に取って探してみて」
魂の正常値がごりごりと削られて行くのを実感しつつも、言われた通りに狭い通路を巡り、奴隷用の服を探す。
ぼろ布以外では、女性物は色が異様に派手だったり露出が多かったり紐だったり、逆に身体を線に沿って拘束するような形の物ばかりだ。
なんでそことかそこに穴が開いているんだろう。
浮かぶ疑問に対し、答えはなんとなく浮かぶが答えたくない。
本当にわからないのが、なんでただの紐がそんな値が張るのだと言う謎……扱い的に魔導具なわけはないと思うが、謎だ。手に取って確かめてみる気にはならない。
一応布面積の多い服もあるのだが、今着ている奴隷服と左程違いの無いような物か、安っぽい生地で品の無い、派手な色の胸元が大きく開いた……有体に言えば娼婦のような服で、とても町中を歩けるような服では無い。
魔法を限界まで使ってもここまで疲労しないんじゃないかと、変な笑いが出そうになった頃、一着の服が目に入った。
「これ……これは奴隷が着て大丈夫なんですか?」
「あら、お兄さんは、そう言う人なの?」
「はい?」
ブラウスの袖や前立てを、細い革帯を使って留めることで奴隷の服にはボタンを禁止している――飲み込むのを防止するために――規定を誤魔化しているのが、逆に面白い飾りとなっている。
大き目の襟は愛らしさを強調することが目的なのだろう。流石に刺繍等は施されていないが、代わりに落ち着きがある。
しかも、生地の色がほぼ白だ。白は奴隷に許可されている色ではないのだが、よく見なければわからないくらいの灰色で、うっすらと水色かかった光沢すらあり良い生地を使っているのも伺える。
ふわりとしたスカートの、葬儀用に使われる深黒色は気になるが、その分色味も落ち着いているので清楚な印象。腰は帯では無く編み紐で詰める形で、時代かかっているのも淑やかな印象で良い。
スカート丈が膝より上なのはどうかとも思うが、他と比べれば十分大人しい方だろう。
色は白と黒で派手さはないが、形だけなら古風なお嬢様が避暑地などで着る装いに見えなくもない。
変な物を見過ぎて、既に感覚が麻痺してしまっているのかも知れないが、なにかおかしな点でもあるのだろうか?
「これ、なんの奴隷が着る服なんです?」
生地も上等だし仕立てもいい。ついでにお値段が異様に高い。
結局は愛玩奴と呼ばれるような、着飾って愛でる類の奴隷の為にある服なのは間違いないのだろうが……考えてしまうと魂的な疲弊感で全身がしんどい。
いっそその隣にある黒衣で頭から全身を覆うやつの方が良いのか?
奴隷の身分でさえも姿を完全に隠すことを許可されている服が、一体どんな用途で使われているかは、頭の中ですら言及したくないが。
「面白そうだから、その子がどう答えるか見ててもいいかしら?」
なんだそれは。
怪訝に思うが、婦人は微笑を浮かべたまま答えてくれそうにない。
とりあえずルーナに聞いてみる。
「これはどう? 気に入る?」
「……」
一考の間を挟んで、ルーナは答える。
「ご主人様に望んで頂けるのでしたら、わたしはどんな服でも着ます」
「ふむ……」
表情がいつもより本気で硬いのは遠慮しているからだろうか。
確かに、ちょっとした贈り物にしては値が張り過ぎている。
正常な思考が回っていれば、こんな上等な服をあげるなんて、よっぽど特別な意味のあることだが、今はとにかくこの空間からなるべく早く脱出したい。
「ん。じゃあ命令だ、これ着なさい」
他にろくな服も無い。
着るだ着ないだのやり取りが始まっても面倒なので、命令しながら差し出したのだが、受け取らない。
おや? と思い、表情を改めて確認すれば輝いた瞳は真っ直ぐに俺を見ている。
なにか決心がついたような面持ちで背筋を伸ばしてからも沈黙は長かった。
その様子は感極まっているように見えなくもない。
喜んでくれているのだろうか?
ゆっくりとルーナは頷く。
「はい」
迷った挙句の返事ではなく、素直で晴々とした返事と共に受け取ってくれた。
なにか覚悟を決めたようですらある。
やっと俺の気持ちを理解して観念してくれたのかな。
「健気ねぇ、泣かせる奴隷じゃない」
楽しそうに婦人が言っているが、話の繋がりがまったく見えない。
もう相手にするのも疲れる。手っ取り早く用事を済ませて行こう。
優先度的に次は――
「あ、そうそう。奴隷が身に着ける下着って、本当にないんですか?」
そう、真っ先にこれだった。婦人は即答する。
「ないわよ?」
「本当にないのか……っておい、待て、なにを、なんで脱いでる?」
「え?」
「え?」
「いや、なんでそこで脱いでるんだよ。せめて更衣室に、え?」
揃って不思議そうな顔をされる。なんで?
「……家畜用に更衣室なんてないのは、分かるわよね?」
「ああ……」
なんだか驚かれた。
常識外れの発言に目を丸くする二人の視線を受けて、俺がおかしいのかとまた疑問がもやつくが負けるものか。
顔を上げ、もう黙って目を背けようと反転、止まらずに一回転する。
「違う。待った、着替えるにしても、旅の埃を落としてからにしてくれ」
旅に生きる者として、多少なら煩く言わないが、常に清潔さには気を配っている。
どうせ汚れるのだからと言って、身も清めずに袖を通すにしては高価過ぎる服だし。
「髪もどうにかしたいんだよな……」
言わないが、脂で汚れたぼさぼさの黒髪はずっと気にはなっていた。
問いを込めて視線を向けると、婦人は軽快に答えてくれる。
「奴隷の髪型に規定なんてないけど、慣例としては完全に放置か、結わずに梳いて纏めるか短くするだけね。男の子なら剃髪でもいいんでしょうけど。凝った髪型なんてしてると変に注目されるんじゃないかしら」
そのまま婦人はにっこりと微笑む。
「近くにある洗い場、貸してあげましょうか?」
どうせ家畜用のなのだろう、とは問いかける気にもならなかった。