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05話。東南都アペリスへの旅路。旅の始まり。



 その後は、奴隷商の持っている高級馬車でこの野営地まで送ってもらった。

 付き添っていた礼服の女性は次の町、ウルトの町までは送ると言っていたが、微塵も揺れず異様に沈み込む椅子の座り心地に、馬車酔いしそうになったので降ろしてもらった。


 一応事実ではあるが、奴隷商の馬車に乗っている緊張感から具合が悪くなった可能性も否定できない。

 別れ際、礼服の女性が寂しそうな顔をしていたのは、奴隷商と一緒に馬車に揺られていることに耐えきれなくなり、降りると言い出したのだと思われたのかも知れないなと後で思った。

 今思えば、それも事実だったのかも知れない。


(……まぁ、もう過ぎたことか)


 あの冴えない奴隷商が言っていた「しっかり見ていれば気づくと思うが――……」に続く言葉はなんだったのだろう。

 涼しい気配にゆっくりと薄目を開ければ、奴隷の少女が俺の股の間で座り込み、ズボンを下ろしてしっかりとした視線を俺の股の間に向けていた。


 夜明けの冷たくて清浄な空気を、熱が籠っていた鋭敏な場所で感じ――もしくは鋭くて真剣な眼差しのせいか――急激に反応しそうになり。

 無表情だった少女の瞳と口が、小さく驚きの形に変わったところで、急いでズボンを引き上げた。

 慌てて身体を起こす。


「なにしてんだ?」

「おはようございます、ご主人様」

「なにをしているんだ?」


 寝起きのせいで思った以上に不機嫌な声が出てしまったが、実際に機嫌は非常によろしくない。

 こう言う表情も無邪気と言えるのだろうか、祖霊の少女は顔色一つ変えず、淡々としている。


「よく男性の剣奴を調教している際に聞こえて来た、てめぇ玉ついてんのか。という罵声を思い出したんです」

「……それで?」

「ご主人様は本当に男性なのかと、確認をさせて頂いていました」


 もう一度ズボンを引き上げ、腰帯を締め直す。しっかりと見られた。

 貴族なんかは奴隷の視線なんて動物の視線と変わらない言うが、俺はそんな境地に辿り着ける気はしないし、したくもない。

 しっかり羞恥と恥辱を感じて大きくため息が漏れる。


「反抗的な男の子や、特殊な需要に応えるための奴隷は玉を取ると言いますし、ご主人様の玉に不都合があるのでしたら、なにか別の方法でお役に立てる方法を考えなければと思うのですが……ところで、どれが玉なのでしょう? やはり女のわたしには無い、あの――」


 平手を向けて黙れと合図を送れば、ぴたりと口を閉じてくれた。

 朝っぱらからろくでもなさが全開だ。


「……寝てる人間のズボンを下ろしてはいけないって、教わってないのか?」

「教わった覚えはありません」


 そんな局地的な場面を想定した教育なんてしないか。

 逆に、それ以上のことを教わっていなくて良かったと、心底安堵するべきなのかも知れない。

 本当にその手の知識は無いらしい。


「人の身体に勝手に触るなとは?」


 奴隷の身分では触れてはいけない物の方が多いくらいだろう。

 主人の身体に許可もなく奴隷から触れるなんて、以ての外では?


「これで、服だけにしか触れていません」


 少女は両手を降参の形に上げて示す。手には闘技用の手甲が嵌っていた。

 素手じゃないから良いと、そう言う理屈か。


 表情は至って淡々としていて、冗談を言っているのか本気かよくわからない。

 いや本気で言っているのだろうが、何故そんな理屈が本気で通ると思えるのか、それが理解不能だ。頭を ばりばりと掻く。


「人が身に着けてる物も身体の一部扱いだよ。二度とやるな」

「命令ですか?」


 若干怒気を込めて言うと、少女は目を輝かせた。


「命令、と言うか……常識だろ、やめてくれ」

「……わかりました」


 輝いた瞳が、すぐに残念そうな色へと変わる。

 なんでだと思うが、なんとなく言いたいことがわかってきた。

 というか最初から言っていた。


 ちゃんと奴隷がしたい。

 そう言うことなのだろう。

 何故そうなるのかはまったく理解不能だが。


「では、お仕置きを――」

「――それもやめろ、やめてくれ」


 背中を向けて服を捲ろうとしている少女へ、もう一度平手を向けて言う。

 頭を掻きながら、朝っぱらげんなりしそうになる気分を切り替えて、いつもの調子を取り戻そうと努力する。

 なにが教え込んで行く楽しみだ、徒労しか感じないぞ。


「……」

「……」


 奴隷の少女はみすぼらしい奴隷の衣服を正し――いくら整えてもみすぼらしいのだが――こちらの言葉を待っている。

 真っ直ぐ見られている。


「……怒ってる?」

「いいえ。奴隷はご主人様に対してそんな不遜な感情を抱くことはありません」


 小さく首を振り、その美しい瞳に陰りを宿しながら言葉を続けた。


「……目つきが悪いと、よく言われていました。ご主人様が不快に思われるのでしたら、目隠しをするか、目を抉りますが」

「いや、抉らないでくれ」


 さらっとなに言ってんだ。

 目つきが悪いのではなく、瞳が綺麗過ぎる所為でじっと見られていると畏れのような物が浮かんで来る。奴隷商なんかは、さぞやり難かったことだろう。


(……)


 周りを見れば、焚火の始末も済み、野営に使った道具もまとめられていて出発の準備は整っていた。

 流石に俺を剥いて観察していただけではないようだ。


「……ヘルニナーミ、だっけ」

「はい。ヘルニナーミ・ヒトイッツ。それがわたしについている名前です」


 組織や組合に所属するわけでもない奴隷には名前が無いことも多い。

 奴隷の身分で苗字まであるのは剣奴として売り込んで行く予定だったからだろう。

 美しく、意志の強い瞳で闘技場に立つ剣闘士には似合っているのだろうが、日常の場で呼ぶには些かいかつ過ぎる。


「なんて呼べばいい?」

「どうぞお好きなように呼んでください。気に入らなければ変えて頂いて結構ですので、ご主人様色に染めてください」

「まあ、せっかく名前あるなら……」


 ヘルニナーミ。ヘルニナーミ……。へる……になーみ。


「ルーナ。あだ名だな。そう呼ぶよ」


 一応女の子らしい響きだろう。


「はい」


 少女、ルーナは表情一つ変えずに頷く。


「俺はアルゼス・セルシウス。アルと呼んでくれてもいいんだけど……」

「滅相もございません、ご主人様」


 言うだけ無駄か。

 どうせ次の街までの奴隷ごっこだ、勝手にやらせておこう。

 そんなことよりも。


「それで、ルーナさんや。そう言えば、昨日、寝る前になんか言ってたよな……禁呪の封印? だっけ?」


 なるべく期待をしていないような、とぼけた聞き方になってしまうのは、その手の詐欺は一通り経験済みだから。


「ご主人様。奴隷相手へ敬称は辞めて頂けないでしょうか……」

「はいはい、ルーナ。昨日言ってたこと、禁呪の封印について知ってるって本当なのか?」

「はい。これに近い物で、そう言った物があると耳にしたことがあります」


 ルーナは両手を丁寧に首輪に添えて示す。


「奴隷の首輪?」


 魔刻鉄に個人固有の魔力を刻むことで、契約者以外が金具の結び付きを解除出来なくなる、鍵のような魔導具。

 奴隷の首輪は拘束具として使用される。


「具体的には?」

「そこまではわかりませんが……魔法を封じるのに、奴隷の首輪ではなく封魔の赤石を持って来い、と怒声が飛び交っていました」

「魔法を封じる、封魔の赤石、ねぇ……」


 ありがちな名だと思いつつも、あり得るかも知れないとも思う。

 身体能力や魔力を高める魔導具は王立の魔導研究機関で未だに細々と研究されていているとのことだが、わざわざ下げるための研究と言うのは、非人道的な使い方をする裏社会でしか需要はないだろう。


(魔導士を無力化する封魔の赤石……か)


 奴隷に関わる施設がある街に立ち寄ったとき、それとなく情報を集めてみるか。


「あまりお役に立てませんでしたね。申し訳ございません」

「いや、教えてくれてありがとう。気に留めておくよ」


 美しい瞳のせいで、少しの陰りでも非常に曇った表情に見えてしまう。

 口惜しそうに俯いていて、本心から役に立ちたいと思ってくれているのは確かなようだ。


「わたしのような奴隷如きには勿体無いお言葉です」


 ルーナは首を振って、謙遜ではなく心から申し訳なさそうにしている。


「ご主人様」


 畳んだ毛布を仰々しく両手に乗せて、こちらへと差し出す。


「ご主人様のご慈悲に感謝致します」


 ほんの少し瞳から力が抜けただけなのに、がらりと印象が変わる。

 朝焼けの加減だろうか、瞳が眩しく輝いて見えて、思わず目を逸らしてしまった。


「大袈裟だよ」


 そんな照れ隠しのような言葉と共にそっけなく受け取ってしまうが、ルーナは気にした様子も無く朝日の眩しさに目を眇めていた。




 『超奴隷と円舞曲を』




 都市同士は、乗合馬車を使えば丁度一週間で渡れるようになっていて、一日間隔で宿場町や馬車宿がある。

 だれが計画して地整を進めたのかとも思うが、徒歩旅で順調に進めば半月程の、十五日前後で次の都市に到着する。つまり月齢が一巡りする距離なので、きっと人の世が安定してからの流れで、自然とそうなったのだろう。


「それで、だ」


 登る朝日を右手に見ながら、街道を軽い足取りで南下して行いる道中。

 つき従うように……と言うか、実際奴隷としてつき従い、数歩離れてついて来るルーナへと肩越しに振り返りながら声をかける。


「東方主都エウロタを出て、次の主要都市の東南都アぺリスまで行くため、今はウルトの町を目指してるんだけど」


 ウルトの町は東方の主要都市を出てすぐ次の町なので規模もそこそこ大きい。

 慌ただしく東方主都を後にしたので、足りない物も買い揃えたいし、短い期間になるだろうがルーナの旅装も必要だ。

 歩きなので、目的地である東南都アぺリスまでは十五日前後、途中ゴブリン討伐の為、街道を外れるので余分に三日から五日程かかると考慮しておく。


「はい」


 状況的に、早馬を使って東南都アぺリスまで二、三日で行きたい気もするが、駿馬に身分の低い者を乗せるにいい顔をしない馬主は多い。

 乗合馬車も同様に、奴隷と同席したがらない者もいるだろう。それに、巡礼は基本的に徒歩だ。

 要するに東方主都エウロタから東南都アペリスへ、半月以上の旅路になる。


「順調に行って、ウルトの町への到着は明日の早朝か昼頃になるだろうな」


 一人なら今日の日暮れには到着出来ただろうが、少女の歩幅に合わせるならもう一夜野宿する必要があるかも知れない。


「はい」

「あんまり興味無い?」


 旅の予定や計画を頭に入れておけば、ひたすらただだ歩くだけの道中で正気を保つ活力になると思うのだが。

 その辺りの説明をしても、ルーナは淡々と頷くのみ。


「ご主人様が行く所ならどこへでもついて行きますので。日程や目的地にはあまり重要性は感じません」

「……そうですかい。ところで本当に重くないか?」


 改めて言うまでもないことかも知れないが、ルーナは俺の荷物を背負っている。

 鞄はルーナの背丈とほぼ同じ大きさで、細い身体に大きな鞄の不釣り合いさは見ていてるだけで不安になって来る光景だ。


「はい。愛玩奴としてはお役に立てないようなので、荷徒用の奴隷として使って頂くしかありません」


 もう一々ろくでもない話題は拾わないぞ。

 荷物の重さは、歩き始めはあまり感じなくても後半からずっしりと来る。

 一度邪魔だと意識すると、その煩わしさは不快感へと代わり、どんどん精神力と体力を奪って行く。

 だからそれを見越して可能な限り軽くして出発するのだが。


「今日は一日中歩くんだ、無理はしないでくれよ」

「大丈夫です」

「辛くなったら言ってくれ、倒れられる方が迷惑なんだからな?」


 気遣いが無いと言えば嘘になるが、実際問題大迷惑だ。


「はい」


 ルーナは堂々と頷いて、足取りも確かについて来る。

 剣奴として育てられたおかげで、普通の少女よりも健脚ではあるのだろうが……本当に大丈夫だろうか。

 どうせ今言っても聞いてくれそうにない。

 疲れ切っているところでもう一度提案することにしよう。


 そう思い、歩くことしばらく。

 そろそろ日も真上に上ると言った頃。足を止めて振り返る。

 予想以上には持ったとは思うが、予想通りにルーナの体力は限界間近の様子で汗を額に浮かべていた。


「……ハァ……はぁ」


 息も上がっている。


「無理しなくていいから、ほら」

「っ……大丈夫です、わたしは、奴隷ですので」

「よくわからんが、奴隷だろうが旅の道連れなら身体の不調は知らせるもんだ。ほら、荷物貸せって」

「っ、だいじょうぶです!」


 頑なを通り越して悲痛とも言える口調に、俺は思わず身を竦ませてしまった。

 ルーナは赤かったか顔を、真っ青にして息を呑む。


「――申しわけ、ございません」


 頭を下げるのもふらつきながらだ。倒れかかり、足を広げて踏ん張る。

 もう限界で精神的な余裕も無いのだろう。


「旅に出るなんて初めてのことなんだろ? 失敗は誰でもある。気にしなくていいから、貸せってば」

「っ……」


 優しく言うのだが、益々表情は曇って行く。

 どうすればいいものやら。

 この期に及んでも俺が持つと言っても聞いてくれそうにない。

 しばらく考え、口を開く。


「命令だ、俺の荷物を返せ」


 思った通り、命令と言う言葉に瞳を輝かせて顔を上げたルーナ。

 だが、そのまま数秒考えて難しそうに首を傾げてしまう。

 首を傾げ続けてしばらく。顔を上げ真っ直ぐに俺を見上げて来た。


「その命令は、ご主人様のための命令ではない……ですよね?」


 常識が色々おかしいが、頭の巡りはそこまで悪くないのか、俺の意図を察して悲しそうな感情を瞳に浮かべている。


(なんでだよ)


 そんな目で見られると俺が苛めているようで、いや、荷物を持つと提案しているんですけど?

 と、誰ともなく言い訳したくなるのだが、言い訳せずに続ける。


「二度も同じ命令を言わせるつもりか?」

「――っ! 申しわけございません!」

「お仕置きは……しないって言っても納得しないんだろ? そのうちまとめてやるってことで楽しみにしててくれ」


 やはり命令なら従うらしい。

 迷いながらだが、俺の荷物を返してくれる。


「ほら、おまえの荷物も」

「え?」

「おまえは俺の物なんだろ? つまり、おまえの物は俺の物ってやつだ。つまり、俺の私物だ。ほら、寄こせと言ったら寄こせ」

「……」

「命令だ、持たせろ」


 どうせ中身は剣奴としての装備と兎のぬいぐるみしか入っていないのだが、長時間歩くのに、なにかを持って歩くのと手ぶらでは疲れも相当違う。


「……ですが」

「俺はおまえの意思を無視してでも、俺のやりたいようにしている。つまり、おまえは俺に無理矢理命令で隷属させられてるわけだ。と言うことは、ちゃんと奴隷として扱っている。そういうことだろ? 奴隷として主に黙って従え」

「……」

「ほら、寄こせ。命令だぞ」

「…………はい」


 捲し立てれば、しばらくは理解が追い付かないといった様子だったが、結局頷いて兎耳のはみ出た頭陀袋を預けてくれた。

 正に有無を言わせない暴君様だ。

 俺は荷物を背負って歩き出す。

 肩越しに後ろを確認すると、申し訳なさそうに俯きながら後をついて歩く少女は、奴隷服とぼさぼさの長い黒髪の所為で絵になり過ぎていて若干心苦しかった。


(いや、鎖に繋がれてもないのについて来る奴隷って時点で、絵としてはおかしいか)


 くだらないことを考えながら歩き続けて、しばらく。

 昼の休憩中。


「……つまり、身受けの為の給金も要らないと?」

「そんな制度があるなんて聞いたこともありません。わたしは一生ご主人様の物です」


 最近聖教会が推奨している、奴隷にも下働きの者と同じよう、働きに応じて給金を払い、奴隷の身分から自身を買い戻すことの出来る、奴隷解放制度の説明をしたのだが、給金は要らないと主張する。

 昔ながらの奴隷として、物や家畜として扱ってくれてとのことだ。訳が分からない。


「まぁ……」


 買い戻すために金なんて払ってくれなくても、いつでも俺の奴隷なんて辞めて欲しい訳だし、どうせ孤児院に預けるときにいくらか金も持たせるので、その辺はもういいだろう。


「……いいか、飯にしよう。奴隷の衣食住の面倒は主が見るもんだから、素直に食べてくれるよな?」

「はい。ですがわたしは奴隷ですので、ご主人様の後で残り物を隠れて頂くのが作法だと教わっているのですが」


 人と豚は食卓を共にしないとか、そう言うあれか。


「いや、いいから一緒に食べよう。連れが居るのに一人だけで食うなんて、気まずくて仕方ない。それとも俺の気分を害したいのか?」

「っ……はい、申しわけございませんっ」

「一々謝らなくていいって。ただでさえ味気ない雑穀の塊が余計に不味くなる」

「……はい」


 街道沿いに置かれた岩に腰かけ、瞳に難しい物を浮かべているルーナに昼飯の携行食を差し向ける。


「ですが、家畜以下の奴隷風情がご主人様と一緒に食事を取るだなんて、聞いたこともありません……」

「愛犬家なんかは犬と一緒の物を食べたりするんじゃないか?」


 聞いたこともないが。適当に言う。


「奴隷のわたしには犬の残飯でも十分なのですが」


 聞いていた以上に壮絶なことを平然と言っている。


「いいから、命令だからほら、食え」

「……はい」


 気遣いを命令だと言い換えれば、釈然としない様子だが従ってくれる。

 感覚的になにかがおかしいのはわかっているが、なにがおかしいのか説明出来ないのがもどがしいのだろう。意地悪をされた仔猫のように首を傾げるのがなんとなく面白い。


「なにか他の楽しい話題でもないのか? 食べ物の好みとか。俺は川魚の塩焼きなんか好きなんだが――」


 と言いかけて言葉を止める。

 奴隷が普段どんな物を食べているかなんて知らないが、ろくな物ではないだろう。配慮に欠ける話題振りだったかも知れない。

 横目で見ると、ルーナは両手で支えて行儀良く食べていた携行食へと視線を落として、ぽつりと漏らした。


「こんなに美味しい物を食べるのは初めてです」

「ただの雑穀を固めた携行食だぞ? いや、本当に普段どんなもの食べてたんだよ……」


 流石に戦々恐々となって聞いてしまった。


「いえ、以前からこれと似たような雑穀の乳粥と豆のスープでしたが……何故でしょう、独房で食べるご飯よりも、とても美味しく感じます」


 独房。奴隷。男に一切触れさせないと言う飼育方法。

 わたしはこれしか知りませんという言葉が脳裏に流れて行く。


「頭が悪いので上手く言えませんが……なんだか暖かいです」


 空を見上げれば太陽が真上に上っていて、春の陽気のおかげだろうと至極当然な考えは頭の中に浮かんでいたが、口には出さずに頷く。


「それは……まぁ、そうかもな」


 同意して改めて一口齧れば、確かにぱさぱさとした雑穀の中にふわりとした甘さを見つけられて少し驚いた。

 惰性で続けて来た無味乾燥な旅の道中、人と食事を取るなんて実に久しぶりだ。

 ルーナはなにか気づいたような瞳で、空ではなく俺を真っ直ぐに見た。


「やはり、ご主人様から頂いた物だからでしょうか?」

「どうかな……誰かと楽しく取る食事が一番のご馳走だなんて言うけどな」


 清貧の教えを引用すれば、ルーナは疑心暗鬼な不安を瞳に浮かべて携行食へと視線を落とす。


「普段はずっと檻の中で、一人でしたので……わたしにはわかりません。調教師と訓練師、あとは闘技場で闘う敵以外とは……いえ、そもそもこんなに長く人と会話をしているのも初めてになります……」


 巡礼士として旅を続けて来た俺よりも壮絶な暮らしをして来たのは間違いないだろう。


「大丈夫でしょうか、わたしはご主人様への無礼になるようなことをしていないでしょうか?」


 ハッ、としてルーナは不安そうな瞳を俺へと向けた。流石に憐れみの表情が浮かびそうになったので、空を見上げて少し考える。

 既に散々やらかしていると教えるべきかどうか。


(いや、知らないのか……)


 人との関わり方も、俺以上に知らないと言うか、色々間違えている節がある。

 知らないなら、教えてやればいい。

 孤児院に着くまでに、人の世の常識や……自分の意思で生きる、自由の素晴らしさと、大切さを、こんな俺でも流石にこの少女になら教えてやれるんじゃないだろうか。

 視線を空から戻し、ルーナを見ながら。


「これから、もっと美味い物を味わって行けばいいさ」

「……そうですか?」


 会話の繋がを無視して明るく言えば、なんだか気の抜けた相槌を返してくれている。

 わからないのだろう。今はまだ仕方ない、教えて行けばいい。

 仕込む楽しさではないが、それなら少しは面白いかも知れない。

 そして東南都アペリスでの別れ際にでも、自然な笑顔を見せてくれたらいいんじゃないかなと思う。


(ま、出来る範囲でだけど)


 俺だって人と関わるのは苦手なので、そんなに大層なことは教えてやれないだろうが、流石にちゃんと奴隷がしたいなんて言ってる今よりマシにはなるだろう。

 珍しく気楽な展望を春の陽気の中に見出して、肩を竦めて自重気味に笑ってみた。




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